今から22年前(1987年)、年末年始の休暇をとり私は東欧(特にハンガリー、チェコ・スロヴァキア)中心に音楽鑑賞の旅に出かけた。今日はその中でブラティスラヴァ歌劇場で鑑賞したヴェルディの第3作目のオペラに当たる「ナブッコ」(1842)<原題はナブコドノゾール(Nabucodonosor)>についての想いでを書いてみたい。
当時の東側諸国はまだベルリンの東西の壁が崩壊前でまだ緊張感が漂っていた。当時チェコ・スロヴァキア第ニの都市であった(現在はスロヴァキアの首都)ブラチスラヴァも例外ではなかった。駅を降りた途端、真冬のこととは言え寒々とした何か寂しげな雰囲気は心細く感じられた。幸い歌劇場は宿泊ホテルの斜め前に位置していたので何かと便利だった。暮れの12月29日のことである。
このオペラの題名「ナブッコ」とはわが国では普通「ネブカドネザル」として知られている「バビロニア王国」の王様の名前である。この作品がヴェルディの出世作にもなったオペラである。物語はバビロニア王ネブカドネザルのユダヤ侵略(俗にいわれるバビロン捕囚)をめぐり2人の娘の間の愛憎劇で全4幕7場からなる。
一番の聴き所は第3幕2場で合唱で歌われる「行け、我が思いよ、金色の翼に乗って」であろう。この場面は今でも私の心の中に焼きついている。この歌は現在でもイタリアの「第ニの国歌」とも呼ばれイタリア国民に親しまれている曲と言われている。
今でこそ東京でも新国立劇場でかなりオペラが楽しめる時代になったが文化の違いがあるにせよ地方都市でもほとんど毎日オペラが鑑賞できるヨーロッパが羨ましく感じた時代でもあった。写真は当時のプログラムで値段は3コルナ、当時の相場で日本円にして約50円位だったと思う。
当時の東側諸国はまだベルリンの東西の壁が崩壊前でまだ緊張感が漂っていた。当時チェコ・スロヴァキア第ニの都市であった(現在はスロヴァキアの首都)ブラチスラヴァも例外ではなかった。駅を降りた途端、真冬のこととは言え寒々とした何か寂しげな雰囲気は心細く感じられた。幸い歌劇場は宿泊ホテルの斜め前に位置していたので何かと便利だった。暮れの12月29日のことである。
このオペラの題名「ナブッコ」とはわが国では普通「ネブカドネザル」として知られている「バビロニア王国」の王様の名前である。この作品がヴェルディの出世作にもなったオペラである。物語はバビロニア王ネブカドネザルのユダヤ侵略(俗にいわれるバビロン捕囚)をめぐり2人の娘の間の愛憎劇で全4幕7場からなる。
一番の聴き所は第3幕2場で合唱で歌われる「行け、我が思いよ、金色の翼に乗って」であろう。この場面は今でも私の心の中に焼きついている。この歌は現在でもイタリアの「第ニの国歌」とも呼ばれイタリア国民に親しまれている曲と言われている。
今でこそ東京でも新国立劇場でかなりオペラが楽しめる時代になったが文化の違いがあるにせよ地方都市でもほとんど毎日オペラが鑑賞できるヨーロッパが羨ましく感じた時代でもあった。写真は当時のプログラムで値段は3コルナ、当時の相場で日本円にして約50円位だったと思う。