goo blog サービス終了のお知らせ 

福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

観自在菩薩冥應集、連體。巻2/6・5/24

2025-03-20 | 諸経

観自在菩薩冥應集、連體。巻2/6・5/24

五泉州水間寺聖観音の縁起幷四十二厄の事。

龍谷山水間寺

https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwjzkv7QyvaIAxUQmq8BHXQyGxIQFnoECFYQAQ&url=http%3A%2F%2Fshin-saigoku.jp%2Ftempl%2Ftempl-004%2F&usg=AOvVaw27FOcHWf8-37vspc-hXYLG&opi=89978449

は聖武天皇の勅願にて行基菩薩開基の霊場なり。本尊は聖観音なり。今昔物語に載す。聖武天皇の御時観音堂はからざるに炎上せるに尊像は光を放って堂外に飛び出るといへり。是に依りて代々の聖主崇敬し玉ひ、順徳院は勅して、境内に殺生を禁じ、後村上帝は勅して祈願寺とし玉へり。泉河摂州の士女厄払いの観音と号して二月初午の日参詣する事夥し。厄は四十二歳を殊に忌み恐るる事火曜なればなり。若し金姓の人火曜に逢へば火剋金の故に必ず災難あり。若し土姓木姓の人ならば相生するが故に災厄あるべからず。羅睺・計都も悪星なり。何ぞ唯四十二歳のみならんや。然るを和国の俗男子は四十二を厄と思ひ、女人は三十三を厄と思へり。四二の音死の訓に濫ずるが故なり。又女人は産生を苦しみ恐る。三十三の聲、産重産の音に同じきが故に忌むならん。但し四十二歳を恐るる事は一の例あり。魏の道秦法師は魏の末の人なり。或時夢中に人あり告げて曰く、汝は四十二歳にして命終べしと。道秦夢覚めて甚だ恐るるに果たして四十二歳にして重病を受けて大に苦しむ。時に法友教て曰く、汝観音を念ぜば必ず寿命を増長すべしと。道秦即ち教に任せて資財を捨て供養し一心に観音の寶号を唱ること四日四夜が間怠らざりければ不思議や坐する處の帷幕の下に忽ち光明あって戸外より入れり。驚き見れば観自在菩薩の足趺踝の間より金色の光を放ち照らして道秦に告げ玉はく、若し機感厚ければ定業も亦能く転ず、若し過現縁浅ければ微苦も亦験なし。若し帰命の心を発さば當に機感の厚きことを知るべし。若し聞て称念せずんば當に宿縁の浅き事を知るべし。汝観音を念ずるやと宣べたまふ。道秦ありがたく涙を流して即ち帷幕を褰げて拝せんとするに即ち見ず。大に汗を流して後體軽くなりて病癒命長かりきと法苑珠林(法苑珠林第十七「晉沙門釋道泰。常山衡唐精舍僧也。晉義熙中嘗夢人云。君之年命當終六七。泰年至四十二。便遇篤病。慮必不濟。悉以衣缽之資。厚為福施。又歸誠屬念稱誦觀世音。晝夜四日勤心不替。時所坐床前垂帷。忽於帷下見人跨戶而入。足趺金色光明照屋。泰乃褰帷遽視。奄然而滅。驚欣交萃。因大流汗。即覺體輕。所患平差」)に見へたり。

二月初午の日は京童稲荷に詣する日なり。是に準ずるか。又稲荷の本地も観音なれば本地垂迹一轍なるものか。馬は観音の宝冠に載き玉ふ者也(馬頭観音の事)。故に初午の日を縁日とするか。されば三十三所巡礼の人甚だ疲れたりと雖も馬に乗らざるは馬頭観音を恐るるが故なり。又水間に参詣の人観音の銭二銭三銭かりて翌年一倍にして返納すれば災を払ひ福を得とて愚蒙の士女多く借り用ゆ。伏して案ずるにこの銭を借り用ゆるが故に常に観音を忘れず時々に寶号を口唱するが故に災を攘ひ福を得るならん。京壬生の地蔵の供物を頂戴し守護して次の年に糯米一升銭十二文を供すれば他の債を蒙らずとて人皆作す中に、或る人死難を免れし事利益集の第一に見たり。水間の銭を拝借すると意同じなるものなり。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今日は防疫のため大般若を転... | トップ | 五來重「宗教歳時記」に彼岸... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

諸経」カテゴリの最新記事