私のレコード・ライブラリーから

私のレコード/CDコレクション紹介

ドミトリエフの白熱のライヴ!ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

2009-02-19 18:07:19 | 交響曲
 ショスタコーヴィチの全15曲の交響曲の中で一番多く演奏会に取り上げられるのはこの第5番であろう。それだけ現在ではポピュラーなものになっているのでレコード、CDの数もおびただしい。作品は1937年に完成し巨匠ムラヴィンスキーによって初演されている。ソヴィエト共産党による批判から名誉回復を果たした傑作である。ムラヴィンスキー盤を筆頭として名盤は数多く存在するが今日は私が十数年前に見つけたライヴ盤-アレクサンドル・ドミトリエフが指揮したレニングラード(現在サンクトペテルブルグ)交響楽団のレコード(写真)を紹介したい。
 この演奏は1990年4月12日、英国、スコットランドのグラスゴー、シティー・ホールでの演奏会ライヴを収めたものである。
 指揮者ドミトリエフは1935年生まれの現在ロシアを代表する名指揮者の一人で初来日は1970年に遡る。この時EXPO’70を記念しての名門レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団を指揮している。(アルヴィド・ヤンソンスと共に来日)その後、1977年から首席指揮者を務めるレニングラード(現サンクトペテルブルグ)交響楽団とも数回来日し名演を聴かせている。
 さてこのレコードはライヴ盤ということもあり多少の問題がないわけではないが第1楽章の緊張感にはじまり第3楽章のLargoではじっくりとオーケストラをうたわせており彼の巧さが光る。終楽章は冒頭リタルダント気味のアクセントをつけながらアレグロのテンポに持っていきクライマックスを築いていくところが何ともいえない。聴衆の興奮した拍手がそれを物語っている。
 ジャケットは1961年のモスクワ・「赤の広場」でのメーデーの様子で集まった群衆の迫力が伝わってくる。尚、サインは指揮者ドミトリエフの直筆で2003年同楽団と来日の折、入れてもらったものである。
 

想い出の演奏会 (13)パーヴォ・ベルグルンド/日本フィル第230回定期公演 ほか

2009-02-18 18:48:42 | 想い出の演奏会
 指揮棒を左手に持つフィンランドの名指揮者パーヴォ・ベルグルンドの演奏会で私が生で接し印象に残った演奏会が2つある。その一つが1971年12月10日東京文化会館で行われた第230回定期公演ともう一つが「1978年香港芸術祭」で当時首席指揮者の地位にあった英国のボーンマス交響楽団の演奏会('78 1/25,香港島・シティー・ホール)である。
 前者のプログラムはベートーヴェン:「エグモント」序曲で始まり藤川真弓を独奏者に迎えてのチャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調、後半に彼が得意とするシベリウス:交響曲第5番変ホ長調であった。彼はシベリウスの研究家としても知られておりこの時の映像が2004年にBSフジで再放送(「今よみがえる幻の日本フィル定期演奏会」)された時改めて彼の名演を再認識できた。
 この演奏会から約7年後「香港芸術祭」で手兵ボーンマス交響楽団をひきつれて東洋の真珠「香港」にやってきた彼はウィリアム・ウォルトン:「ポーツマス・ポイント」序曲、独奏にイダ・ヘンデルを迎えてシベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調そしてプロコフィエフ:交響曲第5番変ロ長調が演奏された。会場のシティー・ホールは超満員で熱狂的なファンがつめかけていた。シベリウスのヴァイオリン協奏曲はこのコンビで同オーケストラでレコーディング(EMI)もしており二人の息の合った素晴らしい演奏を聴かせていた。またこの演奏会の翌日は日本から渡辺暁雄も同楽団に客演しシューベルトの「交響曲第3番」やバルトークの「管弦楽のための協奏曲」ほかを演奏し会場に駆けつけた聴衆を酔わせていた。
 ベルグルンドはシベリウスの交響曲全集をボーンマス交響楽団(EMI)、ヘルシンキ・フィル(EMI)、ヨーロッパ室内管弦楽団(FIN)と3回録音している。また渡辺暁雄も日本フィルで1962年・1981年の2回の全集録音を果たしている。
 (写真は1978年「香港芸術祭ボーンマス響」・日本フィル第230回定期公演/ベルグルンドのサイン直筆入りプログラム)
 

シャルル・ミュンシュ/日本フィルの貴重な映像

2009-02-17 15:33:34 | 想い出の演奏会
 フランスはアルザス・ストラスブール生まれの名指揮者シャルル・ミュンシュが日本フィルの指揮台に立ったのは1962年12月のことだった。私はこの時12月20日東京文化会館の演奏会で初めてミュンシュの指揮ぶりに接することができた。なにしろ今から約半世紀前のことなので演奏詳細な記憶は消えかけていたが数年前にフジTV(JOCX)のアーカイヴスから当時の演奏会を記録した映像がDVDで発売されると聞き喜び勇んでで2種類のDVDを購入した。(写真)ひとつが私が聴いた12/20の55回定期公演の最初に演奏されたルーセル「バッカスとアリアーヌ」第2組曲を除くリスト:ピアノ協奏曲第1番(ピアノ/ニコル・アンリオ=シュヴァイツアー、ブラームス:交響曲第1番と12/28の第54回定期公演からベルリオーズ:幻想交響曲で後半に演奏されたラヴェル:ピアノ協奏曲(独奏者は20日に同じ)と「ダフニスとクロエ」第2組曲は除かれている。私の記憶では以前に音としてはPLATZレーベルからCD化されたと思う。
 今改めてこれらの映像を見ると当時の光景が少しづつ私の心の中によみがえってくる。ミュンシュのノーブルな指揮ぶりが印象的で特にステレオ音声のブラームスの第1番のフィナーレは圧巻だ。また当時のわが国のオーケストラ演奏記録映像としても大変貴重なものである。最後に余談になるがミュンシュはこの時年末恒例のベートーヴェン第9公演(12/25・26・27)も指揮している。また第54回定期と第55回定期が日程的に逆になっているのは指揮者ミュンシュが急病のため帰国日の28日に延期になったとのことである。

KARAJAN IN MOSCOW 1969~(1)

2009-02-16 19:47:22 | ヘルベルト・フォン・カラヤン
 ヘルベルト・フォン・カラヤン率いるベルリン・フィルの一行は1969年5月下旬から約2週間ロシアを含むヨーロッパ演奏旅行を行った。カラヤン・ベルリン・フィルがロシアの大地を訪れるのは1961年3月の訪問に次いで2度目である。1969年のロシア公演は記録によると5月28日・29日・30日が首都モスクワ、6月1日・2日がレニングラードで行われた。そして先頃、この時のモスクワ公演の模様を収録した正規盤のCDがロシア・メロディア・レーベルから発売された。曲目は28日ベートーヴェン:「コリオラン」序曲と交響曲第6番・第5番、29日バッハ:ブランデンブルグ協奏曲第1番・ショスタコーヴィッチ:交響曲第10番、30日モーツアルト:ディペルティメント第17番、R.シュトラウス交響詩「英雄の生涯」といういずれもカラヤンお得意のプログラム構成であった。会場はいずれもモスクワ音楽院大ホール。29日の公演はショスタコーヴィッチの顔もあった。どの演奏もカラヤンの素晴らしさが出た名演であるが写真のCDは初日のベートーヴェン・プログラムで引き締まった手応えのあるものになっている。60歳の還暦を越えたカラヤンの一番脂ののりきった指揮ぶりを堪能できる。オーケストラの切れも申し分ない。尚、第6番「田園」のテンポはかなり速く演奏時間で34分22秒とカラヤンの「田園」の演奏時間で最速の部類に入るのではないかと思う。 

 
 

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調「春」作品24

2009-02-15 01:07:41 | 室内楽曲
 昨日から東京はポカポカ陽気で「春」の訪れを感じる。ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの傑作第5番「春」はこのような季節に聴きたくなる音楽だ。副題の「春」はベートーヴェン自身がつけたものではないが曲全体が明るく希望に満ちた曲想で描かれておりいかにも「春」の到来を感じさせる。作曲は1801年に完成しフリース伯爵に献呈された。この作品の名盤は多々存在するが私はユーディ・メニューインのヴァイオリン、ウィルヘルム・ケンプのピアノで演奏されたLPを愛聴している。ケンプ75歳、メニューイン54歳の時の録音で二人とも油の乗り切った演奏で息の合った清々しい演奏を聴かせている。(写真ー日グラモフォンLP、MG2252)このレコードはメニューインの2度目のベートーヴェン・ヴァイオリン・ソナタ全集の1枚でドイツ・グラモフォンへの唯一の録音でもあった。

FMエア・チェックから生まれた名演 - (10)

2009-02-14 03:24:56 | FMエア・チェック
 今日は私のFMエア・チェック・コレクションから巨匠カール・ベームがシュトゥットガルト放送交響楽団に客演した演奏会を紹介したい。これは1979年2月14日シュトゥットガルトのリーダハレ・ベートーヴェン・ホールで行われた演奏会でプログラムはベートーヴェンの交響曲が2曲、第2番と第7番であった。
 シュトゥットガルト放送交響楽団は南ドイツ放送協会所属のオーケストラで戦後1946年に発足した南ドイツ放送交響楽団がその前身である。昨日紹介したセルジュ・チェリビダッケが1971年に首席客演指揮者に迎えられ(その後1975年~79年まで首席指揮者)この楽団の名声が高まった。
 この演奏はベームが84歳の時の客演で非常に引き締まった第2番と第7番に仕上がっている。84歳の高齢とは思えないベームの若々しさすら感じられる見事なものだ。因みに彼は翌年(1980年)にウィーン国立歌劇場公演で最後の来日を果たした時同プログラムをウィーン・フィルで指揮しているが(10月6日/東京・昭和女子大学人見記念講堂)このときの演奏と比較しても対照的な演奏になっている。因みに演奏時間を比較すると第2番ー32分20秒(シュトゥットガルト)37分15秒(東京)、第7番ー37分15秒(シュトゥットガルト)、42分26秒(東京)と歴然である。東京で演奏した第2番の演奏時間とシュトゥットガルトでの第7番と演奏時間が偶然にも同じなのが興味深い。東京での演奏はそれだけ枯淡なベームがうかがわれる演奏と言う事になるのだろうか。

想い出の演奏会ー(11)チェリビダッケ/読売日本交響楽団第135回定期演奏会(1977)

2009-02-13 20:00:15 | 想い出の演奏会
 それまでわが国では「幻の指揮者」と言われていたルーマニアの巨匠セルジュ・チェリビダッケ(1912~1996)が初来日し読売日本交響楽団の指揮台に立ったのは1977年10月のことだった。彼はこの時、読響の4回の公演を指揮したと思うが私は最終日10月29日第135回定期公演に足を運んだ。(会場:東京文化会館)当日のプログラムはベルク:ヴァイオリン協奏曲(Vn:ロニー・ロゴフ)とブラームス:交響曲第4番ホ短調作品98であった。ヴァイオリン独奏のロニー・ロゴフは1945年イスラエル生まれのヴァイオリニストで指揮者チェリビダッケとは特に親交が深いとのことでベルクの協奏曲を抒情性豊かに聴かせてくれた。またブラームスの第4番では枯淡の味わいを堪能でき印象深いものだった。
 またチェリビダッケはレコード録音を極端に嫌う指揮者だった。この点はカラヤンと正反対である。したがって当時はごく一部の正規録音盤を除き彼の演奏はFMでオン・エされるコンサート・ライヴや海賊盤でしか聴けなかった。その意味でもこの時の読響客演はクラシック音楽ファンにとって一大センセーションを起こしたと言っていいだろう。その翌年(1978年)の3月にも彼は再来日し読響の指揮台に立つことになる。この時も私は彼の演奏に接しているが演奏曲目の一つレスピーギの交響詩「ローマの松」のフィナーレ「アッピア街道の松」-クライマックスでの彼の個性的な指揮ぶりとそのサウンドに圧倒されたのを鮮明に覚えている。写真は1977年10月チェリビダッケ初来日時、読響135回定期公演プログラム。演奏会修了後、彼は文化会館楽屋口で集まったファン一人一人にサインを応じていた。


 

バレンボイム若き日のバルトーク:ピアノ協奏曲を聴く

2009-02-12 20:49:50 | 協奏曲
 今日はバルトークのピアノ協奏曲が聴きたくなった。誰の演奏を聴くか迷った末ダニエル・バレンボイムが若き日にピエール・ブーレーズとニュー・フィルハーモニア管弦楽団とレコーディングしたLP(写真/日エンジェル・AA8617)を聴くことにした。協奏曲第1番(1926)と第3番(1945)がカップリングされている。バレンボイムのピアノ・テクニックが素晴らしい演奏である。その上バレンボイムとブーレーズの組み合わせもゴージャスだ。このレコードの録音はおそらく1960年代後半と思われるが音も実に新鮮に聴こえてくる。
 さらにブーレーズは2005年度レコード・アカデミー賞協奏曲部門銀賞を受賞したバルトーク全3曲のピアノ協奏曲全集CDをリリースしている。この全集は各曲の独奏者及びオーケストラが異なるちょっと珍しい全集盤になっている。因みに第1番ツィマーマン、シカゴ響、第2番アンスネス、ベルリン・フィル、第3番グリモー、ロンドン響とこれまた独奏陣・オーケストラ共、豪華である。

想い出の演奏会ー(10) オイゲン・ヨフッム/バンベルク交響楽団

2009-02-11 07:04:47 | 想い出の演奏会
 バンベルク交響楽団が初代首席指揮者ヨーゼフ・カイルベルトと初来日公演を行ったのは今から約40年余り前の1968年のことであった。しかし不運にもその年の秋ミュンヘンでワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」を指揮中に倒れ帰らぬ人になってしまった。そのカイルベルトの後を引き継いだのがオイゲン・ヨフッム(1902~1987)で彼は1968年から73年にかけてこの楽団の音楽顧問・71年からは首席指揮者も務め1982年来日時は名誉指揮者になっていた。
 そのヨッフムがこの来日公演で得意のブルックナー交響曲第8番ハ短調を初日の公演(9/15)に1回だけ振ると聞いて私は早くからチケットを求め首を長くしてこの公演を待った。当日は仕事のことは忘れそそくさと会場のNHKホールへ向かった。この演奏会の開始時刻は当時としては珍しく19時10分からであった。私の席はホール2階右7列目でステージからさほど遠くなかった。80歳を迎える巨匠の第8番の生をよもや聴けるとは思ってなかった私は興奮して演奏の中身どころではなく巨匠の指揮に圧倒されてしまった。この時の模様はNHK・FMで生中継され家内に録音してもらっていたので帰宅後じっくり聴きなおしたところその演奏の凄さに改めて驚いた。特に第3楽章のアダージョは見事なもので陶酔してしまう。また後にAltusレーベルからこのライヴは「NHK思い出のシンフォニー」としてCD化されているのでお聴きなったかたも多いと思う。後世に残る名ライヴの一つと私は思っている。(写真は当時のコンサート・プログラムとチケット)

想い出の演奏会ー(9) 小澤征爾指揮日本フィル第203回定期公演(1970)

2009-02-10 10:55:07 | 想い出の演奏会
 今日は「想い出の演奏会ー(9)」として1970年6月17日東京文化会館での公演、小澤征爾指揮日本フィルハーモニー交響楽団第203回定期演奏会について書いてみたいと思う。この時取り上げられたプログラムはマーラーの大曲、交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」であった。この作品はマーラーの交響曲の中でも大曲中の大曲で8人の独唱者のほか大規模な合唱団を必要とするため現在でも演奏会で生をそうそう聴ける作品ではない。因みにこの時の声楽陣は第1ソプラノ大川隆子、第2ソプラノ佐野順子、第3ソプラノ中村邦子、第1アルト春日成子、第2アルト伊原直子、テノール金谷良三、バリトン吉江忠男、バス佐藤征一郎の8名、合唱に日本プロ合唱団連合、東京合唱団、三友合唱団、東京放送児童合唱団が加わった。
 作品は通常の交響曲とは異なり2部構成で組みたてられ第1部のテキストがマインツの大司教フラバヌス・マウルス(770~850)が聖霊降臨節のために書いたとされるラテン語の賛歌「来たれ創造の主なる聖霊よ」が用いられ第2部ではゲーテの戯曲「ファウスト」の終幕大詰めの場を使用している。
 当時大学生だった私はこの大曲を生が聴けるということで胸をわくわくさせながら会場の東京文化会館へ向かった。私の席は文化会館2階センター3列目で学生身分でロイヤル・シートに座った私はいい気分で鑑賞できたことを今でも鮮明に覚えている。世界のオザワはこの時まだ34歳の若さであった。ウィーン・フィル、パリ管、ベルリン・フィル等に客演約半年ぶりの帰国公演でもあり期待感もふくらんだ。巨大なオザワのマーラー・サウンドに圧倒され演奏終了後の至福の喜びはまた格別であった。写真は当時のプログラムとチケット半券、このころのチケットは中々味がありセンスがいいものが多かった。