徳本行者は、まず、日課念仏の意義について話します。
「皆、誰でも死ねば、必ず、閻魔王の裁きを受けて地獄へ行かねばならぬ。しかし、今、私が授けるところの念仏を申したならば、閻魔王の前へはやらぬ。地獄へ落とさせはせぬ。日課とは、今日より命終わるときまで、休むことなく念仏を唱えること」と語った後、ひときわ声高く
「念仏は弥陀の本願にして諸仏の証誠、釈迦の付属なり。汝ら臨終の晩に至るまで、日課称名し誓って中止せず、能く持つや否や」と参加者への問いかけが発せられる。
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人々は、皆、口を揃えて「能く持つ」と唱和して、化益の儀式のクライマックスが終わり、次いで、名号札の授与に移ります。
本来念仏は、一人一人の心の中の営みだが、徳本行者は、個人には唱える回数、集団である講組織には、講員の数によって、授与する名号札の大きさを変えるという独特の布教手法を採用した。
名号札は、南無阿弥陀仏が書いてあればいいというものではなく、徳本行者の筆になり、彼の独特な花押があるものでなければならなかった。
小より大を欲しがるのは人の常。
だが、日課念仏を、百遍や千遍課すことは容易だが、一万遍、五万遍となるとそうはいかない。
「ナムアミダブツ」を1回、1秒で唱えるとすると、1分で60回、1時間でも3600回でしかない。
1万遍だと3時間、5万遍だとなんと、毎日、15時間も念仏を唱えることになります。
勿論基本は信仰心にあるが、千遍よりは、1万遍を誓った信者には、見栄えのするより大きな名号札を欲する気持ちがあったことは否めないでしょう。
そうした人々の見栄を利用した巧みな布教手法だったとも言えます。
各地の講も競って名号塔を造立したが、その大きさは一目瞭然、必然的に講員獲得に熱が入ることになります。
名号札の基準は以下の通り。
拝服名号 念仏100-900遍(名号札の大きさ6×1.5cm)
小幅名号札 念仏1000-9000遍 講員50人未満(大幅六つ切り)
中幅名号札 念仏 10000-30000遍 講員50-100人(大幅四つ切と数珠)
直筆名号札 念仏 60000遍
大幅名号札 講員100人以上(唐紙の半分135×35cm)
名号札を渡しながら、よく次のように言ったと伝えられている。
「百遍の名号は小さい。千遍、六万遍、それぞれの数に応じて褒美にやる名号だから、銭金で買ってはならない。銭金の徳本ではない。御念仏の徳本だ」。
徳本名号札が、巷で、売買されていたことが、この逸話からうかがえる。
それだけ人気の希少品だったこになります。