【演奏について】
これまでにリリースされたレコード、CD等は27種類あります。(ただし、ビエロフラーベクのCDとDVDの2種は、同一の演奏かも知れません。)
演奏には、カット部分を演奏するかしないかで、大きく分けて三つのタイプがあります。
一つ目は、4箇所のVi-deも演奏しているもの。ケルテス、ロヴィツキ、ロジェストヴィンスキー、ガンゼンハウザー、ペシェク(2回目の録音)、シュトリンツルの演奏がそれに該当し、これらの演奏は、第1楽章提示部の反復も行っています。
二つ目は、4箇所のVi-deを指定どおりカットして演奏しているもので、一番多いパターンです。
最後は、4箇所のVi-deに加えて、第1楽章のVi-deの前の少し前もカットして演奏しているもの。ノイマン(1回目の録音)、クーベリック、A.デイビス、マーカル(2回目の録音)の演奏が該当します。(マーカルの1回目の録音は未聴のため不明)
これらに該当しない演奏もいくつか存在します。
演奏時間やカットなどは、次表のとおりです。(クリックして拡大表示にして下さい。)
(カット箇所など漏れや誤りがありましたら、お知らせ下さい。)
演奏には、それぞれ一長一短があり、優劣つけがたい状況ですが、私的ではあるもののいくつかのお薦め盤を紹介します。
●ロヴィツキ盤
この曲を最初に聴いたのは、中学3年生頃、50年弱前で、このロヴィツキ盤でした。私にとって、この曲の基準となる演奏です。ホルンやティンパニの音に出し方に目を見張るものがあります。非の打ちどころのないような演奏で、特に第2楽章は絶品です。欲を言えば、第1楽章でもう少しロマンチックな感じがあるとさらによかったです。
●ロジェストヴィンスキー盤
なんともゴージャスな演奏です。ロジェストヴィンスキーの面目躍如です。ゆったりしたテンポで壮大な世界を築いています。演奏時間は60分を超えています。第1楽章の提示部の終わり頃のトロンボーンの音色などとてもふくよかで圧倒的です。唯一残念なのは、第1楽章展開部がちょっとこじんまりしてしまったかと感じるところがあることです。
●佐伯盤
このオーケストラは、アマチュアですが、ティンパニ、クラリネットは名手ではないかと思います。特にティンパニは雄弁で、随所で引き締めています。特に第4楽章のコーダは圧巻です。第1楽章と第4楽章の第2主題のテンポを少し落としていて印象的です。音が出なかったところがあるなど課題はあるものの、全体をよくつかんだ演奏と思います。自主制作盤です。
●ノイマン盤(2回目録音)
几帳面で洗練された演奏と思います。一番オーソドックスで安心して聴ける演奏ではないかと思います。
●アンゲロフ盤
交響曲第1番では、大胆なカットをして驚かされましたが、こちらの演奏は充実した素晴らしいものです。少し小粒な感じがしますが、とても小気味よく、よくまとまっていると思います。アンチェル時代のチェコ・フィルの雰囲気に近いのではと思います。特に木管楽器の音色が素晴らしいです。1楽章のコーダでは、ティンパニの強打が強烈です。
●インキネン盤
一番新しい録音です。
厚めの低音に支えられて、優しい音色のヴァイオリン、そして、時々ハッとするような美しい響きをする木管が魅力的です。
番外
●ペシェク盤(2回目録音)
最初に演奏時間を見たとき、オリジナル版による演奏かと思ってしまいましたが、そうではありませんでした。70分を超える超スローテンポの演奏です。演奏は悠然たる世界を示す素晴らしいですが、ちょっと音がこもった感じがして残念です。
●シュトリンツル盤
とてもユニークな演奏です。テンポの変化がめまぐるしく、ドライヴをかけたと思いきや、大胆にテンポを落としてじっくり奏する、その繰り返しです。特に1楽章と4楽章でその傾向が強いです。
★日本での初演
日本では、2004年4月22日、名古屋市民会館で開かれたトマーシュ・ハノシュ指揮の名古屋フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で演奏されたのが、最初ではないかと思います。名古屋フィルハーモニー交響楽団は、この年のプラハの春国際音楽祭に招かれ、スメタナ・ホールで再度演奏しています。
交響曲全曲演奏の偉業を達成した佐伯正則指揮のナズドラヴィ・フィルハーモニー管弦楽団は、2010年1月17日、日野市民会館で演奏しています。
また、同じく交響曲全曲演奏を行った下野竜也指揮の読売交響楽団は、2012年5月9、10日、東京オペラシティで演奏しています。
【最後に】
前回の交響曲第1番に続き、今回は交響曲第2番、そしてその間に作曲された2つの曲、チェロ協奏曲と歌曲集「いとすぎ」を紹介しました。
これらの曲は、すべて1865年、ドヴォルジャークが23歳から24歳にかけて作曲した曲です。
これだけ大きな曲を立て続けに作曲した原動力の一つは、初恋の人、ヨゼフィーナ・チェルマコヴァーの存在ではないかと言われています。
この初恋は失恋に終わりましたが、後にドヴォルジャークは妹のアンナと結婚し、ヨゼフィーナとは義理の姉、弟の関係になり、親戚として交流は続きました。
ドヴォルジャークは、プラハから60キロほどの村、ヴィソカーにあるヨゼフィーナの夫、カウニッツ伯爵の館によく招かれ、その美しい自然の中で楽しいひとときを過ごしていました。そして、1884年には、その一角を安く譲り受け、別荘にしました。
時は進み、ドヴォルジャークがニューヨークのナショナル音楽院の院長をしていた1895年、ヨゼフィーナが危篤でることが伝えられました。ちょうど、ドヴォルジャークはロ短調のチェロ協奏曲を作曲していたのですが、第2楽章の中間部にヨゼフィーナが好きで、よく歌っていたドヴォルジャークの歌曲「私にかまわないで」のメロディを入れたのです。そして、いったん作曲が終わったのですが、チェコに帰国後、ヨゼフィーナの訃報に接し、終楽章のコーダを書き直したのです。そこには、再度「私にかまわないで」のメロディを挿入し、これまでのコーダよりはるかに長いものになったのです。
初演に際し、ソリストからソロパートが難しすぎるとか、カデンツァを入れてほしいとか注文があったようですが、ドヴォルジャークは「1音も変えない」と激怒したそうです。人の意見をよく聞いていたドヴォルジャークからすれば、めずらしいことです。
ヨゼフィーナへの変わらぬ深い愛情を感じます。(終わり)