福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

角田さんに十五日の涅槃会の模様を記録していただきました。

2011-02-18 | 開催報告/巡礼記録
2月15日は、お釈迦様が、入滅された涅槃の日です。前日14日には、夕方から、大雪が降りだし、みるみる雪が積もり、明け方には、多摩地方では、20センチの積雪がありました。交通機関に混乱があるかと予想しましたが、さして混乱が無く一安心。

東京・文京の大本山・護国寺では、本堂で涅槃会が行われ、参拝に行ってきました。涅槃会は、朝11時からでしたが、すでに、高原先達様が居られて、御一緒に参拝しました。

涅槃会は、本堂正面に、大きな涅槃図の軸が掛けられ、その前に、壇が、しつらえてあり、式衆が前讃を唱え、参詣者全員で般若心経・観音経を読誦するなか、護国寺貫首・岡本永司師が、修法を修せられました。広い堂内は、火の気のない、凛とした張りつめた空気の中、読経する僧侶たちの口から吐く息が白く鮮やかでした。

法要のあと、岡本貫首様が、「涅槃」について、法話されました。「涅槃にも、生きていて悟る『有余涅槃』と、此の涅槃図の様に心身共に寂滅した状態をさす『無余涅槃』がある。『涅槃』とは『真理』のことでもあり、涅槃に入られたお釈迦様は、2000年後の今も、私たちに説法してくださっている」ことなど、お話し戴きました。

この後、高原先達様と本堂に掛けられた、曼陀羅図の軸と涅槃図の軸を、拝しながら、解説をして頂きました。曼陀羅図は、仏様の「悟り」の境地を、形象化したものであるとともに今現在此処が曼荼羅であるということを図像化して示してくださっているものだそうです。信者達に、こういう真理の世界をどのようにして伝えることが出来るか!昔の先人たちが、苦労したであろうことが、懐かしく思われました。私だったら、「悟り」の世界をどのように、表現するだろうか?と、ふと思いました。涅槃図は、これまで、ああ、仏様の入滅される絵だなと、何気なく見入っていたものでしたが、この日は、定形化した図像である涅槃図にも、この図像を考案した、昔の画家たちの感得したであろう、映像の世界を、想像して、興味が触発されました。有り難い功徳です。

さて、今年の涅槃会の参拝は、正直申して、高野山やお不動様の参拝の時と違って、予め、自分の行動予定を立てて、参拝当日を、心待ちにしている時とは違い、カレンダーの上での年中行事の一つとしてやり過ごすしがちになるのではないかと思いました。今回も、すこし、腹の具合が悪いので、高原先達様に、参加申し込みをしていませんでした。

が、不思議なものです。当日前夜、言葉では、表現できない、内面の促しがあり、翌朝、自然と、涅槃会に行くのだと、体が動いてしまうのでした。明日は、涅槃会に行くのだ、という、気負いもなく、ごく自然に動いてしまうのでした。本当に、不思議なことでした。
高原先達様から、「いろいろな有難い「場」にくるその「場」が大切なのです。その「場」に、入ることによって、今までの自分には、なかつた「空気」〔気配〕に包まれてそこから仏様の心に触れることになり、自分の体の中に有難いその場の霊気が沁み込んでくる。これを繰り返していくと自然に体に有難さが染込んできます。是を『薫習』といいますがこれが有り難いのです」というようなお話を聞かせて戴きました。思い起こせば、私に起きた色々な出来事は、「場」の経験と、「沁み込んでくる」神秘的な感覚にも似た知覚から、成立していると思った次第です。

と云う訳で、早起きは三文の徳で出かけた、私の涅槃会の感想です。(角田)
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