福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は高野山八傑の一人道範入寂の日。

2024-05-22 | 法話

今日は高野山八傑の一人道範入寂の日。
道範は高野山正智院の学匠。高野山八傑の一人。字は本覺、和泉国船尾の人也。年甫はじめて十四、高野山に登り正智院明任に随て剃髪、志行精勤、學解最も顕る。建仁二年1203八月兼澄の嘱を得て寶光院に住し、建保四年1216十一月朔日、明任を拝して具支灌頂を稟け、又華王院覺海に宗義を問ひ、後京都に出て禅林寺静遍並びに金剛王院寶賢に受法し、御室宗
覚法親王に就きて廣沢流の源底を尽くす。かくて高野山に帰り、中院流の極秘を明任に承け、文歴元年1234正智院に住し、大いに法幡を樹立す。仁治四年1243年正月、大傳法院の事に坐して讃岐に配流せらるるや、國守待つに師禮を以てし、慰問慇懃なり。道範即ち南海の名区大師の蹤跡を巡礼して吟詠を事とし、(四国遍路で73番出釈迦寺の捨身が岳禅定への山道で、道範の「鷲の山、つねにすむなる夜半の月、きたりて照らす峯にぞありける」句碑がありました。)又善通寺に寓して講演を開き、著述に従事し、遠近の道俗その化益を蒙らざるはなし。謫居七年、建長元年1249五月赦に遇ひて山に帰り、
旧居寶光院に住し同年四月疽を患ひ同年五月二十二日寂す。壽七十五.付法に能遍、清圓、隆辨、裕仁、静圓、印頂、賢定、明澄あり。道範は法性・尚柞・真弁とともに覚海門下の四哲と謳れ、殊に覚海より六大不二の奥義を稟承して之を祖述し、その学風は應永の頃(1394年から1428年)長覺によって大成せられ所謂壽門教学となり、六大而二を表とする寶門教学と並称せらるるにいたれり。著は省略。(以上密教大辞典)

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