今日は、分倍河原に演奏会を聴きにきたので、周辺に何か鉄道遺産はないかと事前に調べたところ、とても貴重な遺産が二つもありました。
一つ目は、下河原線跡です。下河原線は、国分寺駅から分岐していた中央本線の支線で、途中から東京競馬場前駅へ行く線路と、砂利輸送を主とした下河原まで行く貨物線がありましたが、東京競馬場前駅は1973年の武蔵野線開業とともに廃止され、残った貨物線も1976年に廃線になっています。
そして、廃線跡は今「下河原緑道」として歩行者と自転車用の道路になっています。
こちらは、東京競馬場前駅へ行く線(左側)と下河原へ行く線(直線側)に分岐していた箇所です。この分岐箇所は東京競馬場駅の構内だったようです。
こちらは東京競馬場前駅があった場所です。長いホームがあったそうです。駅で降りて、南武線の地下を通って、競馬場に行ったそうです。
電車ごっこの像があります。
こちらは、下河原方面へまっすぐ行ったところです。下河原方から撮りました。
もう一つは、鉄道遊園の中にありました。
まずはD51。
そして一番貴重なものと思ったのがED10。
動輪が2軸の国鉄の電気機関車があったことを初めて知りました。それも元々は蓄電池機関車だったとのこと。専ら王子の貨物支線で使われていたとのことです。
都電も展示されていました。
分倍河原駅前の踏切で京王線の列車を撮りました。
分倍河原駅です。
この駅は不思議な地形です。
駅の南側の地面は駅から階段で降りた南武線と同じ高さなのに北側は駅の高さと同じなのです。南武線の南北で地面の高さが1階分違っているみたいです。
駅の南側には、新田義貞の像がありました。
像の説明文を読むと、分倍河原で新田義貞軍と鎌倉幕府軍が対峙し、最終的に義貞軍が勝利し、鎌倉幕府が滅亡するきっかけになったそうです。そういえば、下河原緑道に行く時も「鎌倉街道」がありました。
一つ目は、下河原線跡です。下河原線は、国分寺駅から分岐していた中央本線の支線で、途中から東京競馬場前駅へ行く線路と、砂利輸送を主とした下河原まで行く貨物線がありましたが、東京競馬場前駅は1973年の武蔵野線開業とともに廃止され、残った貨物線も1976年に廃線になっています。
そして、廃線跡は今「下河原緑道」として歩行者と自転車用の道路になっています。
こちらは、東京競馬場前駅へ行く線(左側)と下河原へ行く線(直線側)に分岐していた箇所です。この分岐箇所は東京競馬場駅の構内だったようです。
こちらは東京競馬場前駅があった場所です。長いホームがあったそうです。駅で降りて、南武線の地下を通って、競馬場に行ったそうです。
電車ごっこの像があります。
こちらは、下河原方面へまっすぐ行ったところです。下河原方から撮りました。
もう一つは、鉄道遊園の中にありました。
まずはD51。
そして一番貴重なものと思ったのがED10。
動輪が2軸の国鉄の電気機関車があったことを初めて知りました。それも元々は蓄電池機関車だったとのこと。専ら王子の貨物支線で使われていたとのことです。
都電も展示されていました。
分倍河原駅前の踏切で京王線の列車を撮りました。
分倍河原駅です。
この駅は不思議な地形です。
駅の南側の地面は駅から階段で降りた南武線と同じ高さなのに北側は駅の高さと同じなのです。南武線の南北で地面の高さが1階分違っているみたいです。
駅の南側には、新田義貞の像がありました。
像の説明文を読むと、分倍河原で新田義貞軍と鎌倉幕府軍が対峙し、最終的に義貞軍が勝利し、鎌倉幕府が滅亡するきっかけになったそうです。そういえば、下河原緑道に行く時も「鎌倉街道」がありました。