○ヴェルディ レクイエム フリッチャイ/ベルリン放送交響楽団他 1960年10月23日(ライヴ)
「あなたは、なぜヴェルディのレクイエムを聴きに行くのか?」フリッチャイはこのように問いかけました。
「それは音楽を楽しむためか、雄大な音楽があなたを興奮させるからか?これが全てであれば、あなたは本質を誤っている。」と。
フリッチャイによれば、「私は、涙を流すため、指揮をし、そして聴きに行く。」と言っています。
以上は、フリッチャイはヴェルディのレクイエムについて述べた文章の一部です。
レクイエムは、まさに死者のためのミサ曲であり、そこには、当然、残されたものの悲しみががあります。その本質をフリッチャイは突いているわけです。
そんなフリッチャイのレクイエムのライヴ盤、1978年、ドイツ・グラモフォンのフリッチャイ・エディションのシリーズで発売されました。日本では1994年1月に発売され、当時のレコード芸術で「特選」をとりました。
演奏は、晩年特有のテンポの遅い、陰影の濃いスケールの大きい演奏で、フリッチャイがこの曲の最初の数小節に「ほとんど光が届かぬ地下納骨堂に下りてゆく人」を想起したように、なんともしがたい重く暗い雰囲気で始まります。当時のレコード芸術の評者は、CDを聴き始めたものの、いったん中断し、スコアを持ってきてあらためて聴き始めたといった趣旨のことを書いていたと記憶していますが、まさにこれまでにない響きであるということと思います。
キリエの独唱では、3番目に歌うシュターダーの部分でぐっとテンポを落として、そのあとのドミンゲスではまたテンポを元に戻すということをやっていて、極めて印象的です。また、テノールのカレッリの声はドラマチックで張りがあり、存在感あふれる歌唱です。特にインジェミスコでの独唱は聴きものです。
最後のリベラメでも、テンポの動きは激しく、イン・テンポ、アップ・テンポ、リタルダンドと次々と変化しています。まるで坂道を登るのに助走をつけて走り出し、息が上がりながらもやっと頂上にたどりつくかのようです。
マリア・シュターダーは、「(最高の音楽が実現できたとき)彼は目に浮かぶ一粒の涙をぬぐうのを恥じなかった。」と回想しています。彼の言葉、そして共演者の回想で、フリッチャイの曲に対する姿勢を垣間見ることができます。