成仏とは「覚る」ことであるとは大日経疏の言です。
(大日経疏巻一「成仏とは具足せる梵音にはまさに成三菩提といふべし。これ正覚正知の義なり。いわく如実智を以て過去未来現在の衆生数と非衆生数と有常と無常等との一切諸法を知る。皆了了に覚知するがゆえに、名ずけて覚となす。しかも佛といふはすなわちこれ覚者なり。ゆえに省ける文に就いて但だ『成仏』というなり。」)
そして「覚」とは・・・「自他」、「生死」の区別をなくすること、すべてを一つと感じることです。・・・
(大日経疏巻一「成仏とは具足せる梵音にはまさに成三菩提といふべし。これ正覚正知の義なり。いわく如実智を以て過去未来現在の衆生数と非衆生数と有常と無常等との一切諸法を知る。皆了了に覚知するがゆえに、名ずけて覚となす。しかも佛といふはすなわちこれ覚者なり。ゆえに省ける文に就いて但だ『成仏』というなり。」)
そして「覚」とは・・・「自他」、「生死」の区別をなくすること、すべてを一つと感じることです。・・・