人類学のススメ

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世界の人類学者3.ウィンフリッド・ローレンス・ヘンリー・ダックワース(Wynfrid Laurenc

2011年11月23日 | H4.世界の人類学者[Anthropologist of

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ダックワース1.ウィンフリッド・ローレンス・ヘンリー・ダックワース(Winfrid Lawrence Henry DUCKWORTH)の肖像画[オリジナルは、ケンブリッジ大学ジーザス・カレッジ所有。1943年に、ジェームズ・ウッドにより描かれた。Journal of Anatomy, Vol.90, Part3より]

 ウィンフリッド・ローレンス・ヘンリー・ダックワース(Winfrid Lawrence Henry DUCKWORTH)は、1870年6月5日に、イギリスのリヴァプールで生まれました。フランス留学を経て、1889年にケンブリッジ大学ジーザス・カレッジに入学し、自然科学専攻で、1892年に卒業しました。翌年の1893年には、ジーザス・カレッジのフェローとなり、医学部の解剖学教室に出入りしています。1898年には、ダックワースのために自然人類学講師のポストが新設され、1920年までそのポストにつきました。

 その後、ロンドンのバーソロミュー病院附属医学校に入学し、1905年に卒業しています。ちなみに、このバーソロミュー病院は1123年に創立されたロンドンでも最古級の病院で、医学校は1843年に創設されています。その後、ロンドン大学クィーン・メアリーカレッジとなり、1995年にはバーツ&ロンドン医学歯学校となっています。

 医学部を卒業後、1907年にはケンブリッジ大学医学部解剖学教室の上級デモンストレーターに、1920年には人体解剖学のリーダー(準教授)となり、1940年に退職するまでそのポストについています。解剖学の講義では、黒板に描かれた詳細かつカラフルな人体解剖図に対して定評があったそうです。退職の年の1940年には、母校、ジーザス・カレッジの学長に就任し、1945年までその任にあたりました。また、1943年から1945年にかけて、英国及びアイルランド解剖学会会長もつとめています。

 ダックワースの興味範囲は広く、比較解剖学・人体解剖学・古人類学・自然人類学・先史学の分野に及んでいます。その中でも、著名な業績として、1910年と1911年にジブラルタルのフォーブズ採石場の発掘調査や、1912年に開催した生体計測の世界的基準統一等が挙げられます。

 ダックワースは、生涯に、3冊の本を書いています。『Morphology and Anthropology』(1904)[Cambridge University Press]・『Studies from the Anthropological Laboratory, Anatomy School』(1904)[Cambridge University Press]・『Prehistoric Man』(1912)[Cambridge University Press]。

 また、ダックワースは、様々な標本を収集していたことでも有名で、それらは、現在のケンブリッジ大学生物人類学部にあるダックワース・コレクションの基礎となりました。このコレクションは、1945年に医学部の解剖学教室から移管されています。

 ダックワースは、1956年1月15日、自宅のあるケンブリッジで85歳の生涯を閉じました。まさに、その生涯のほとんどをケンブリッジと共に歩んだ人生でした。

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ダックワース2.前列中央がダックワース(1898年、ケンブリッジで開催された会議での記念写真)[John READER(1981)『Missing Links』William Collins Sons & Co., p.49より]


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