人類学のススメ

人類学の世界をご紹介します。OCNの「人類学のすすめ」から、サービス終了に伴い2014年11月から移動しました。

日本の人類学者12.金関丈夫(Takeo KANASEKI)[1897-1983]

2012年07月01日 | H5.日本の人類学者[Anthropologist of J

Takeokanaseki

金関丈夫(Takeo KANASEKI)[1897-1983][金関丈夫博士古稀記念委員会(1968)『日本民俗と南方文化』口絵写真より改変して引用](以下、敬称略。)

 金関丈夫は、1897年2月18日、香川県仲多度郡榎井村(現・琴平町)にて、金関喜三郎とたみの間の長男として生まれました。松江中学校・第三高等学校を卒業後、1919年9月に京都帝国大学医学部に入学します。1923年7月に、京都帝国大学医学部を卒業と同時に、母校解剖学教室助手に就任しました。当時、足立文太郎[1865-1945]が解剖学教室教授でした。1924年1月、足立文太郎教授の薦めにより、同じ医学部病理学教室の清野謙次[1885-1955]教授と文学部の浜田耕作(浜田青陵)[1881-1938]に紹介され、人類学と考古学研究を志します。

 1925年4月には、京都帝国大学医学部解剖学教室助教授に就任し、骨学の講義を行いました。1930年9月には、「琉球人の人類学的研究」で母校から医学博士号を取得しています。

 1934年9月から1936年3月まで、台湾総督府医学専門学校教授の資格で、東南アジア・ヨーロッパ・アメリカ各地の解剖学教室・人類学教室・博物館を訪問しました。これは、新設される台北帝国大学医学部に就任する前に遊学するという当時の慣習です。

 1936年3月7日付けで、台北帝国大学医学部第2解剖学教室教授となり、同年3月下旬には台湾に赴任しました。ちなみに、第1解剖学教室教授は、森 林太郎(森 鴎外)の長男・森 於菟[1890-1967]が就任しています。この台北帝国大学には、文政学部の民族学者・移川子之蔵[1884-1947]がおり、また、京都帝国大学文学部出身の国分直一[1908-2005]も台湾で教鞭をとっていて、協力して人類学及び考古学調査をすすめました。金関丈夫は、終戦後も中華民国国立台湾大学教授として、台湾に留まり研究を続け、1949年8月に引き揚げています。ちなみに、戦争中、金関丈夫の自宅は、米軍の空襲目標からはずされていたと言われています。

 1950年3月には、九州大学医学部解剖学第2講座教授に就任し、発掘調査や生体計測を行いました。九州大学を定年退官後、1960年4月に鳥取大学医学部解剖学教室教授、1962年4月に山口県立医科大学(現・山口大学医学部)教授、1964年4月に帝塚山大学教授に就任し1979年まで人類学調査を継続的に行っています。

 金関丈夫は、専門の解剖学や人類学のみならず、民族学・民俗学・考古学にも及ぶ膨大な知識を駆使して研究を行いました。二人の子供は金関丈夫の興味を分かつように、金関 毅が解剖学を、金関 恕が考古学を専攻しています。

 当時、人類学の分野では、東の鈴木 尚[1912-2004]に西の金関丈夫と言われた時代がありました。日本人の起源に関して、変形説の鈴木 尚・渡来説の金関丈夫と言われたように、金関丈夫は山口県の土井ヶ浜遺跡出土人骨の研究から弥生時代に渡来があったことを支持していました。ただ、学問の傾向は、鈴木 尚と金関丈夫とは大きく異なっており、この2人の研究を比較することは困難です。骨の研究を全うした鈴木 尚と幅広く人類学研究を行った金関丈夫とでは、そもそも、同じ土俵で相撲をとらせることはできません。

 金関丈夫は、1983年2月27日に86歳で死去しました。死後、遺体はかつての勤務先である、九州大学医学部に献体されています。ちなみに、金関丈夫は生前、父親の金関喜三郎の遺体も九州大学医学部に献体しています。形態の親子間研究に役立てて欲しいと願ってのことだったと言われています。

 金関丈夫が書いた本は、膨大ですが、代表的なものは以下の通りです。

  • 清野謙次・金関丈夫(1927)『人類起源論』、岡書院[このブログで紹介済み]
  • 金関(1975)『発掘から推理する』[このブログで紹介済み]
  • 金関(1976)『日本民族の起源』、法政大学出版局[このブログで紹介済み]
  • 金関(1977)『南方文化誌』、法政大学出版局
  • 金関(1978)『形質人類誌』、法政大学出版局

 また、金関丈夫の古稀記念及び追悼として、以下の2つのものが出版されています。

  • 金関丈夫博士古稀記念委員会(1968)『日本民族と南方文化』、平凡社[このブログで紹介済み]
  • 「金関丈夫博士その人と学問の世界」『えとのす』、第21号、新日本教育図書(1983)[このブログで紹介済み]

*金関丈夫に関する資料として、以下のものを参照しました。

  • 金関丈夫博士古稀記念委員会(1968)『日本民族と南方文化』、平凡社[巻末に、出版時の1968年までの著作目録及び年譜が掲載されています。]
  • 国分直一(1988)「13.金関丈夫」『文化人類学群像3.日本編』(綾部恒雄編)、アカデミア出版会、pp.243-272
  • 春成秀爾(1988)”6.金関丈夫論”「5.研究者列伝」『弥生文化の研究10.研究の歩み』(金関 恕・佐原 真編)、雄山閣、pp.94-105

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。