○ドヴォルジャーク 弦楽四重奏曲第4番 B.19 ブダペスト弦楽四重奏団 1976年1~2月
ドヴォルジャークが総譜を焼却して完全に破棄できたものと思っていたものの、別の人がパート譜を所持していてその人の没後、遺品から発見された3曲の弦楽四重奏曲の3番目の曲です。前の二つの弦楽四重奏曲のパート譜は誰によって筆写されたものかはっきりしていませんが、この曲のパート譜は、ドヴォルジャーク自身が筆写したもののようです。
かなり革新的な曲のようで、一度や二度聴いたくらいではよくわかりません。音楽学者によっては、シェーンベルク、ドビュッシー、ストラヴィンスキーなどの作曲家との類似点を指摘する人もいるようです。
曲は単一楽章ですが、三つないし四つの部分に分けられます。
いきなり挑戦的などきつい感じで始まりますが、その後は叙情的になったりとか、また挑戦的になったりと目まぐるしく表情を変えていきます。抒情的な部分を回想した後、また激しい部分が始まって、さらに続くと思ったらいきなり終わって次の部分に移ります。この部分は、5年後の1875年に作曲した弦楽五重奏曲第2番の第2楽章に使用(ということは、ドヴォルジャーク自身が総譜を焼却したのは、これよりあとということか?)したものの、「緩徐楽章が2つあると作品が冗長になりかねないとの見方」(ウィキペディア)から除外し、弦楽合奏のノットゥルノに編曲しています。ゆったりと夢見心地のような気分に浸っていると、また気分が変わり激しい部分に戻ります。そして、またノットゥルノの部分が再現され、最後は激しく終わります。
ドヴォルジャークが総譜を焼却して完全に破棄できたものと思っていたものの、別の人がパート譜を所持していてその人の没後、遺品から発見された3曲の弦楽四重奏曲の3番目の曲です。前の二つの弦楽四重奏曲のパート譜は誰によって筆写されたものかはっきりしていませんが、この曲のパート譜は、ドヴォルジャーク自身が筆写したもののようです。
かなり革新的な曲のようで、一度や二度聴いたくらいではよくわかりません。音楽学者によっては、シェーンベルク、ドビュッシー、ストラヴィンスキーなどの作曲家との類似点を指摘する人もいるようです。
曲は単一楽章ですが、三つないし四つの部分に分けられます。
いきなり挑戦的などきつい感じで始まりますが、その後は叙情的になったりとか、また挑戦的になったりと目まぐるしく表情を変えていきます。抒情的な部分を回想した後、また激しい部分が始まって、さらに続くと思ったらいきなり終わって次の部分に移ります。この部分は、5年後の1875年に作曲した弦楽五重奏曲第2番の第2楽章に使用(ということは、ドヴォルジャーク自身が総譜を焼却したのは、これよりあとということか?)したものの、「緩徐楽章が2つあると作品が冗長になりかねないとの見方」(ウィキペディア)から除外し、弦楽合奏のノットゥルノに編曲しています。ゆったりと夢見心地のような気分に浸っていると、また気分が変わり激しい部分に戻ります。そして、またノットゥルノの部分が再現され、最後は激しく終わります。