▽北向き地蔵堂(浮間2-4)
上の写真で北向き地蔵堂は、右手の住宅の手前にある。
北向き地蔵は、かつては、道路の奥、緑に見える荒川の堤防の向こう側の河川敷にあった。
更にさかのぼれば、浮間村の北の入口におわして、悪霊の侵入を防いでいたと伝えられている。
享保6年(1721)造立で、疣とり地蔵あるいは身代わり地蔵とも呼ばれている。
地蔵の右は、宝永2年(1705)造立の庚申供養塔。
普通は、左にある邪鬼の頭が右にあるのが特徴か。
そして左側は、安永6年(1777)造立の、これまた青面金剛庚申塔。
北向き地蔵とその左側の青面金剛像の間の奥に見える板碑は、阿弥陀三尊種子の月待ち供養塔。
文明16年(1484)、二十三夜講の結衆12人が、月待ち行事をした記念碑。
以上の説明は、現場に立つ北区教育委員会による説明板による。
北向き地蔵から西へ300m、右に氷川神社が現れる。
▽浮間氷川神社(浮間2-19-6)
社殿が一段高い場所に建設されている。
水塚に建てられたもので、荒川の洪水に悩まされてきた浮間の神社らしい。
石造物が西端にまとめられている。
当所氏子中
神明照心魂
桜草保存の碑
桜草は、浮間の誇る花だった。
桜草の群生は、荒川の氾濫が原因だった。
氾濫で上流からもたらされた土壌が桜草に最適だったからです。
それが荒川の河川改良が進み、氾濫がなくなると桜草も減少し、絶滅の危機を迎える。
その危機を防いだのが、地元有志の保存会。
土壌改良に努め、一般公開にまで、持ち込みます。
昭和38年(1963)のことでした。
桜草一般公開30周年記念碑
とりわけ巨大なのが、整地碑。
判読できない碑も2,3基ある。
社殿左前にあるのが、社殿建設記念碑。
社殿右には、狛犬と
日清戦役凱旋記念碑がある。
▽浮間不動尊(浮間2-19-6)
浮間氷川神社と同じ番地なのは、神社の境内地におわすから。
神社に同居するお堂は珍しい。
近寄ってみるが、不動尊像は見えない。
それともこの縦に細いものが不動尊なのか。4185
▽傘屋庚申堂(浮間2-24-28)
傘屋とは、庚申堂が立っている敷地の家の屋号。
右面に「青面金剛武刕 浮間邑講中七人」、左面に「延享三丙寅十二月吉日」。
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