9、
若有衆生。多於婬欲。常念恭敬観世音菩薩。便得離欲。若多瞋恚。常念恭敬観世音菩薩。便得離瞋。若多愚癡。常念恭敬観世音菩薩。便得離癡。無尽意。観世音菩薩。有如是等大威神力。多所𩜙益。是故衆生。常応心念。
若有女人。設欲求男。礼拝供養観世音菩薩。便生福徳智慧之男。設欲求女。便生端正有相之女。宿植徳本。衆人愛敬。無尽意。観世音菩薩。有如是力。若有衆生。恭敬礼拝観世音菩薩。福不唐捐。
「若し衆生有りて婬欲多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬(くぎょう)せば、便(すなわ)ち欲を離るることを得ん。
若し瞋恚多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち癡を離るることを得ん。
若し愚痴多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち癡を離るることを得ん。無尽意よ、観世音菩薩は是の如き等の大威神力有りて、𩜙益する所多し。是の故に衆生、常に心に念ずべし。(これまでは口唱が条件であったが、ここは意業を説く。三毒章といわれ、心に常に観音様を念ずれば業苦の凡夫が観世音の慈光に照らされて貪瞋痴を離れ法性清浄の自然体となる。那須政隆師「観音経講話」)」
「若し女人有りて設し男を求めんと欲し、観世音菩薩を礼拝し供養せば、便ち福徳・智慧の男を生まん(般若の智慧を得ることができる)。
設し女を求めんと欲せば、便ち端正有相の女の、宿(むかし)徳本を植えて衆人に愛敬せらるるを生まん(慈悲を得ることができる)。
無尽意よ観世音菩薩は是の如くの力有り。若し衆生有て、観世音菩薩を恭敬礼拝せば、福は唐捐(むだ)ならず。」
・高群逸枝の「お遍路」によると彼女の母は長女を流産し地元筑後の清水観音に願掛けをして次は女の子を授かり無事に育てさせて欲しいと祈ったそうです。そのお陰を受け次女の逸枝は明治27年1月18日つまり観音様の日に生まれています。のちに逸枝は「・・・幼少期私は時々死ぬほどの大病をすることがあった。其の都度母は清水観音を念じてくれ、翌日けろりと治った。この経験が母の信仰を不動のものにしていたのは疑いも無い。」と述べています。
若有衆生。多於婬欲。常念恭敬観世音菩薩。便得離欲。若多瞋恚。常念恭敬観世音菩薩。便得離瞋。若多愚癡。常念恭敬観世音菩薩。便得離癡。無尽意。観世音菩薩。有如是等大威神力。多所𩜙益。是故衆生。常応心念。
若有女人。設欲求男。礼拝供養観世音菩薩。便生福徳智慧之男。設欲求女。便生端正有相之女。宿植徳本。衆人愛敬。無尽意。観世音菩薩。有如是力。若有衆生。恭敬礼拝観世音菩薩。福不唐捐。
「若し衆生有りて婬欲多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬(くぎょう)せば、便(すなわ)ち欲を離るることを得ん。
若し瞋恚多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち癡を離るることを得ん。
若し愚痴多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち癡を離るることを得ん。無尽意よ、観世音菩薩は是の如き等の大威神力有りて、𩜙益する所多し。是の故に衆生、常に心に念ずべし。(これまでは口唱が条件であったが、ここは意業を説く。三毒章といわれ、心に常に観音様を念ずれば業苦の凡夫が観世音の慈光に照らされて貪瞋痴を離れ法性清浄の自然体となる。那須政隆師「観音経講話」)」
「若し女人有りて設し男を求めんと欲し、観世音菩薩を礼拝し供養せば、便ち福徳・智慧の男を生まん(般若の智慧を得ることができる)。
設し女を求めんと欲せば、便ち端正有相の女の、宿(むかし)徳本を植えて衆人に愛敬せらるるを生まん(慈悲を得ることができる)。
無尽意よ観世音菩薩は是の如くの力有り。若し衆生有て、観世音菩薩を恭敬礼拝せば、福は唐捐(むだ)ならず。」
・高群逸枝の「お遍路」によると彼女の母は長女を流産し地元筑後の清水観音に願掛けをして次は女の子を授かり無事に育てさせて欲しいと祈ったそうです。そのお陰を受け次女の逸枝は明治27年1月18日つまり観音様の日に生まれています。のちに逸枝は「・・・幼少期私は時々死ぬほどの大病をすることがあった。其の都度母は清水観音を念じてくれ、翌日けろりと治った。この経験が母の信仰を不動のものにしていたのは疑いも無い。」と述べています。