今日天長六年七月十八日は大師が三島大夫為亡息女の追善法要を修された日です。
『性霊集』巻八「三島大夫為亡息女写経供養法華経講説表白文」より
弟子正五位三嶋真人助成、三宝に帰命し奉る。それ恒河の女人(子を抱いてガンジスを渡ろうとして共に溺れた女人がその善根力により天上にうまれお釈迦様の授記を得た話(大乗本生心地観経))は子を愛するによって天上に生じ、坐海の丈夫(海の上で自分を犠牲にして五百人の衆生を救った功徳で世尊となった話(経律異相))は慈悲を発して大覚となる。しかれば兼愛(すべてを平等に愛する)は受楽の因、大悲は脱苦の本なり。三世の如来はこれによって成道し、十方の菩薩はこれを行じて滅を証す。因果相感ずること、あたかも声響の如し。業縁唱和すること、還って形と影とに均し。生縁聚るときは春苑の花もその咲めるに譬うるに足らず。死業至る時は秋の林の葉も何ぞその悲しみに喩うること得む。一たび生じ、一たびは死して、人をして苦楽の水に溺れしむ。たちまちに離れ、たちまちに歿して許幾か人間の腸を絶つ。哀なるかなや、悲しいかなや。
伏して惟んみれば今日の法主三嶋真人の氏、昔、良因を植えて、今、善果に鍾 る。氏はこれ族姓、人は珪璋(珪玉を帯びた貴人)なり。一心にして百君に事(つか)えたてまつる
四摂(布施・愛語・利行・同時)をもって群生を引く。ここに一の鍾愛の女息あり。婦容具して至孝なり。婦徳備わって人に醮しょうす(嫁に行く)。ねがう所は亀鶴の永歳を保って、椿桃の遐年(長寿)に遊ばんことを。誰か図りし、四大の毒蛇忽ちに身城に闘い、五蘊の悪鬼たちまちに心府を乱さんことを。胃を洗う名医、鍼灸験なけん。辺魂の妙香、空しく焚いて力なし。
ついにすなわち去んじ年、七月十七日、露珠蜂荷のうえに翻こぼれ、霜鐘(これは添え字で無意味)枝の下に散ず。紗窓の朝の鏡、忽ちに照覧の影を失い、羅帳の夕べの燈空しく心を焼く焔を余す。嗚呼哀れなるかな、嗚呼哀れなるかな。千たび生死の夢を空しくし、万たび陽炎の仮なることを観ずというといえども、天性の哀しび感じやすく、鍾愛の哀れび抑えがたし。朝夕涙を流し、日夜に慟いたみを含むといえども、亡魂に益なし。
この故に亡児の焭霊(けいれい、霊魂)を済わんがために謹んで金字の妙法蓮華経一部、般若心経一巻を写し奉り、三世の佛、開示悟入の一乗経、普賢・文殊・観音等、舎利・迦葉声聞衆、天竜八部五類の天、本誓利生の願を還念して哀愍加護し、証明知見したまへ。」
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