宮中の灌仏会
「公事根源」「灌仏(四月)八日 神事にあたる日は行はれず。灌佛のある日は九日より神事を始めらる。御殿の母屋の御簾を垂れて日の御座を撤してその跡に山形(注1)を立てらる。佛の生まれ給ふけしきを造りて糸にて滝を落とし色々の造り物あり。北の方に机を立て鉢五つに五色の水を入れらる。公卿集まりて殿上に候ふ。女房の布施なども色々に結びたる華に付けて風流などあるを衣筥のふたに入れて臺盤所より出たるれば蔵人とりて殿上の臺盤の上に置く。上達部我が布施の舟つつみを持って御殿の長押の上なる白木の机に置いて次第に座に着く。御料の御布施は紙を置かる。不参の人の布施蔵人置く。
導師の僧まうのぼりて佛前の作法終わりて鉢の水を一つに汲み合わせてまつ゛御導師灌佛す。導師布施給はりて退く。此の佛生會は推古天皇より始まる(注2)。釈迦如来の俱毘羅城にて生まれ給ひける時天龍下りて水を潅ぎて釈迦にあぶせ奉りし事を申すなり。」
注1)「二基有り。一基は青龍の形。もう一基は赤龍の形。」(延喜式)
注2)「日本書紀・推古天皇十四年(606)の条」「この年より初めて寺毎に、四月八日、七月十五日設斎す」