安中市の原市四つ角から磯部の登城の間で碓氷川にかかる中橋。昔は、少し下流にかかっていました。
現在は一直線ですが、以前はカーブして坂を降りていました。
その中でも、原市四つ角を出て左に曲がった後、180度曲がるカーブは急でした。
当時(50年くらい前だろうか?)、ボンネット型の路線バスがこのカーブを曲がるのに大変苦労していたのを覚えています。
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坂を降りて直線になり橋があった場所に向かいます。橋のところは立ち入り禁止になっています。
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今の中橋から見た様子です。現在の高さより低い位置にあります。
写真の右側に登城側の橋台跡が見えます。川の真ん中あたりに見えるのは橋脚の跡だろうか?
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登城側から橋台のところに行ったところ、水神さまが祀ってありました。
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その反対側には碑がありました。
中橋の碑かと思ったら、違い、碓氷社を創立した萩原音吉の碑でした。
そして、なんと上の碑名(篆額というそうです。)は、初代群馬県令 楫取素彦によるものでした。
楫取素彦というと旭館さんのところが別荘跡というのは有名ですが、こんなところにも縁があるとは思いませんでした。
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ここから右にカーブして登っていきますが、原市側より短い坂です。舗装されていません。
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こちらは、逆に登城側から中橋に向かって降りていく道です。