石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

138 東京都北区の石造物-4b-浮間2丁目

2019-10-20 08:15:40 | 石造物巡り

▽北向き地蔵堂(浮間2-4)

 

 

上の写真で北向き地蔵堂は、右手の住宅の手前にある。

北向き地蔵は、かつては、道路の奥、緑に見える荒川の堤防の向こう側の河川敷にあった。

更にさかのぼれば、浮間村の北の入口におわして、悪霊の侵入を防いでいたと伝えられている。

享保6年(1721)造立で、疣とり地蔵あるいは身代わり地蔵とも呼ばれている。

地蔵の右は、宝永2年(1705)造立の庚申供養塔。

普通は、左にある邪鬼の頭が右にあるのが特徴か。

そして左側は、安永6年(1777)造立の、これまた青面金剛庚申塔。

北向き地蔵とその左側の青面金剛像の間の奥に見える板碑は、阿弥陀三尊種子の月待ち供養塔。

文明16年(1484)、二十三夜講の結衆12人が、月待ち行事をした記念碑。

以上の説明は、現場に立つ北区教育委員会による説明板による。

 北向き地蔵から西へ300m、右に氷川神社が現れる。

▽浮間氷川神社(浮間2-19-6)

社殿が一段高い場所に建設されている。

水塚に建てられたもので、荒川の洪水に悩まされてきた浮間の神社らしい。

石造物が西端にまとめられている。

当所氏子中

神明照心魂

桜草保存の碑

桜草は、浮間の誇る花だった。

桜草の群生は、荒川の氾濫が原因だった。

氾濫で上流からもたらされた土壌が桜草に最適だったからです。

それが荒川の河川改良が進み、氾濫がなくなると桜草も減少し、絶滅の危機を迎える。

その危機を防いだのが、地元有志の保存会。

土壌改良に努め、一般公開にまで、持ち込みます。

昭和38年(1963)のことでした。

桜草一般公開30周年記念碑

 

とりわけ巨大なのが、整地碑。

判読できない碑も2,3基ある。

社殿左前にあるのが、社殿建設記念碑。

社殿右には、狛犬と

日清戦役凱旋記念碑がある。

▽浮間不動尊(浮間2-19-6)

浮間氷川神社と同じ番地なのは、神社の境内地におわすから。

神社に同居するお堂は珍しい。

近寄ってみるが、不動尊像は見えない。

それともこの縦に細いものが不動尊なのか。4185

▽傘屋庚申堂(浮間2-24-28)

傘屋とは、庚申堂が立っている敷地の家の屋号。

右面に「青面金剛武刕 浮間邑講中七人」、左面に「延享三丙寅十二月吉日」。

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿