福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

角田さんの「江戸三十三観音・東京十社巡拝記録第11回目」・・5

2016-03-18 | 開催報告/巡礼記録
角田さんの「第11回目の江戸三十三観音・東京十社巡拝記録」・・5



3月11日、私たちには、忘れることが出来ない東日本大震災の日が、巡ってきました。この日から、5年前の今日11日、東北地方に、大地震と大津波があり、犠牲者は、15,894人にのぼり、いまだに、行方がわからない2,561人の人がいます。この自然災害に加えて、東京電力福島原子力発電所が、被災して、原発事故が発生、未曾有の悲惨な災害が起き、今もなお、約59,000人が、不自由な仮設住宅の暮らしを続けているといいます。このブログを借りて、改めて、すべての犠牲者の方の冥福と、被災地の一日も早い復興をお祈りいたします。

東日本大震災では、私たちは、普段のなんでもない日常生活が送れることがいかに大切なことであったかを、痛切に教えられました。水道の蛇口をひねれば温水が出る。ウオシュレットのトイレを使う。すべて、電気を使う電気製品に頼らなければ、生活が出来ない。スイッチ一つで、お風呂が沸く。等等、なんでもないように、当たり前のこととして、生活しています。ところが、東日本大震災では、この文明の利器を使った生活が、一瞬の内に崩壊し、消滅してしまったのです。東京では、戦時中・終戦後に、頻繁に起きた「停電」を、震災発生時には、計画停電と称して、久々に、電気の点かない日常を経験しました。被災地では、電気・ガス・水道などの生活インフラが、ことごとく、損壊して、住んでいた家屋までも水没し、着の身着のまま、生きれることだけで、精一杯という現実だったといいます。

普段の日常が、一瞬の内に暗転し、阿鼻叫喚の地獄絵となる現実を、私たち日本人は、見たわけです。そして、ごく当たり前の便利な生活が、いかにあり難く、尊く、大事な暮らし方だったかを思い知らされました。そして、今日、5年の歳月が過ぎ、巡ってきました。この間、被災地の人たちの艱難辛苦の生活の再起への努力、町の復興、建設など、筆舌尽くしがたい現実をメディアを通して、見てきましたが、「復興」には、まだ、程遠い現実のようです。

福聚講でも、みんな、被災地の人たちに、助けになることをしなければならないと各自、思い思いに、自分の出来る限りのことをしてきました。犠牲者の冥福と被災地の一日も早い復興を願う祈念もしてきました。高原講元様の主唱で仙台市の荒浜の災害地にも行き、慰霊の巡拝を行いました。昨日のことのように思うのですが、もう、5年も過ぎてしまっていたのです。これから先、5年後は、どうなっているでしょうか。将来に、期待を懸けることしかありません。私たちの小さな力では、出来ることは限られています。せめて、日々、神仏に祈りを捧げ、地獄を見て苦しむ人たちと共に、追体験と共感を持ち、繰り返しながら静かに心から声援を送ることしか出来ません。継続は力なりといいます、三日坊主で終わらないよう、自省をしてゆかねばなりません。そして、このなんでもないような日常生活が送れる事の幸せを、実感しながら、信心を続けることだと思いました。利他行の大切なことと、四弘誓願文の「衆生無辺誓願度」を心がけよという高原講元様の諭しを護って行くことを痛感しています。(角田記)


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