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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

法句経

2013-08-30 | 諸経
第二十四 愛欲の部

三三四 放逸なる人の愛欲は摩魯婆の如く滋茂す、彼は有より有に漂ふ、林中に果を求むる猴の如し。
(摩魯婆―蔓草の名。
有―變化的生存。)


三三五 世に於て猛利なる愛欲に伏せらるゝ人は諸の憂患盛に増長す、茂れる毘羅拏草の如し。
三三六 人あり世に於て此の猛利にして脱れ難き愛欲を能く伏すれば憂患彼を去る、水の滴りが荷葉より(落るが)如し。
三三七 是に由て我汝等に誨ゆ、此處に來會せる者は悉く愛欲の根を掘れ、優尸羅を求むる人は毘羅拏草を(掘るが如く)、以て流れが葦を(穿つが)如く魔羅をして數しば汝等を壞(やぶ)らざらしめよ。
(優尸羅―香菜と譯す。冷藥の名。
摩羅―煩惱、蘊、(因縁積集して成れるもの)死の魔を指す。)


三三八 根侵されずして堅固なれば樹は截らると雖も復た長ずるが如く、是の如く愛欲隨眠壞られざれば、此の(生死の)苦復た起る。
三三九 若し人に可意の物に於て漏泄する強き三十六駛流あれば、貪愛より發する分別の浪は其の惡見者を漂蕩す。
(三十六駛流―六境の愛を六とし、之を欲(感覺)、有(生存)、無有(斷滅)の三に乘じて十八とす、此の十八を更に内に依る愛分別と外に依る愛分別との二とし三十六となる。)


三四〇 流恆に漏泄し、蔓長へに萌す、蔓の生ずるを見れば慧を以て其根を斷て。
三四一 人の喜悦は流漫(ひろがり)して且つ愛著せらる、斯かる人は歡に耽り、樂を求め、生と老と(病と死と)を受く。
三四二 渇愛に驅使せらるゝ人は兎の※(わな)[#「罘」の「不」に代えて「且」、89-9]に係つて走るが如し、結と著とに縛せられて數しば長時の苦を受く。
三四三 渇愛に驅使せらるゝ人は兎の※[#「罘」の「不」に代えて「且」、89-11]に係つて走るが如し、故に比丘は己の離染を求めて渇愛を除遣せよ。
三四四 人あり(在家の)林を出でて(行者の住處なる)林に心を委ね、(在家愛欲の)林を脱して復(また)(愛欲の)林に趣くときは、見よ、此の人は是れ已に解脱して再び縛を求むるなり。
三四五 鐵、木、又は草の縛を賢人は堅固なりと謂はず、珠、環、妻、子に於ける染著顧戀は、
三四六 重く、緩く、脱れ難ければ賢人は此を堅き縛と謂ふ、(彼等は)顧慮なく此を切り欲樂を斷ちて遍歴す。
三四七 貪に著する人は自ら造れる流に沿うて行く、蜘蛛が(自ら造れる線に沿うて行くが)如く、賢人は顧慮なく此を切り、欲を斷ちて遊行す。
三四八 汝は有の際を窮めて、先を離れ、中を離れ、後を離れ、意一切處に於て解脱し、再び生と老と(死と)を受けじ。
(先、中、後―過去、現在、未來三世の蘊に於ける愛欲を指す。)


三四九 尋思に擾亂せられ、貪猛利にして、生活に樂を求むる人の愛欲は倍(ますま)す増長す、彼は眞に縛を堅うす。
三五〇 尋思の寂靜を樂ひ、恆に熟慮し不淨を觀ずる人は必ず魔の縛を滅せん、彼は(魔の縛を)斷たん。
三五一 究竟に到りて懼れず、愛を離れて罪垢なく、有の箭の斷つ是れ最後の身なり。
三五二 愛欲を離れ、取なく、詞の訓釋に通達し、字の合集と(字の)前後とを知る人あらば、其の人こそ最後身を有する大慧者と謂はる。
(字の前後を知る―初の字を聞けば中と後の字は之を聞かざるも此を了解し、後の字を聞けば初と中との字を聞かざるも此を了解し、中の字を聞けば初と後の字は之を聞かざるも此を了解するを云ふ。)


三五三 我は一切に勝ち、一切を知る、一切事件に汚されず、一切を捨て、愛盡きて解脱し、獨り自ら覺る、誰をか教へん。
三五四 法施は一切施中に勝れ、法味は一切味中に勝れ、法樂は一切樂中に勝れ、愛盡は一切の苦に勝る。
三五五 受樂は彼岸を求めざる愚人を殺す、愚人は受樂を貪りて敵を(殺すが)如く己を殺す。
(彼岸―涅槃のこと。)


三五六 田地は草に害はれ、人は貪に害はる、故に離貪者に施せば大果あり。
三五七 田地は草に害はれ、人は瞋に害はる、故に離瞋者に施せば大果あり。
三五八 田地は草に害はれ、人は癡に害はる、故に離癡者に施せば大果あり。
三五九 田地は草に害はれ、人は欲に害はる、故に離欲者に施せば大果あり。
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