五月五日の端午の節句について(「宗教祭歳時記・五來重」の関連部分の大意)一国の文化を考える時、これをすべて外来文化として解釈することは極めて容易である。何故かとえば、外来文化を受容したのは文字の分かる文化人・知識人、したがって古代・中世では支配階級だったから文献や史料がのこっている。しかし庶民は文字に書かれないながらも彼等なりの生活と文化を持っていたのであって、それは外来文化の影響を受けない日本民 . . . 本文を読む
日本紀略 / 延喜十二年(912)五月五日条「五月五日 節会。 名社并びに十五大寺に仁王経を読ましめ、 疾疫の事を祈る」(天皇は醍醐天皇。このころ、延喜八年(908)から同十一年(911)にかけて、日照・疫病・洪水・大雨などの災害も相次ぎそれらが道真の怨霊の祟りとされてもいました。) . . . 本文を読む
今日5月5日は専譽僧正御入滅の日です。いつも護国寺で最後に「南無専譽僧正」とお唱えしますが専譽僧正は新義真言宗長谷寺第一世です。享禄3年(1530)から慶長9年5月5日。根来寺・比叡山・園城寺・醍醐寺等で学び聖空より中性院流の奥義を伝授され、1584(天正12)年豊臣秀長に乞われて長谷寺に入り新義派の根本道場としています。秀長・秀吉・家康の助力で豊山派の基礎をきずきました。 . . . 本文を読む