前回は、平塚市最古の徳本名号塔として、大松寺の3基の名号塔のうち中央の石塔を紹介しました。
大松寺の徳本名号塔3基
市内最古は、文化13年(1816)造立ですが、翌年の文化14年造立の名号塔が2基あります。
②海宝寺(幸町)
基台を含めての380cmは、市内最高。
六字の文字だけでも93cmあり、これもトップクラス。
講の人数が多かったことを物語っています。
③路傍(徳延304バス停傍)
三叉路の角に3基の石造物。
お地蔵さんを挟んで、両側が徳本名号塔で、向かって右、背の低い石塔が、文化14年のもの。
写真では、刻字が読みにくいので、採録しておくと
石塔正面「南無阿弥陀仏 徳本(花押)」
台石「当所 念仏講中 世話人
文化十四丑ノ天十二月吉日
願主 根誉称善法子」
願主として名前がある根誉称善は、ここ徳延村の者で、数多い徳本行者の弟子の中でも高弟と云われる人。
平塚に徳本行者が3回も教化して回ったのは、根誉称善の地元だったから。
この名号塔の他にも、根誉称善を願主とする石塔はいくつもあります。
左の名号塔は、天保3年(1832)造立で、「毎月大会御念仏供養塔」と刻されています。
「大会」は「おおがい」と読み、この地域独特の大掛かりな徳本念仏講の活動形態のこと。
組講中として29か村の村名が刻されていますが、行政村を超えて、多くの村の村人たちが、信仰を通じて結集していたことが分かります。
蛇足を付け加えれば、この石塔の台石には、ボコボコと盃状の穴が開いています。
盃状穴については、以下のブログをご覧ください。
https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=0ce43de9227393b5421eb0d968bf2e02&p=9&disp=30
https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=2407158064cb1d896350455749ba9642&p=9&disp=30
≪続く≫