石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

137 文京区の石碑-12-占春園碑(大塚3-29教育の森公園)

2019-03-17 06:55:43 | 石碑

教育の森入口の手前でしばし佇んでいた。

左へ行くと教育の森、右は筑波大。

左は60年前と様変わりだが、右はなんとなく昔の面影があるような気がする。

昔は、二つに分かれていなくて、ここが東京教育大学の正門だった。

今は筑波大と放送大学となっている建物は、教育大文学部の跡地に相似形に作られていて、遠景だと昔とそっくりに見えてしまう。

私の学生時代は、1958-1961年。

 

 右が、文学部、教育学部のE館。ほかは全部取り壊されて教育の森公園に。

4階建ての文学部館には、エレベーターがなく、4階にあった社会学教室へ行くには階段を上るしかなかった。

80歳の今は、階段嫌いだが、当時、階段をつらいと思ったことはなかった。

そんな時代があったなんて、我がことながら信じられない。

占春園にも同じ庭園だとは思えない変化がある。

文学部の裏、付属小学校との間に、汚いドブ池があって、そこが占春園だとは聞いていた。

だが雑草が生え放題で、見通しが悪く、「庭園」とは思えない場所だった。

(と、記憶しているのだが、昔の写真を見ると整備されているように見える。)

 一度行ってはみたが、2度と行くことはなかった。

 

それが、60年ぶりに訪れて、その広さに驚いた。

綺麗に整備されていて、見通しがきくから、広さが分かるのです。

ここは、水戸光圀の弟松平頼元(陸奥国守山藩主)の元上屋敷跡で、その広さ約6万坪。

屋敷内の斜面地を利用して造られた庭園・占春園は、青山の池田邸、溜池の黒田邸と並んで、江戸の三名園と称されたと云われているという。

回遊式庭園の核を成す池は、しかしながら、60年前と同じドブ池状態で、庭園の風雅さを損ねている。

池の辺に立つのは、嘉納治五郎像。

講道館柔道の創始者として有名だが、東京高等師範学校の校長を24年間も務めたことはあまり知られていないように思われる。

銅像があるのは、ここに東京高等師範学校があったからだが、彫刻家朝倉文雄の手になるこの像は、戦時中、姿を消した。

軍に供出されたものだが、幸い原型が残されていて、昭和33年、ここに再建された。

付け加えると、この原型を元に、講道館と筑波大学にも、まったく同じ嘉納治五郎像があるのだそうだ。

NHKの大河ドラマ「いだてん」人気で、今年は占春園もにぎわいそうだ。