○シューマン 交響曲第3番「ライン」 クーベリック/ベルリン・フィル 1964年2月24~27日
○シューマン 交響曲第4番 クーベリック/ベルリン・フィル 1963年2月18~22日
○シューマン 「マンフレッド」序曲 クーベリック/ベルリン・フィル 1964年2月24~28日
クーベリックがベルリン・フィルと録音したシューマン交響曲全集のうちの後半の2曲。
クーベリックはフルトヴェングラーの精神的後継者と呼ばれたことがありますが、4番はまさにフルトヴェングラーを思わせる演奏です。スケールが大きく、時に引きずるように大きくテンポを落としています。
4番を録音している途中(1番もそうですが)、フリッチャイが亡くなっています。ちょうどクーベリックがベルリンに滞在していたことで、ベルリン放送交響楽団とフリッチャイ追悼演奏会を指揮することになったわけです。
私の勝手な想像ですが、そもそもこの時期にクーベリックがベルリンにいたのは、フリッチャイによる招へいではないかと思っています。
1962年6月にベルリン放送響のメンバーがフリッチャイを見舞ったときの様子がフリッチャイ回顧録に次のように載せられています。
「(フリッチャイは)私たちが共演する指揮者やソリストについてのプランを作成したのです。そこでは、・・・ラファエル・クーベリックの名が幾度も挙げられていました。」