石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

126 成田街道の石造物ー9-

2016-12-21 07:00:57 | 街道

山門にも、どこにも寺の名前がない。

墓地があるので寺だとは分かるのだが、果たして、ここは「東光寺」なのだろうか。

◇真言宗豊山派・慈明山東光寺(宮本5-13-17)

山門から見えるのは、普通の民家で寺らしくない。

この建物は庫裏で、本堂はこの裏にあったらしいのだが、確認することなく、山門を入った左側の石仏群を見て、帰ってきてしまった。

中央の覆屋の地蔵を挟んで、左に6基、右に4基の石仏が並んでいる。

左は馬頭観音と阿弥陀如来の間に庚申塔が4基、右には、十九夜塔2基と大日如来、阿弥陀如来が1基ずつおわす。

船橋市は、千葉県の中でも馬頭観音がダントツに多い地域と聞いていた。

馬を生産する幕府直轄の牧が市内の中央部を横断していて、馬の保有数は多地域に比べ、抜きんでて多かった。

宿場町として交通の要衝であった船橋は、荷馬車用の馬が不可欠だったから、馬が多くなるのは、必然だったといえる。

しかし、江戸川橋を渡って市川、船橋と石仏を見てきて、実は、馬頭観音に遇うのは、これが初めてのことなのです。

とても意外なことで、不思議でなりません。

◇浄土真宗本願寺派・光雲山了源寺(宮本7-7-1)

石段を上がった山門前の左に、船橋市教委による文化財の説明板がある。

市指定文化財 鐘楼堂跡

江戸時代享保年間(1716-1736)、徳川幕府は、船橋に大砲試射場を設けました。了源寺本堂の南西の丘に砲台の台座があったといわれ、そこから谷津、藤崎方面の松林、原野に向けて試射を行いました。
これを廃止した後、その場所に鐘楼堂が建てられ、幕府から時の鐘として公許されました。その後、明治4年(1871)に廃止されるまで、船橋一帯に時を告げていました。
船橋に宿泊した時に、この鐘の音を聞いて、蜀山人大田南浦が詠んだ自筆の狂歌が了源寺に掛け軸として残されています」(船橋市教育委員会)

蜀山人筆狂歌

下総のくに 船橋の宿 光雲山
了源寺ハ こだかき所にて 富士の
高ねはいふに及ばず 伊豆 さがみ 安房
上総の山々 海上につらなり 眺望いはん
かたなし ここに二六の時をつぐる


鐘楼ありきとききて

煩悩の眠をさます時の鐘
きくやわたりに船橋の寺
            蜀山人

富士山から伊豆、相模、安房、上総の山々まで、境内から眺望できたという。

上は、現在の眺望。

すぐそばの大神宮すらおぼつかない。

蜀山人は、本当に伊豆、相模を見たのだろうか。

296号に出ると、大神宮の北の西福寺が見えてくる。

◇真言宗豊山派・船橋山清浄心院西福寺(宮本6-16-1)

門前に「南無大師遍照金剛」の石塔。

側面に「吉橋組聯合准四国八十八ケ所/第三十八番 上州蹉陀山写/当所 五日市信者中」とある。

この准四国霊場は船橋とその周辺を巡るものだが、さらに「汎く弘法大師信仰に利便あらしめんとし」て、平成元年(1989)、「境内に新たに四国八十八ケ所霊場を勧請創設した」。

よって「この霊石に触れ、南無大師遍照金剛の宝号を唱えて巡錫せば、忽ちに多大なる利祥霊験を蒙らんこと疑いなし」。

現代的デザインの六地蔵は、子供が健やかに育ち、富と福を未来永劫に招くようにと、「ふくふく地蔵」というのだそうです。

 船橋宿と船橋大神宮とその周辺の石造物紹介は、これで終わり。

296号線を真っ直ぐ東へ進みます。

「まっすぐ」と云ったのは、この道路はかつての「東金御成道路」で、船橋―東金間37キロはほぼ直線で結ばれているので有名です。

道路造営を命じたのは、家康。

目的は、九十九里方面での鷹狩りというから、剛毅なことです。

更に剛毅なのは、周辺の農民が駆り出され、一晩で完成したから、「提灯街道」、「一夜街道」と呼ばれるのだそうです。

習志野市との市境を超えて再び、船橋市に入るとすぐの三叉路がそのものズバリ「成田街道入口」。

◇成田山道標(前原西1-23)

 

ここで東金街道と分かれ、成田街道になる。

標識の下に、昔の道標。

なぜか火消しの纏風デザインで「左 成田山道」、「右 従是房総街道」(*房総街道=成田街道)と刻まれています。

この分岐点から100mくらいか、路傍に石仏群。

◇路傍の石仏群(前原1-17)

覆屋に5基の庚申塔と道標が1基おわす。

路傍でこれだけ石仏が揃っているのも珍しい。

笠付き青面金剛像の上部は、日月ではなく、火焔。

不動明王を思わせて、さすが成田街道入口にふさわしい。

また、右端の道標は、上に陽刻の不動明王が座して、これこそ成田街道ならではの道標か。

安永六年(1777)に造立されています。

 回更新日は、12月26日です。

≪参考図書とwebサイト≫

 〇湯浅吉美『成田街道いま昔』成田山仏教研究所 平成20年

 〇山本光正『房総の道 成田街道』聚海書林 昭和62年

 〇川田壽『成田参詣記を歩く』崙書房出版 平成13年

 ▽「成田街道道中記」

 http://home.e02.itscom.net/tabi/naritakaidou/naritakaidou.html

 ▽「百街道―歩の成田街道http://hyakkaido.travel.coocan.jp/hyakkaidoippononaritakaidou.html

 ▽「街道歩き旅 佐倉・成田街道」

 http://kaidouarukitabi.com/rekisi/rekisi/narita/narita.html