〈円頓章〉は天台教学の思想のエッセンス。序文は『摩訶止観』を天台大師が口述したとき、これを筆録した弟子の章安が、天台止観の真髄としてまとめたものです。最後の六句は第六祖の渓荊の文で、『摩訶止観輔行伝弘決』のなかで天台大師の一念三千を説明しているところに出ているもの。
「〈円頓章〉
円頓とは初めより実相を縁ず。境にいたるに即ち中なり。真実ならざること無し。
縁を法界に繋(か)け、一念法界なり。一色も一香も中道に非ざる無し。己界および仏界・衆生界もまた然り。
陰入みな如なれば苦の捨つべき無く、無明塵労即ちこれ菩提なれば集として断ずべき無く、辺邪みな中正なれば道の修すべき無く、生死すなわち涅槃なれば滅として証すべき無し。
苦無く集無きがゆえに世間無く、道無く滅無きがゆえに出世間無し。
純(もっぱ)ら一実相にして、実相の外にさらに別法なし。法性寂然なるを止と名づけ、寂にして而も常に照らすを観と名づく。
言ふこと初後なりといえども二無く別無し。これを円頓止観と名づく。
当に知るべし、身上は一念三千なり。ゆえに道を成ずるのとき、この本理に称(かな)い、一心一念、法界に遍(あま)ねからん。」
〈解釈〉
円頓とはあるがままの姿が実相であると仏教を志す初から観ずることです。
観法によれば真理は空にも仮にもとらわれない中にあるということになり、あらゆる存在そのまますべてが真実でないものはないと了知するのです。
つまり初発心において直ちに究竟の真実在に到り着いているということを円頓と表現するのです。
あらゆる現象は縁起によって存在しているから、わが一念もすべての世界につながっている。
言いかえれば、一枝の華も一つまみの香も、どの存在一つをとってみても、それらはすべて中道と表現されるべき真理です。自分の世界も仏の世界も衆生の世界も、同じ真理の世界である。五陰・十二入という全ての知覚も中道であるからこれらから生じる苦の世界も捨てるべきだはなく、苦を招く煩悩も実は菩提であるから断ずることもない。間違った考えも中正といえるので道を修めることもいらない。生死は真理の世界そのものだから死後を証することもいらない。苦も苦のもとの業の集もないから俗世間もなく、業を滅することもそのための修行もいらないから出世間もない。すべては真理であるから真理以外のものはない。生と死に流転する人生そのままが、生死すなわち涅槃であると観法すれば、修行によって涅槃のさとりを証するということもなくなる。真理は、寂然たるものでありこの面を「止」と名づけ、この真理が寂然のまま同時に世を照らすのを「観」という。
このように発心したばかりとか修業中とかいうが、同じである。このような思考と実践を円頓止観という。
一念の心にすべてが具わっていることを観ずることである。わが身も心もあらゆる存在が真理であり、あまねく世界に遍満している。