福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

西行の娘の話

2022-05-21 | 法話

西行の娘の話

(当方も約40年前妻子をのこして高野山真別所に数か月修行にでるとき似たような気持になりました。レベルは違いすぎますが・・)

 

1,西行物語(出家のため娘を縁側から蹴落とす場面)

「・・年頃いとほしく思ふ、娘の四になるもの、ふり分けかみも肩すぎぬ程にて、よに﨟たげなるありさまに、何心なく椽に走り出て父のおはしますうれしさよ、何ぞやおそく御かへりありける。君のおゆるしなかりけるにやなどいひて世にいとけなき撫子の姿にて狩衣の袂にすがりけるを類なく愛ほしくは思へども、過ぎにしかた出家をとどまりしも此の娘故なり、されば第六天の魔王は一切衆生の佛になることをさへむがために妻子といふきつ゛なをつけおき出離をさまたぐといへり。これを知りながら如何で愛着の心をこさんや。これこそ陣の前の敵、煩悩の起きつる始めなりと思ひて、此の娘をなさけなく椽より下へ蹴落したりければちひさき手を顔におほひ猶父をしたひければ、これにつけても心苦しくは思へども聞き入れぬさまにて内へ入ぬ・・」

 

2,発心集・西行法師が女子、出家の事(西行は酷くも4歳の娘を蹴落としたが娘はのちに西行の言いつけ通り尼になる話)

西行法師出家しける時、跡をば弟なりける男(佐藤仲清、後藤又兵衛は子孫)に云ひつけたりけるに、幼き女子の殊にかなしうしけるを、さすがに見捨てがたく、いかさまにせんと思へども、うしろやすかるべき人も覚えざりければ、のほこの弟のぬしの子にして、いとほしみすべきよし、ねんごろに云ひおきける。

かくてここかしこ修行してありく程に、はかなくて二三年になりぬ。事の便りありて、京の方へめぐり来たりける次に、ありし此の弟が家をすぎけるに、きと思ひ出て「さても、ありし子は五つばかりにはなりぬらん。いかやうにか生ひなりたるらん」とおぼつかなく覚えて、かくとはいはねど門のほとしにて見入れける折りふし、此の娘いとあやしげなる帷子姿にて、げすの子どもにまじりて、土にをりて立蔀の際にて遊ぶ。髪はゆふゆふと肩の程に帯びて、かたちもすぐれ、たのもしき様なるを「某れよ」と見るに、きと胸つぶれて。いと口惜しく見たてたる程に、此の子の我が方を見おこせて「いざなん、聖のある、おそろしきに」とて内へ入りにけり。此の事、思はじと思へども。さすがに心にかかり日来ふる程に、もしかやうの事をや知り聞かれけん、九条の民部卿の御娘に、冷泉殿と聞これける人は、母にゆかりありて「我が子にして、いとほしみせん」とねむごろに云はれければ「人柄も賤しからず、いとよき事」とて急ぎわたしてげり。

本意の如く、またなき者にかなしうせられければ、心安くて年月を送る間に、此の子十五六ばかりになりて後、此のとり母(継母)の弟のむかへばらの姫君に、播磨三位家明と聞こえし人を聟に取られけるに若き女房など尋ね求むるに「やがて此の姫君も上臈にて一つ所になるべければ、便りもあるべし。親などもさるものなり(ひとかどの者だ)」とて此の子をとり出て、わらはなむさせける(女の召使とした)。

西行、この事を洩れ聞きて、本意ならず覚えけるにや、此の家ちかく行て、かたはらなる小家に立ち入りて、人をかたらひて、忍びつつ呼ばせける。娘いとあやしくは覚えけれど、ことざまを聞くに「我が親こそ、聖にてありと聞きしか。さらでは、誰かは我を呼び出でん」とと思ふに、「日比,見で止みなんと心うかりつるを、もしさらばいみじからん」と覚えて、やがて使ひに具して人にも知られず出にけり。

かしこに行て見れば、あやしげなる法師の痩せくろみたる、麻の墨染の衣・袈裟など誠にあわれに覚えて、涙ぐみつつこまやかに打ちとけかたらふ。西行はありし土遊びの時きと見しにあらぬものに生ひ、あさりて、いと清げなるを見るにも、さこそ思ひ捨つる世なれど、さすがにこればかりをばえ見過さず。事の有様など聞きてむすめに云ふやう、「年来は行方も知らず、姿をだに今日こそ初めて見るらめ。されども親子となるは深き契りなり。我が申す事聞きてむや。違へらるまじくは、云はん(誤解しないなら言う)」と云ふ。娘の云ふやう「まことに親にておはしまさば、いかでか違へ奉るべき」と云ふ。「しかあらば申さん」と云ふ。「そこの生れ落ちしより、心ばかりははぐくみし事は、おとなになりなん時は、御門の后にも奉り、もしはさるべき宮ばらのさぶらへをもせさせんとこそ思ひしか。かやうのつぎの所(二流の所)にまかなひさせて聞こえんとは、夢にも思ひよらざりき。たとひ、めでたき幸ひありとても、世の中の仮なる様、とにかくに心やすき事もなかんめるを、尼になりて母がかたはらに居て、佛の宮仕へうちして、心にくくてあれがしと思ふなり」と云ふ。

やや久しく打ち案じて「承りぬ。はらひ給はせんこと、いかでかたがへ奉らん。さらば、いつと定め給へ。其の時いずくへも参りあはん」と云ふ。「若き心にありがたくもあるかな」と返す返す喜びて、しかじか、其の日めのとのもとへ行きあふべき事よくよく定め契りて帰りぬ。

此の事、又知る人もなければ、誰も思ひよらぬ程に、明日になりて「此の髪を洗はばや」と云ふ。冷泉殿の聞きて「ちかう洗ひたるものを、けしからずや」など云はれければ、只ことさらに伝へば、「物語でやうの事(参詣等に行くのかも)なめり」と思ひて、洗はせつ。

明る朝に「急ぎてめのとのもとへ行くべき事のある」と云へば、車など沙汰して送る。今すでに車に乗らんとする人の「しばし」とて帰り来て、冷泉殿にむかひて、つくつくと顔うち見て云ふこともなくて、立ち帰りき。車に乗りて去りぬ。あやしく覚ゆれど、かかる事あるべしとはいかで知らん。

かくて、久しく帰らねば、おぼつかなく尋ねけるを、しばしばとかく云ひやりけれど、日来経れば、かくれなく聞こえぬ。冷泉殿は五つよりひとへに我が子のやうして片時かたはら離るる事なくてならはしはぐくみ立てたるうちにも、おとなびゆくままに、心ばえもはかばかしう、事にふれてありがたきさまなれば、深く相ひたのみて過ぎけるに、かく思はずして永く別れぬれば「うらめしかりける心つ゛よさかな」と云ひつつ゛けてぞ恨み泣かれける。「但し、少し罪許さるる事とては、既に車に乗りし時、『又見まじきぞかし』と、さすがに心ぼそく思ひけるにこそ。させる云ふべき事もなきに、しばし立ち帰りて、我が顔をつくつ゛くとまもりて出てにしばかりを、恨めしき中に、いささかあはれなる」とぞ云はれける。

さてさて此の娘、尼になりて、高野のふもとに天野といふ所にさいだちて母が尼になりて居たる所に行きて、同じ心に行ひてなむありける。いみじかりける心なるぞかし。

彼の養ひ親の冷泉殿も、後にはたふたく行ひて、もとより絵かく人なりければ、日々の所作にて、丈六の阿弥陀仏を書きたてまつられける。命をはりける時には、其の佛の御姿、空にあらはれて見え給ひけるとぞ。」(終わり)

 

 

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