私のレコード・ライブラリーから

私のレコード/CDコレクション紹介

懐かしのTDKオリジナル・コンサート

2009-02-09 15:46:34 | FMエア・チェック
 FM東京をキー局としたかつての民放FMのクラシック・ライヴ放送の長寿番組「TDKオリジナル・コンサート」はFMエア・チェック・クラシック・ファンにとって避けて通ることのできない番組であった。とりわけ番組独自の抽選による無料招待公開録音コンサートはファンにとって魅力的であった。今日取り上げる放送10周年を記念して1982年の1月から2月にかけて開催された初来日の「ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団」の公開録音演奏会は東京・大阪・福岡で開催され当時話題を呼んだコンサートでもあった。指揮は1969年の「カラヤン国際指揮者コンクール」で優勝し世界の目が注目したフィンランドのオッコ・カムとわが国を代表するシベリウス研究・解釈の第一人者だった渡辺暁雄が同行した。
 プログラムはもちろんシベリウス交響曲・チクルスで全7曲の交響曲と交響詩「フィンランディア」が演奏された。この時の模様は全て番組で紹介された。私は運よく抽選に当たり東京、新宿厚生年金大ホールでの公開録音コンサート(1月22日)とそれに先立つ一般の有料コンサート1月18日東京文化会館に足を運んだ。指揮はいずれもオッコ・カムで交響詩「フィンランディア」(両日)と交響曲第5番・第2番(1/18)、交響曲第3番・第6番(1/22)が演奏された。演奏はさすがにお国ものだけあってシベリウスの内にこもった独特の世界をうまく伝えていた演奏だった。この時の公開録音も模様は後にTDKからCD化されている。写真は公開録音当日に配布された記念プログラムとCD化された1/22日演奏の交響曲第3番と第6番。私はこのプログラムに掲載されている見開きの写真アウランコ(首都ヘルシンキから北へ約90kmのところに位置するリゾート地でシベリウスが生まれたハメーンリンナもこの近くにある)を訪れたことがあるがシベリウスの第3交響曲を聴くたびにこの地を思いだしている。

 


 

デュカの交響曲ハ長調

2009-02-08 01:41:39 | 交響曲
 交響曲ハ長調はデュカの唯一の交響曲作品である。昨日もちょっとふれたが1895年から96年にかけて作曲され初演は「魔法使いの弟子」と同じく1897年にパリでされている。第1楽章Allegro non troppo vivace, ma con fuoco 第2楽章Andante espressivo e sostenuto 第3楽章Finalé Allegro spiritoso の3つの楽章から構成され第1楽章が曲の約1/2強をしめている。1回聴いただけでは旋律的につかみにくい作品かもしれないが何回も聴くうちに曲の渋みが伝わってくる。また曲のところどころに先輩作曲家セザール・フランク(1822~1890)の影響も見え隠れする。因みにフランクの交響曲ニ短調は同様に全3楽章構成で1888年に完成している。
 私はこのデュカの交響曲レコードをジャケットが気に入り学生時代に東京の輸入レコード店で手にいれた。(写真ー米URANIA/URLP7102)演奏はジョルジュ・セバスチャン指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団のモノラル盤である。今聴くと時代を感じさせるが第2楽章のじっくりとオーケストラをうたわせているところが気にいっている。

デュカの交響詩「魔法使いの弟子」

2009-02-07 03:36:31 | 管弦楽曲
 フランスの作曲家ポール・デュカ(Paul Dukas/1865~1935)は私にとってはなぜか不思議な魅力を持った音楽家だ。彼は年代的には印象派のドビュッシー(1862~1918)や反ロマン主義のサティ(1866~1925)とほぼ同時期に活躍した人である。特にドビュッシーとは親交を持ち印象派の手法も採り入れてはいるが印象派には属していない。この交響詩「魔法使いの弟子(L'apprenti sorcier)」は1897年の作品で前年に代表作の一つである交響曲ハ長調を完成している。
 「魔法使いの弟子」は通称で「ゲーテのバラードによるスケルツオ」というタイトルが付されている。つまりゲーテのバラードを仏語訳したテキストを基に音楽は「序奏とコーダ付きのスケルツオ」の形式で書かれている。バラードの内容は魔法使いの弟子が師匠の留守にまだ自分のものにしていない中途半端な呪文を箒にかけて大失敗をしてしまうという話だが音楽の方は実に巧く表現されている。
 私はこの作品を聴くたびに作曲者デュカの不思議な魅力にはまってしまう。まさにデュカの管弦楽法の魔法にかかった様だ。因みに私の愛聴盤はダニエル・バレンボイムがパリ管の音楽監督時代に録音したDG盤(1977年頃の録音/写真)やジャン・マルティノン/フランス国立管弦楽団(1971録音/エラート盤)である。いずれの盤もデュカの魅力を充分に楽しませてくれる演奏である。




FMエア・チェックから生まれた名演 -(8)ザルツブルグ音楽祭1978 

2009-02-06 00:26:47 | FMエア・チェック
 ヘルベルト・フォン・カラヤンはブルックナーの交響曲をコンサートでもよく取り上げた指揮者でもあった。因みに第8番は1959年ウィーン・フィルと約40日間のアジア・アメリカ演奏旅行で来日した際10月28日日比谷公会堂で日本初演を果たしている。私はこの時まだ小学生だったので残念ながらこの演奏会に足を運ぶことができなかったが7年後の1966年、ベルリン・フィルと2回目の来日公演5月2日東京文化会館での演奏はよく覚えている。第4楽章の最後のソ・ミ・レ・ドが完全に終わらないうちに興奮した聴衆の爆発的な拍手が巻き起こった。一呼吸おいてからの拍手を期待した私はちょっと残念な気持ちになった。今回取り上げるFMエア・チェック・テープはカラヤン/ウィーン・フィルの1978年ザルツブルグ音楽祭での第8番の演奏である。この放送はNHK・FMで同年12月22日にされている。ウィーン・フィルの柔らかい弦の響きと金管楽器群の何とも表現しがたいたおやかな美しさが何度聴いてもたまらない。カラヤンの美的感性がブルックナーの神秘的な響きの世界と調和した見事なライヴ演奏だと思う。特に第3楽章アダージョの演奏約26分間は我を忘れてききほれてしまう。私にとっては会場の祝祭劇場大ホールで生で聴きたかった演奏の一つである。

 

アンセルメのラスト・レコーディング、ストラヴィンスキー「火の鳥」

2009-02-05 06:30:09 | 管弦楽曲

 巨匠エルネスト・アンセルメのラスト・レコーディングはストラヴィンスキーの舞踊音楽「火の鳥」全曲(1968年録音)であった。オーケストラは手兵のスイス・ロマンド管ではなくイギリスのニュー・フィルハーモニア(現在、フィルハーモニア)管弦楽団である。この作品はロシア・バレエ団委嘱の第1作で1910年に完成された。まさに作曲家ストラヴィンスキーの名前を世界中に広めた作品といってよいだろう。また彼のいわゆる三大舞踊音楽と呼ばれる一連の作品(「火の鳥」・「ペトルーシカ」・「春の祭典」)は反ロマン主義や反印象主義に向かう20世紀現代音楽への道を開いた作品でもあった。
 アンセルメはこれらの作品を大変得意としており「火の鳥」も確かモノラル録音を含めるとこれが3回目の録音になると思う。演奏はストラヴィンスキー独特のリズムにメリハリをきかせた素晴らしいできになっていると思う。録音のさすがデッカ録音だけありダイナミック・レンジが広い重厚なストラヴィンスキー・サウンドが堪能できる。またストラヴィンスキーはその後演奏会用組曲としても1911年、1919年、1945年の3つのバージョンで発表している。
 尚、写真のLPはキング・レコードからの初回プレス盤で付録として全曲のリハーサル模様が収録された1枚が付いておりこちらも大変聴きごたえがあり興味深い。

 


エネルギッシュで躍動的なカラヤンの「春の祭典」

2009-02-04 15:12:37 | ヘルベルト・フォン・カラヤン
 今日はもうひとつ昨日の続きでストラヴィンスキーの舞踊音楽「春の祭典」についても書いてみたい。この作品はセルゲイ・ディアギレフ主宰のロシア・バレエ団委嘱の第3弾で変拍子が飛び交う強烈なリズムが特徴の現代バレエの音楽である。
 初演は1913年パリのシャンゼリゼ劇場でニジンスキーの振付、ピエール・モントゥー指揮で行われ一大センセーションを起こした作品でもあった。つまりこの作品の題材が当時の世相には大胆すぎ聴衆の意表をつく変拍子のオン・パレードで初演を見に来た観客に大ショックを与えてしまい一時劇場内が大パニックになったということである。今聴けば特段なショックは感じないが当時としの反響は想像を絶するものがあったのであろう。
 私のこの作品のコレクションの中で一番よく聴くレコードはやはりカラヤン/ベルリン・フィルの旧盤(1963年ー64録音写真)である。録音当時55-56歳、壮年期のカラヤンがエネルギッシュでダイナミックな「ハルサイ」を築きあげているところに私は魅力を感じている。ジャケットもセンスがいい。尚、彼は1975年から77年にかけてこの作品をベルリン・フィルで再録音している。

セルのモダンな感覚でせまるシューマン交響曲第1番「春」

2009-02-04 10:05:06 | 交響曲
 今日は立春。暦の上では今日から春が始まるがまだまだ寒い日々がしばらく続きそうだ。でも音楽の方は春の予感を感じさせるロベルト・シューマンの交響曲第1番変ロ長調作品38「春」について書いてみたい。この作品はシューマンがアドルフ・ベットガーと言う人の「春の詩」に刺激を受け作曲したと言われている。作曲当初は各楽章に「春のはじまり」「たそがれ」「楽しい遊び」「春たけなわ」という標題まで付けられていたがこれらは楽譜出版の際に取り除かれた。冒頭から春を予感させる溌剌とした叙情性豊かな雰囲気ではじまり清々しさを感じる交響作品である。
 私はジョージ・セルが手兵クリーヴランド管弦楽団と入れた1957年録音のレコード(写真)を現在も愛聴している。セルはこの作品を実に叙情性豊かにしかも美しく演奏している。聴いていてとても気持ちがいい。セルが遺したシューマンの4つの交響曲録音のなかでも第3番「ライン」(このLPに収録)と同様に名演だと思っている。

アンセルメの名盤、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」

2009-02-03 22:50:11 | 管弦楽曲

 ストラヴィンスキーの舞踊音楽「ペトルーシュカ」はロシア・バレエ団委嘱作品の第2作にあたり1911年に完成した。因みに第1作が1910年の「火の鳥」、第3作が1913年の「春の祭典」である。この「ペトルーシュカ」は彼の舞踊音楽作品の中でも傑作中の傑作と言ってもいいかも知れない。四管編成の大管弦楽作品で実に音の色彩感が豊かな作品だ。
 物語の内容は1830年代、ペテルブルグの謝肉祭の操り人形芝居小屋での話。踊り子の人形に恋をした人形ペトルーシュカが凶暴の人形ムーア人に殺されてしまう筋である。初演はパリのシャトレ座でピエール・モントゥー指揮でされた。
 傑作作品だけに数多くの録音があるが私はエルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団の2回目の録音1957年のステレオ盤を愛聴している。(写真、英Decca SXL2011)さすがに舞踊音楽が得意な指揮者だけあり繊細な感覚で味わいのある演奏だ。スイス・ロマンド管弦楽団の巧さも光る。私はアンセルメが1968年このオーケストラを率いて来日した時のことを思い出した。東京文化会館で確か「火の鳥」組曲を聴き金管楽器の目がさめるような音が心の中によみがえった。
 


懐かしのLP、オーマンディの「ペール・ギュント」組曲

2009-02-02 22:00:43 | 管弦楽曲
 今日は懐かしいLP、ユージン・オーマンディのグリーグ「ペール・ギュント」組曲に針をおろしてみた。半世紀前にタイム・スリップした感じになった。以前「想い出の演奏会」のテーマで指揮者オーマンディについてはふれてみたがこのLPはその後に購入したLP米コロンビアWL5035(写真)、第2面にはビゼーの「アルルの女」第1・第2組曲も収録されている盤である。
 オーマンディはこの手の曲は得意としており彼のディスコ・グラフィーで調べたところ「ペール・ギュント」第1組曲はモノラルで1947年・55年の2回、ステレオで59年・72年の2回、計4回も録音している。因みにこのレコードは1955年録音のモノラル盤だが彼のうまさがここでも充分に覗える。
 「ペール・ギュント」はノルウェーの詩人、劇作家イプセンの戯曲のための音楽で現在では全曲が演奏されることは少ない。グリーグは全曲の中から第1組曲として4曲、第2組曲として4曲を選び演奏会用にまとめたものである。

 
 
 

エルガーの傑作ー変奏曲「謎(エニグマ)」

2009-02-01 03:13:49 | 管弦楽曲
 イギリスを代表する作曲家の一人エドワード・エルガー(Edward Elgar/1857~1934)の傑作ー創作主題による変奏曲「謎(Enigma)」について今日は書いてみたい。エルガーの名は日本ではそれほどポピュラーではないかも知れないが本国イギリスでの人気は高く「プロムス」などの音楽祭では避けて通れない作曲家である。
 さて、今回とりあげる変奏曲「謎ーエニグマ」作品36は1898年~99年にかけて作曲された彼の傑作で演奏会でも度々プログラムに載り親しまれている。
 曲は主題と14から成る変奏曲で構成され各変奏曲にはエルガーの妻をはじめ親しい友人たちのイニシャルや記号が付されている。このため作曲当初、この14人の人物が誰か明かされなっかたので「謎」とされた。しかし後にこの14人の人物像が見破られたためもはや「謎」ではなくなったがもう一つの「謎」が隠されていると言われている。それは「実際には演奏されない別の大きな主題が存在し、しかもその主題は決して姿を見せない」とエルガー自身が述べているものである。実にミステリアスな興味深い話である。この「謎」はいまだに解明されてない。まさに、永遠の「謎」かもしれない。
 この作品は彼の行進曲「威風堂々」と共にポピュラーなのでショルティ盤を始めとして録音も多数出ているが私が好きな録音はメキシコの名指揮者だったエドゥアルド・マータ(Eduardo Mata/1942~1995)が1980年代にVOXレーベルに遺したロンドン交響楽団との演奏(写真)である。じっくりとやや遅めのテンポで味わい深く聴かせているところが見事である。特にアンコール曲などにも単独で演奏される第9変奏「ニムロッド」の優美な演奏はたまらない。因みに「ニムロッド(Nimrod)」とは聖書に出てくる「狩」の名人のことだそうだがエルガーの親友イエーガー氏(ドイツ語で「狩」はイエーガー)を指している。
 最後に指揮者マータも悲運な人だった。1995年1月4日メキシコからダラス行きの飛行機に搭乗した彼は離陸後機材のエンジン・トラブルに巻き込まれた。航空機は緊急着陸に失敗・大破ー帰らぬ人になった。まだ52歳の若さであった。これから期待される指揮者だっただけに残念である。尚、彼は1977年から1993年までダラス交響楽団の音楽監督を務めており在任中の1991年に録音したショスタコーヴィチの交響曲第7番ハ長調「レニングラード」の名録音もドリアン・レーベルに遺している。