○ドヴォルジャーク 交響曲第1番「ズロニツェの鐘」 佐伯正則/ナズドラヴィ・フィル 2009年1月18日(ライブ、日本初演)
○ドヴォルジャーク 「ルサルカ」からポロネーズ 佐伯正則/ナズドラヴィ・フィル 2009年1月18日(ライブ)
「ナズドラヴィ・フィルハーモニーは、ドヴォジャーク、スメタナなどチェコ音楽を中心に演奏するアマチュア・オーケストラです。」とこのオーケストラのウェブ・サイトで説明しています。
この演奏会が開催されるのを知ったのは、「チェコフィルの世界」というウェブサイト。ここの管理人がこのオーケストラ立ち上げの発起人のようです。
この日は、仕事が入りそうでしたが、大好きな「ズロニツェの鐘」の日本初演を聴けるという一生に一回しかない機会でしたので、他の人に任せて、会場の日野市民会館に行きました。
演奏ですが、さすが日本初演を敢行しようという心意気。第1楽章を反復して58分に及ぶ演奏でしたが、最後まで集中力が途絶えることなく充実した演奏でした。特にホルンをはじめとする金管、オーボエは絶品でした。弦は、前プロの序曲三部作で何箇所かもたつく箇所もあり大丈夫かなと思いましたが、交響曲ではしっかりしていました。また、解釈ですが私自身が、ここはこうあってほしい等思っているところを思い通りに演奏しており、至福のひとときでした。この曲は、多くの種類のCDを持っていますが、おおげさかも知れませんがナンバー1と言ってもよいくらいです。かなりの練習を積んだことと思います。
「ルサルカ」ポロネーズはアンコールで演奏されたもの。メロディを受け持つ弦が弱く、伴奏に圧倒されていますが、中間部(というのかな?)の木管の人懐っこく哀愁を帯びたメロディは絶品でした。愛らしい小品です。
なお、この音源は、ナズドラヴイ・フィルがプロに依頼して録音したものをCD-Rにしたもので、一般には頒布されていません。
この週末、久し振りにスケジュールが何も入っていなかったので、妻と南三陸温泉に行ってきました。
ここは、昨年秋、会社の仲間と訪れて気に入ったため、今回、妻を連れて再訪することにしました。
昨日は、石巻で昼食、ヤキソバが有名ということで、いただきましたが、今一つ個性がない、というかソースをかけて食べるのだけれど、ソバの味がよくわかりませんでした。
石の森萬画館を見て、宿の送迎バスで宿に向かいました。
この宿はなんといっても見晴らしが素晴らしいです。海に直接面していて、部屋から海が一望できます。夕食は、海鮮づくし。特に釜飯が美味しかったです。あと鮑も!
夕食のあとは中国雑技団のショー。楽しませていただきました。私は、顔を振るたびに仮面が変わるショーが楽しかったです。
本日は、塩釜で中卸市場を見て、市場前の伸光で海鮮ちらしを食べました。ここも昨年、2回訪れて、大変美味しかったので、再々訪しました。いつも混んでいて、今日は娘さんとお孫さんと親子3代で切り盛りしていました。
仙台に戻って、この春大学に進学して仙台に住んでいる娘と合流、駅内でお寿司を食べました。
写真は、宿の部屋から撮りました。4時10分頃の日の出でしたが、海岸線上に雲があり、お日様が顔を出したのはこの写真の位置です。(料理の写真を撮る習慣はありませんので、今回も撮ってありません。悪しからず)
○チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」 フリッチャイ/ベルリン放送交響楽団 1959年9月17~19日、22日
○ラベル 「マ・メール・ロア」全曲 高関 健/群馬交響楽団 2007年2月10日(ライブ)
「悲愴」は同曲の代表的名盤とされる演奏。1959年の録音ですが、フリッチャイが第1楽章の一部の録り直しを希望していながら果たせず亡くなってしまったため、長らくお蔵入りとなっていたものを日本ポリドールがフリッチャイ夫人の了解を得て、1996年4月に発売したものです。発売とともに、その素晴らしい演奏と録音でたちまち話題になり、レコード芸術で特選となりました。
演奏は、晩年の特徴である陰影のある遅いテンポで、特に第1楽章出だしヴィオラの音色には悲痛な響きがあります。また第2主題を一音一音いつくしむかのように伸ばして演奏するところは心に残ります。フリッチャイ自身が録り直しを希望していた部分は不明ですが、歌崎和彦氏は、第1楽章展開部の一部ではないかと推測しています。
この録音が行われた1959年9月という時期は、フリッチャイにとって大きな転換期にあたります。フリッチャイは、1958年11月と1959年1月に胃と腸の手術を受け、秋まで療養を強いられました。そして、1959年9月13、14日に、ベルリン放送交響楽団の指揮台に復帰したのです。
その時の演目は、
○ベートーヴェン 「エグモント」序曲
○バルトーク ピアノ協奏曲第2番 アンダ(Pf)
○チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」
です。
そして、それに引き続いて録音されたのが、この演奏です。
生死をさまようほどの状況から復帰し、テンポは遅くなり、より大家的な演奏を行うようになり、風貌までも含めフルトヴェングラーを彷彿させると言われました。
ラベルの「マ・メール・ロア」は群響343回定期演奏会の録音で、群馬テレビの「群響お茶の間コンサート」を録画したものです。
この日はオール・ラベル・プログラムであり、あまり好んで聴く作曲家ではなかったため、演奏会には行きませんでした。しかし、池田美代子さんのヴィオラ・ソロもあり、また清涼感あふれる素晴らしい演奏で、聴きにいかなかったことを後悔しました。
なお、群馬テレビの「群響お茶の間コンサート」はこの春、放送終了となってしまいました。何十年も続いていた番組なのに大変残念です。
(右の写真は、プログラムと当時の新聞記事)
○シベリウス ヴァイオリン協奏曲 漆原朝子(Vn)、高関 健/群馬交響楽団 1997年3月23日(ライブ)
○マーラー 交響曲第5番 高関 健/群馬交響楽団 1997年3月23日(ライブ)
○サラサーテ カルメン幻想曲 漆原朝子(Vn)、梅村祐子(Pf) 1983年12月(ライブ)
シベリウスとマーラーは、群響の345回定期演奏会のFM放送をエアチェックしたもの。先日、マーラーの5番を定期で聴いたので、以前、聴いた同曲を聴いてみました。
群響のマーラーは以前、尾高さんの指揮で9番を聴いて幻滅した思い出があったので、それほど期待していなかったのですが、中々いい演奏でした。3楽章のむずかしいホルンも危ないところもありましたが、なんとか持ちこたえたという感じです。
この日のコンサートは、前プロが目的でした。
漆原朝子さんの演奏を最初に聴いたのは、彼女が日本国際音楽コンクールに優勝した後、芸大に進学した直後に東京文化会館で開いたリサイタルのFM放送でした。若いのに堂々とした演奏と思いました。その後、群響と定期的に共演するようになり、ほとんど聴きにいくようになりました。
シベリウスは、クーレンカンプ、フルトヴェングラーのロマンチックで情熱的な演奏が有名ですが、漆原さんのヴァイオリンは静かな中に情熱を秘めており、高関/群響の素晴らしいバックとあいまって、好きな演奏の一つになりました。
サラサーテは、日本国際音楽コンクールの課題曲のライブ録音LPの中の一曲です。「ハードなコンクールの重圧の中でも、のびのびと漆原朝子自身の個性を発揮し得ているように思えます。」と長谷川武久氏は評しています。
昭和53年4月22日、飯田線の流線型電車クモハ52を撮りにいってきました。
飯田線は、当時、旧型国電が隆盛を誇っており、またED18、19といった古い電機が残っていましたので、何回か訪れていました。これまでは辰野から飯田線に入っていましたが、このときはクモハ52が撮りたくて、初めて豊橋から入りました。
写真は、野田城~東上(とうじょう)駅間で、朝の7時半に撮りました。朝もやがちょっとかかっていていい雰囲気の写真が撮れたと思っています。
昨年4月12~13日には、群響の飯田公演を聴きにいくため、30年振りに飯田線に乗りました。いつかは再訪したいと思いつつ、機会がありませんでしたが、この公演が重い腰を持ち上げてくれました。伊那谷を満喫することができ、とてもなつかしい気分にひたることができました。
(少し、遠くてわかりにくいので、牛久保駅で撮った写真も載せておきます。)
○ベートーヴェン 交響曲第5番「運命」 フリッチャイ/ベルリン・フィル 1961年9月25、26日
○ベートーヴェン 「レオノーレ」序曲第3番 フリッチャイ/ベルリン・フィル 1958年9月30日
最も遅い「運命」と言われた演奏。ただ遅いだけでなく、深い精神性と音楽性をもった演奏です。「ろうそくがの火が燃え尽きるとき、一瞬明るくなる」、とか「白鳥は死ぬ間際に最も美しい歌声で鳴く」といわれていますが、まさにこの演奏にあてはるのではないかと思います。特に第2楽章に深遠な世界は、他の追従を許さないものがあります。
(演奏時間 1楽章9’10 2楽章13’18 3、4楽章15’51)
この録音の前日には、ベルリン・ドイツ・オペラの杮落としを「ドン・ジョバンニ」で飾り、翌27日も同オペラを指揮するという多忙な中での録音でした。しかし3ケ月後には、病気が再発し、10回を超える手術にも耐えましたが、再起することなく1963年2月20日に亡くなりました。
「レオノーレ」序曲第3番は、フリッチャイがよく演奏したレパートリーで、正式にリリースされたものだけで、6種類あります。
この演奏は、唯一のスタジオ録音で、また一番優秀な演奏であると思います。
○コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲
○マーラー 交響曲第5番
指揮は、川瀬賢太郎、ヴァイオリンは堀米ゆず子。
川瀬君は、25歳。昨年、前橋定期でドヴォルジャークの第8交響曲を聴きました。昨年は、沼田、飯田そして前橋の群響演奏会でこの曲を聴きましたが、一番安定感のある演奏だったように思います。
その彼がマーラーを振るというので、どんな演奏になるか楽しみでしが、結果、大変素晴らしい演奏でした。特に終楽章はノリノリでした。
コルンゴルトの協奏曲は初めて聴く曲でしたが、大変聴きやすい曲でした。特に堀米さんのヴァイオリンと池田さんのヴィオラのかけあいが印象的でした。終楽章の終り頃に聴こえたホルンのフレーズ、ドヴォルジャークの交響的変奏曲のテーマを思い起こしました。
(群馬音楽センター)
○メンデルスゾーン 「真夏の夜の夢」の音楽 フリッチャイ/ベルリン・フィル他 1950年6月29日、7月1、3、4日
○シューマン 交響曲第1番「春」 フリッチャイ/RIAS交響楽団 1955年2月14、15日
「真夏の夜の夢」の音楽は、ドイツ・グラモフォンが最初に発売した30cmLPのうちの1枚。ベルリン・フィルの硬質で強靭な演奏で甘さとかは一切感じられません。
シューマンの「春」は、わずか8回の定期演奏会を指揮しただけでヒューストン交響楽団の常任指揮者を辞任した後、ベルリンで録音したもの。RIAS交響楽団は前年秋にフリッチャイが首席指揮者を辞任後、レベルが下がったと言われており、この演奏も特筆すべきものは何もありません。
○ヘンデル ユダス・マカベウス フリッチャイ/RIAS交響楽団他 1954年5月10日(ライブ)
○ワグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」序曲 ベーム/ウィーン・フィル 1978年11月、1979年3月
ユダス・マカベウスは1983年にメロドラムから発売されたもの。廃盤になって久しくなります。
演奏はバロック音楽らしからぬ重心の低い演奏で、それでいてテンポがかなり速いようです。以前、別の人の演奏で出だしのところだけ聴いたことがあるのですが、きわめてゆったりしたテンポでした。ということはフリッチャイのテンポが速いということになるのではと思います。
かの有名な「見よ勇者は帰る」についても、いつも表彰式で聴いているテンポの倍くらい速いです。
この演奏にはフィッシャー=ディースカウの自伝に次のようなエピソードがあります。
「フリッチャイは機会あるごとにアドリブの面白さを見せてくれた。『ユダス・マカベウス』を前にして女性のアルト歌手が出られなくなってしまったとき、アルトのアリアも同じように(私が)歌うという私の提案を、意外にもフリッチャイは認めてくれた。」
中学を卒業した昭和49年3月、九州撮影旅行に出かけました。
当時は、周遊券が安くて、学割で5千円くらいではなかったかと思います。
日豊本線から日南線、志布志線で都城へ出て吉都線で吉松へ、矢岳越えを通り、湯前線、熊本を経て高森線、バスで延岡に出て行橋へ北上、田川線、糸田線など炭鉱線を撮り帰途につきました。撮影記録を見ると7泊8日の長い旅でした。今は廃止になった線や第3セクターになった線もあります。
写真は、昭和49年3月25日、湯前線(現、くま川鉄道)肥後西村~川村駅間で球磨川にかかる鉄橋で撮ったものです。
つい最近、テレビ東京の土曜スペシャル「源流を求めて」で、この場所が放映され、なつかしい気分に浸ることができました。
○モーツァルト 「フィガロの結婚」序曲 フリッチャイ/ベルリン放送交響楽団 1960年9月12日
○モーツァルト 交響曲第39番 フリッチャイ/ウィーン交響楽団 1959年11月29、30日、12月8日
○モーツァルト 交響曲第40番 フリッチャイ/ウィーン交響楽団 1959年26、29日
○ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲 クーレンカンプ(Vn)、イッセルシュテット/ベルリン・フィル 1936年6月25日
モーツァルトの交響曲は、フリッチャイの希望でわざわざウィーンで録音したという記述を見たことがあります。
西谷晋氏は39番について「第2楽章の誰にも増してアダージョに近い演奏からフリッチャイのモーツァルトに対する愛の深さを聴き取ることができる」と述べています。
40番は「悲しみのシンフォニー」とも言われていますが、全体を覆う暗さ、遅いテンポから、私の学生時代の友は「悲しみ過ぎたシンフォニー」と評しました。