教育の森入口の手前でしばし佇んでいた。
左へ行くと教育の森、右は筑波大。
左は60年前と様変わりだが、右はなんとなく昔の面影があるような気がする。
昔は、二つに分かれていなくて、ここが東京教育大学の正門だった。
今は筑波大と放送大学となっている建物は、教育大文学部の跡地に相似形に作られていて、遠景だと昔とそっくりに見えてしまう。
私の学生時代は、1958-1961年。
右が、文学部、教育学部のE館。ほかは全部取り壊されて教育の森公園に。
4階建ての文学部館には、エレベーターがなく、4階にあった社会学教室へ行くには階段を上るしかなかった。
80歳の今は、階段嫌いだが、当時、階段をつらいと思ったことはなかった。
そんな時代があったなんて、我がことながら信じられない。
占春園にも同じ庭園だとは思えない変化がある。
文学部の裏、付属小学校との間に、汚いドブ池があって、そこが占春園だとは聞いていた。
だが雑草が生え放題で、見通しが悪く、「庭園」とは思えない場所だった。
(と、記憶しているのだが、昔の写真を見ると整備されているように見える。)
一度行ってはみたが、2度と行くことはなかった。
それが、60年ぶりに訪れて、その広さに驚いた。
綺麗に整備されていて、見通しがきくから、広さが分かるのです。
ここは、水戸光圀の弟松平頼元(陸奥国守山藩主)の元上屋敷跡で、その広さ約6万坪。
屋敷内の斜面地を利用して造られた庭園・占春園は、青山の池田邸、溜池の黒田邸と並んで、江戸の三名園と称されたと云われているという。
回遊式庭園の核を成す池は、しかしながら、60年前と同じドブ池状態で、庭園の風雅さを損ねている。
池の辺に立つのは、嘉納治五郎像。
講道館柔道の創始者として有名だが、東京高等師範学校の校長を24年間も務めたことはあまり知られていないように思われる。
銅像があるのは、ここに東京高等師範学校があったからだが、彫刻家朝倉文雄の手になるこの像は、戦時中、姿を消した。
軍に供出されたものだが、幸い原型が残されていて、昭和33年、ここに再建された。
付け加えると、この原型を元に、講道館と筑波大学にも、まったく同じ嘉納治五郎像があるのだそうだ。
NHKの大河ドラマ「いだてん」人気で、今年は占春園もにぎわいそうだ。