「しゆいしゅ」と聞いて、すぐ言葉が分かる人は少ないだろうが、「思惟手」という文字を見ればピンとくるに違いない。
そして、広隆寺や中宮寺の弥勒菩薩半跏思惟像をイメージするのではなかろうか。
広隆寺弥勒思惟像 中宮寺弥勒思惟像
2体の、あでやかなその女性的官能美は、多くの人を魅了してきた。
思惟しているのは、56億7000万年後の未来世界のことであり、そこでの人々の救済方法だと言われている。
末法思想が横行した平安時代、人々は弥勒菩薩の下生(げしょう)をひたすら祈った。
だが、この弥勒思惟像は何故かいつの間にか姿を消し、蓮華座に結跏趺坐し、定印に組んだ手の上に宝塔を置く弥勒菩薩像に代わって行く。
醍醐寺弥勒菩薩坐像
思惟手は、如意輪観音像に専ら見られるようになってくる。
東京のどこの墓地でも、右に傾いだ頭を右手の掌で支えているような如意輪観音墓標に出会う。
栄松院(文京区) 円福寺(板橋区)
全部、江戸時代以降の石仏である。
思惟していると言うよりも頬杖をしながら居眠りしているかのようだ。
こうした如意輪観音像に見慣れた頃、右手の位置と向きが異なる如意輪観音がおわすことに気がついた。
右手の手の甲を顎につけている。
喜多院墓地(川越市) 釜寺(中野区)
立て膝の右足を、曲げた左足の足裏に乗せた輪王座をしているから如意輪観音であることは間違いない。
では、この右手も「思惟手」なのだろうか。
頭の傾きや顔の表情は思惟している姿なのだから、「思惟手」と言ってもよさそうだが、そうすると二通りの「思惟手」があることになり、ややこしい。
仏像解説を見ても掌を頬につけた「思惟手」のことだけで、手の甲を顎につける所作には触れてない。
普通、このような手の所作を何と呼ぶのか、日本舞踊を趣味とする妻に訊くが、知らないとの返事。
石仏愛好家のブログで見つけた「反り手」という表現が唯一の具体例だが、「反る」というのは、手のひらを上にするというか、表にすることで、手のひらを下にしたこの所作にはピッタリしないように思う。
当を得た表現を探しあぐねている時、テレビを観ていて膝を叩いた。
志村けんの「アイーン」がそっくりだったからである。
勝手に「アイーン観音」と呼ぶことにした。
石仏めぐりを始めて2年。
めったに「アイーン観音」に出会うことはない。
見かける度、写真に撮って保存した。
これまでに61枚の写真が溜まった。
撮りためた如意輪観音石仏の全体数は2013だから3.0%ということになる。
年代別には、寛文6、延宝6、貞享4、元禄14、宝永3、正徳3、享保6、元文、延享、寛延、宝暦、明和、寛政、天保各1、不明12。
時代分布としては地蔵や聖観音などと同様、元禄、享保という二つの山がある。
格別、変わった点は見られない。
地域的には、都内が多くて、千葉県、埼玉県にもあるが神奈川県はゼロ。
しかし、サンプル数が決定的に少ないのだから、この数字で地域的特性を云々することはできないだろう。
大半は石仏墓標だが、如意輪観音だから夜待ち塔もある。
二十二夜塔、宗清寺(埼玉県美里町)
しかし、夜待ち塔に「アイーン観音」が多いというわけではない。
「アイーン観音」にひとつだけ特徴があるとすれば、比較的大型の石仏が多いということか。
万福寺(墨田区) 浄光寺(東松山市)
大型だから経費がかさむ。
それを厭わないわけだから、「アイーン観音」にするそれなりの理由があることになる。
普通、如意輪観音を発注すれば、「思惟手」の石仏を石工は彫るだろう。
「思惟手」ではなく、「アイーン観音」を特注するその理由を知りたいのだが、今のところ手がかりがなく、推測すらできない状態だ。
どなたかご存知の方がいらっしゃったら、是非、ご教示願いたい。
去年、2010年春、滋賀県の三井寺へ行った。
丁度、観音堂の秘仏・如意輪観音が公開中だった。
三井寺(滋賀県)
見事な「アイーン観音」だったことを思い出し、如意輪観音で画像検索してみたら、出るわ出るわ、平安時代の如意輪観音は「アイーン観音」だらけなのだ。
「アイーン」というよりも、折り曲げた指先を手の甲を上にして軽く頬や顎に触れているという形が多い。
手のひらではなく、手の甲だということが、重要ポイント。
橘寺(奈良県) 護国寺(東京都)
清滝寺(兵庫県) 醍醐寺(京都府)
天王寺(神奈川県) 円教寺(兵庫県)
百済寺(滋賀県) 来迎寺(神奈川県)
当然、儀軌にもこの像容は記載されているに違いない。
江戸時代の石工たちも、こうした仏像を見、儀軌に則って石仏を彫ったはずである。
それなのに何故「思惟手」型だけが圧倒的に多くなってしまったのか、不思議だ。
本来、その謎を解くのが目的であったはずなのに、不思議だと投げ出してしまうのは、情けない。
忸怩たるものがあるが、能力不足なのだから仕方ないか。
今回のテーマとは全く関係ないのだが、最後に珍しい如意輪観音石仏を2枚付け加えておく。
まずは、日本最古の十九夜塔。
万治元年(1656)の線彫り六手の如意輪観音。
日本最古の十九夜塔。徳満寺(茨城県利根町)
六手の如意輪観音と言われて、目を凝らしてもはっきりしない、線彫りのこれが宿命か。
思惟手が左手の如意輪観音がある。
平等寺(戸田市) 延命寺(群馬県川場村)
墓標だから、ぎっちょだった故人を偲ぶ意識的作品だろうか。
観音さまは女性だと思っている人もいるほどです。
今迄、おっぱいの有る巨乳の観音さまが、作られないのが不思議である。