福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

障害児は『神』であり『福子』あること

2022-01-31 | 法話

障害児は『福子』であること

1、Mさんから「障害児を明治以前の日本社会は『福子』と呼んだ。彼は其の家や地域に福を齎す存在で、彼を疎略にすると、その人に対しては彼が疫病神や貧乏神に転じる」という素晴らしい記事のご紹介がありました。https://ameblo.jp/chousyu-jin/entry-12521049913.html

2,「古事記」によれば、「ヒルコ神」(後の民間伝承で恵比寿様となる)はイザナギとイザナミの第一子として手と足がない蛭(ヒル)のようなお姿で生まれておられます。イザナギとイザナミはこの子を天磐櫲樟船に乗せて海に流してしまいます。民間伝承ではこのヒルコ神(蛭子様)が神戸の沖合に流れ着き、西宮神社のご祭神となり私たちの知る福の神の恵比寿様となったとされます。(猶七福神のお姿を拝見すると七福神のうち六神までが障害を持って居られるようです)。

3,その他にも古事記には、スクナヒコノミコト(注1)、クエビコ(注2)などの神様が現代の基準では「障害者」として書かれていますが何れも並外れた優れた能力の神様として登場されているのです。

4,また各地でお祀りされている淡島神(淡島明神)については、国造りを終えた少彦名神スクナヒコノミコトが粟島(あわしま)から常世の国へ渡って行ったとする記述が古事記等にあることにより御祭神を少彦名神スクナヒコノミコトとしたり、日本書紀で伊弉冉と伊弉諾が国産をおこなったとき「淡島」をうんだが不具の子であったために葦船にのせて流された、この神様を「淡島明神」としてお祀りしているとされます。

 

・(注1)(少彦名命。古事記では神産巣日神(かむむすひのかみ)の子、日本書紀では高皇産霊尊(たかひむすひのみこと)の子。体の小さい神で、大国主神と協力して国づくりを行い、のち、常世国(とこよのくに)に帰った。医薬の神とされる。)

・(注2)(久延毘古。『古事記』によると、大国主神の元に海の向こうから小さな神・少名毘古那神がやって来たが、名を尋ねても答えず、誰もこの神の名を知らなかった。するとヒキガエルの多邇具久が「久延毘古なら、きっと知っているだろう」と言うので、久延毘古を呼び尋ねると「その神は神産巣日神の子の少名毘古那神である」と答えた。

(参考。日本書紀には「一書に曰く、天神、伊奘諾尊・伊奘冉尊に謂りて曰はく、『豊葦原千五百秋瑞穂の地有り。汝往きて脩すべし』とのたまひて、廼ち天瓊戈を賜ふ。是に二神天上浮橋に立たし、戈を投し地を求めたまふ。因りて滄海を画りて引き拳ぐるに、即ち戈の鋒より垂り落つる潮、結りて島に為る。名けて磤馭慮島と曰ふ。二神彼の島に降居し、八尋之殿を化作つ。又天柱を化竪つ。……即ち天柱を巡らむとして、約束りて曰はく、『妹は左より巡れ。吾は右より巡らむ』とのたまふ。既にして分れ巡りて相遇ひたまふ。陰神乃ち先づ唱へて曰はく、『姸哉、可愛少男を』とのたまふ。陽神後に和へて曰はく、『姸哉、可愛少女を』とのたまふ。遂に夫婦と為り、先づ蛭児を生みたまふ。便ち葦船に載せて流しやりき。……故、還複天に上り詣で、具に其の状を奏す。時に天神、太占を以ちて卜合ひたまひ、乃ち教へて曰はく、『婦人の辞、其れ已に先づ揚げたればか。更還り去ね』とのたまひ、乃ち時日を卜定めて降したまふ。故、二神改めて複柱を巡りたまふ。陽神は左よりし、陰神は右よりし、既に遇ひたまふ時に、陽神先づ唱へて曰はく、『姸哉、可愛少女を』とのたまふ。陰神後に和へて曰はく、『姸哉、可愛少男を』とのたまふ。然して後に宮を同じくして共に住まひて児を生みたまひ、大日本豊秋津洲と号す。次に淡路洲。次に伊予二名洲。次に筑紫洲。次に億岐三子洲。次に佐度洲。次に越洲。次に吉備子洲。此に由り之を大八洲国と謂ふ。」「……蛭児を生みたまふ。已に三歳と雖も、脚猶し立たず。故、天磐䗕樟船に載せて、風の順に放棄てたまふ。」「一書に曰く、……蛭児を生みたまふ。此の児年三歳に満つるも、脚尚し立たず。初め伊奘諾・伊奘冉尊、柱を巡りたまひし時に、陰神先づ喜びの言を発げたまふ。既に陰陽の理に違へり。所以に今し蛭児を生みたまふ。……次に鳥磐櫲樟船を生みたまふ。輙ち此の船を以ちて蛭児を載せ、流れの順に放棄てたまふ。」)。

(参考、戸令「戸主条(へぬしじょう)」では障害者には当時の過酷な税を軽減する措置が定められていました。これなどはまさに障害者の現世利益ともいえる福徳でしょう。「凡そ戸主には、皆家長を以て為よ。戸の内に課口有らば、課戸と為よ。課口無くは、不課戸と為よ。不課といふは、……癈疾、篤疾、妻、妾、女、家人、をいふ。」)

 

 

 

3,以前福聚講のブログでも「代受苦の菩薩」のことを書いていました。「・・・代受苦の思想というものがあります。最近のリーダーは昔のリーダーと違いこの代受苦の思想が全く分からなくなっています。 しかし悩みを抱えた遍路に千数百年間お接待を続けた四国の人々はこの関係をちゃんと判っていました・・苦難にあえぎ病苦に苦しむ人たちは我々の業を代わって引き受けてくださっている菩薩(代受苦の菩薩)であるということです。聖武天皇妃、光明皇后は病者に施浴しましたが、らい病患者の膿を吸ってやったところ患者は阿閦如来の姿を現したといわれています。

https://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/ba04f4acf4055707509be56a351d6114

4, 四分律というお経では仏様が「人若し我を供養せんと欲せばまず病人を供養すべし」とおっしゃっています。文殊師利般涅槃経には「(文殊師利菩薩は)自ら化身して貧窮孤独苦悩の衆生となって行者のまえにいたる」とあります。(佛告跋陀波羅。此文殊師利法王子。若有人念。若欲供養修福業者。即自化身。作貧窮孤獨苦惱眾生。至行者前)。

 華厳経(金剛幢菩薩十回向品)では 菩薩が「我まさに一切衆生のために無量の苦を受け諸の衆生をして解脱を得しむべし」といい、大宝積経では「我ことごとく代わって、諸の衆生をして(この世の)大地獄を出しめて、我代わって苦を受け・・・」とあります。

 大般若波羅密多経第四十七巻には「一切の地獄、傍生鬼界人天趣の中の有情の受くるところの苦悩、我当に代わって受け、彼をして安楽ならしむべし(地獄、餓鬼、畜生、人間界、天界などの生き物の苦悩を菩薩は代わって受けこれらのものを安楽にしてやる)」とあります。」

いずれにせよ経典でも障害者は仏様であり業深き衆生に功徳を積む機会を与えてくださっている存在です。

 
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