今日は道長が出家して行観となった日
「大鏡」
「・・御年五十四にならせたまふに、寛仁三年己未三月十八日の夜中ばかりより御胸を病ませたまひて、わざとにおはしまさねど、いかが思し召しけむ、にはかに、二十一日、の時ばかり、起き居させたまひて、御冠し、掻練の御下襲に布袴(ほうこ)をうるはしくさうずかせたまひて、御手水召せば、何事にかと、関白殿をはじめたてまつりて殿ばらも思し召す。寝殿の西の渡殿に出でさせたまひて、南面拝せさせたまひて、春日の明神にいとま申させたまふなりけり。慶明僧都・定基律師して、御ぐしおろさせたまふ。関白殿をはじめとして、君達・殿ばらなど、いとあさましく思せど、思したちてにはかにせさせたまふことなれば、誰も誰もあきれて、え制しまうさせたまはず。あさましとはおろかなり。院源法印、御戒師したまふ。信恵僧都の袈裟・衣をぞ奉りける。にはかのことにてまうけさせたまはざりけるにや。御名は行観とぞ侍りし。」