○モーツァルト 交響曲第29番 ベーム/ウィーン・フィル 1973年6月4~16日(ビデオ収録)
数年前発売されたベームのモーツァルト交響曲集の3枚組DVDのうちの1曲。
ベームの29番というと1977年来日時の演奏が思い出に残っています。と言って演奏会を聴きにいったわけではなく、その数年後、おそらく1981年頃、大学の先輩のアパートで聴かせてもらったのが初めてです。
とくかく1楽章のテンポが遅かったのが印象に強く残っています。そして、主部の終わり部分、繰り返しの前と展開部に移るときにぐっとテンポを落とすところが新鮮で、早めのテンポ(というより普通のテンポなのかも知れませんが)のフリッチャイ/ウィーン響と違う魅力を感じたものでした。
DVDは、来日公演の4年前の演奏ですが、(1楽章が来日公演より少し早めかなと感じましたが)あのとき聴いたときと同様の印象で、素晴らしい演奏です。映像で観るベームは、若々しく感じます。
○ドヴォルジャーク 交響曲第9番「新世界より」 コンヴィチュニー/バンベルク交響楽団 1961年
私が中学2年のとき、友達になった転校生が持っていたレコードを聴かせてもらったのが、クラシック音楽を聴くきっかけになったのですが、その時の曲がこの演奏です。
とても素朴で渋い演奏です。
1楽章序奏でホルンが出るところ、一音目を長く吹いています。これはフリッチャイの新盤、バーンスタインの新旧両盤でもやっていて、とても印象的です。また、ティンパニが強く重厚に響きわたります。
ホルンは濁りのない素晴らしい響きを随所で奏でます。
ティンパニは3楽章でもずっしりと雷が落ちるような重さを持って叩かれています。また、スケルツォ部の終わり部分で、ホルンが主題を吹くところがありますが、裏に回ることなくよく聴こえます。
4楽章のコーダで2楽章の序奏を回想する部分で、ぐっとテンポを落としているところで意表をつかれます。
○モーツァルト ピアノ協奏曲第17番 河村尚子(Pf)、下野竜也/群馬交響楽団 2007年6月16日(ライヴ)
○ブルックナー 交響曲第9番 下野竜也/群馬交響楽団 2007年6月16日(ライヴ)
群響437回定期のFM放送をエアチェックしたもの。
モーツァルトの17番の協奏曲は初めて聴く曲でしたが、とてもモーツァルトらしくって良かったです。
ブルックナーは、大変広大深遠でとても素晴らしい演奏でした。しかし、しかし最後の最後、あと数秒で終わるところで携帯電話の着信音。残念でした。(録音にもしっかり残っていました。)
○ドヴォルジャーク 弦楽五重奏曲第1番 ヴラフ四重奏団、キィセラーク(Va) 1997年5月30、31日
○ドヴォルジャーク 弦楽五重奏曲第3番 ヴラフ四重奏団、キィセラーク(Va) 1997年4月12、13日
弦楽五重奏曲第1番は、1861年6月6日付けで完成されたドヴォルジャーク19歳のときの作品です。ドヴォルジャークはこれまでもいくつかの曲を書いていましたが、作品番号1と初めて作品番号をつけています。
「スメタナ、トヴォルジャーク」を著した渡鏡子さんによると「スケルツォなしの3楽章でベートーヴェンの影響の濃く見られる」作品です。1、2楽章ともどこかで聴いたようななつかしさを感じる主題です。3楽章は、モーツァルトのピアノ四重奏曲第1番の第1楽章の主題に酷似しています。
第3番は、ドヴォルジャークがアメリカ滞在中、有名なアメリカ四重奏曲に続いて作曲されています。曲はアメリカよりも更にアメリカ的、インディアン的です。
※作品1と作品97の間に編成の違う弦楽五重奏曲があるのを忘れていて、作品97を第2番と誤って表記していましたので、3番に訂正しました。
○モーツァルト ピアノ協奏曲第19番 小川典子(Pf)、高関健/群馬交響楽団 2008年7月19日(ライヴ)
○ブルックナー 交響曲第5番 高関健/群馬交響楽団 2008年7月19日(ライヴ)
群響447回定期のFM放送をエアチェックしたもの。
ブルックナーの5番は、ヨッフムが晩年にアムステルダム・コンセルトヘボウを指揮したものを10年くらい前に購入して、何回か聴きましたが、混とんとしていて、曲の良さが理解できないままおクラ入りしていました。
そんな状態で定期を聴いたものですから、2楽章がかなり長く感じ、不覚にも途中から記憶にありませんでした。FM放送で聴いて初めて美しい曲とわかりました。終楽章は、壮大かつ堂々としていて、とても力のこもった演奏です。
モーツァルトの協奏曲は、ハスキルのように自然で流れるような感じは乏しいですが、一音一音くっきりとアクセントをつけており、これはこれで大変好感の持てる演奏です。
○ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」 ベーム/ウィーン・フィル 1977年3月2日(ライヴ)
ベーム/ウィーン・フィルの来日公演の録音。
この演奏は、大学に入学した年の1977年4月にNHKテレビで放映され、当時住んでいた学生宿舎の共用棟のテレビで何人かの同好者と一緒に観ました。
当時、ベームは大変な人気で、それは開始前、後の熱烈な拍手でもはかり知れます。
CDの解説で宇野功芳氏が絶賛しているように大変素晴らしい演奏と思います。特に2楽章と3楽章が絶品です。
2楽章は遅いテンポの中、清涼な音楽が奏でられます。3楽章のテンポの遅さには驚きましたが、決してもたれることはなく、緊張感に満ちた演奏をしていいて、それがテレビを観ている私にも伝わってきました。
(おかげさまでブログを初めて1年になりました。)
○シューマン 交響曲第3番「ライン」 クーベリック/ベルリン・フィル 1964年2月24~27日
○シューマン 交響曲第4番 クーベリック/ベルリン・フィル 1963年2月18~22日
○シューマン 「マンフレッド」序曲 クーベリック/ベルリン・フィル 1964年2月24~28日
クーベリックがベルリン・フィルと録音したシューマン交響曲全集のうちの後半の2曲。
クーベリックはフルトヴェングラーの精神的後継者と呼ばれたことがありますが、4番はまさにフルトヴェングラーを思わせる演奏です。スケールが大きく、時に引きずるように大きくテンポを落としています。
4番を録音している途中(1番もそうですが)、フリッチャイが亡くなっています。ちょうどクーベリックがベルリンに滞在していたことで、ベルリン放送交響楽団とフリッチャイ追悼演奏会を指揮することになったわけです。
私の勝手な想像ですが、そもそもこの時期にクーベリックがベルリンにいたのは、フリッチャイによる招へいではないかと思っています。
1962年6月にベルリン放送響のメンバーがフリッチャイを見舞ったときの様子がフリッチャイ回顧録に次のように載せられています。
「(フリッチャイは)私たちが共演する指揮者やソリストについてのプランを作成したのです。そこでは、・・・ラファエル・クーベリックの名が幾度も挙げられていました。」
○ヤナーチェク 草かげの小径にて 第1集、第2集 クヴァピル(Pf) 1989年
この曲集は、標題のついた第1集10曲と標題のない第2集5曲からなります。
最初7曲が、ハルモニウム用に書かれましたが、後に5曲をピアノ用に改作、さらに5曲を作曲して10曲の曲集として出版されました。第2集は、ハルモニウム用に書かれた残りの2曲と新たに作曲された3曲を加えて、ヤナーチェクの死後に出版されたものです。
終曲を除いて華やかさには乏しいですが、ヤナーチェクらしい自然や人の話し声などの描写が素晴らしいです。終曲はマズルカ風で華やかな曲です。
私は1集の2曲「落ち葉」が好きです。落ち葉からはらはらと落ちる様子が目に浮かぶようです。
また、2集の2曲もどこか神秘的で魅力です。
クヴァピルはヤナーチェクのピアノ独奏曲すべてとピアノを含む曲のおもなものを2回録音していて、この録音は2回目のものです。
1回目の録音が少し味けない感じがするのに比べ、2回目の録音は、深みが増した素晴らしい演奏と思います。
○ドヴォルジャーク 八つのユモレスク クヴァピル(Pf) 1967年~1970年
○ドヴォルジャーク 影絵 クヴァピル(Pf) 1967年~1970年
チェコのピアニスト、ラドスラフ・クヴァピルによるドヴォルジャーク、ピアノ音楽全集(全集とは言いながら、3曲ほど欠けています。)からのお気に入りの2曲。
ユモレスクは、ドヴォルジャークがニューヨークのナショナル音楽院の院長在任中、夏期休暇で3年振りにチェコに帰省した際に作曲された曲です。もともとはスコットランド舞曲ということで作曲を始めたようですが、最終的には「ユモレスク」という題名になったとのことです。
有名な7曲はもちろんのこと、どの曲も愛らしい小品ですが、終曲の8曲だけは、とても壮大な曲です。この曲は、ドヴォルジャークがナイヤガラの滝を見た時の感動を表したもので、彼は、このときスケッチした動機を用いて交響曲を作曲するつもりだったようですが、実現には至りませんでした。
この曲を聴くにつけ、彼の第10交響曲が完成していたら、壮大で偉大な曲になっていただろうと思う次第です。
影絵は、12曲からなる小品集です。1879年に出版された曲ですが、第1、第2交響曲や、歌曲集「いとすぎ」など1865年に作曲された曲の主題が用いられています。
ここで重要なのは、第1交響曲の主題が用いられているということです。ここには、第1、3、4楽章の主題が使われています。
第1交響曲は、ドヴォルジャークがドイツのコンクールの応募したもので、そのまま返却されず、ドヴォルジャーク自身は破棄したものと思っていたのです。ところが、奇しくも同名のルドルフ・ドヴォルジャークというという東洋学の学生がライプチヒの古本屋で発見し、公表せずにずっと保管していたのです。彼の死後の1923年、親族がその存在を公表し、筆跡と影絵に上記のように主題のいくつかが使われていることから、ドヴォルジャークの第1交響曲に間違いないということになったのです。
影絵は、そんな重大な事実を含んでいた曲でした。
クヴァピルは、決して華美な表現はせず、控えめだが、味あいのある演奏をしています。