私のレコード・ライブラリーから

私のレコード/CDコレクション紹介

聖歌「きよしこの夜」初演の地 ~ オーベンドルフ(聖ニコラウス教会)

2010-12-19 16:58:46 | 音楽家ゆかりの地

 今年もいよいよ「クリスマス」が今週末にやって来る。そこで世界中で親しまれているクリスマス聖歌「きよしこの夜」初演の地を紹介したいと思う。この聖歌が誕生したのは今から200年近くも前の1818年に遡る。場所はオーストリア、ザルツブルク近郊のオーベンドルフ(ザルツブルク中央駅前からオーベンドルフ鉄道に乗り換え約40分)の聖ニコラウス教会でクリスマス・イヴに初演されている。もっとも教会は20世紀初頭の1906年に取り壊され現在はその跡地に写真の「きよしこの夜礼拝堂」が建っている。写真(下)の礼拝堂内の祭壇はもともとの「聖ニコラウス教会」にあった祭壇が使われている。(いずれの写真も1996年筆者撮影)
 この聖歌は時の副司教ヨゼフ・モーアがテキストを作成し友人の音楽家(オルガニスト)フランツ・グルーバーが作曲、ソプラノとアルト独唱と合唱のための作品である。現在ではこの礼拝堂で「クリスマス・ミサ」が行われており世界中から多くの観光客も訪れている。筆者も1996年、大雪の中を訪問した思い出がある。

R.ワーグナーの楽劇上演、理想の殿堂 -「バイロイト祝祭劇場」

2009-11-06 06:06:01 | 音楽家ゆかりの地
 リヒャルト・ワグナー(Richard Wagner/1813~1883)がかねてから自身の楽劇を上演するための専用の劇場を建設することを望んでいた。その地に選ばれたのが南ドイツ、バイエルン州フランケン地方の一小都市バイロイト(Bayreuth)である。彼は時のバイエルン国王熱心なワグネリアンでもあったルートヴィッヒ2世の援助を得て1876年、理想の殿堂「バイロイト祝祭劇場(Bayreuther Festspielhaus)完成させる。その杮落としに上演されたのが大作「ニーベルングの指環」全4部作の初演であった。現在では毎年夏(7月下旬~8月下旬)約1ヶ月に渡り開催される「バイロイト音楽祭(Bayreuther Festspiele)」は劇場の客席数も1900席余りしかないため世界一チケットがとりにくい音楽祭としてオペラ・ファン、特に「ワグネリアン」の間ではこの「音楽祭」に足を運ぶことを「バイロイト詣で」とも言われているほどである。
 筆者はそれほどの「ワグネリアン」ではないがそれでもこのバイロイトの町には何回か訪れたことがある。写真は2002年夏に訪問した時に撮影した「祝祭劇場」である。この年はクリスティアン・ティーレマン指揮による「マイスタージンガー」が話題を呼んだ。
 バイロイトの町の中心「マルクト広場」から市バスに乗り約10分ほど旧市街地を走りぬけると木立ちの中に「祝祭劇場」が姿を現す。なぜかこの地の降りるとなぜか気分が引き締まる。この劇場は通常、夏の音楽祭期間の1ヶ月間しか使用されることがないのだがオフ・シーズンには劇場内部の「バック・ステージ・ツアー」もありオーケストラ・ピットや舞台装置なども見学することも可能である。この劇場の最大の特徴は観客を舞台に集中させる目的もあってかオーケストラ・ピットを舞台下に設置しているため観客席からは指揮者、オーケストラは見ることができない構造になっている。ヨーロッパの夏は極端に暑い夏になることは少ないが2002年、03年は猛暑の夏になった。劇場内にはエア・コン設備がないため「蒸し暑さ」は避けられない。また客席も黒く塗った木造の硬い椅子でシンプルであるが劇場全体が共鳴板の働きをしてまさに楽器の役割を果たした独特の音響空間を持っている。 筆者も近い将来この劇場でかつてこの劇場でしか上演を許されなかった舞台神聖祝典劇「パルジファル」を鑑賞することが「夢」である。

ブルックナーゆかりの地 - 聖フローリアン修道院

2009-09-23 15:26:53 | 音楽家ゆかりの地
 今日は私の好きなアントン・ブルックナーのゆかりの地、オーストリア、リンツ近郊に位置する「聖フローリアン修道院」をテーマに書いてみたい。
 この修道院はブルックナーがかつてオルガニストを長年務めていたことでも知られている。その歴史は古く現在の建物は17世紀末から18世紀にかけて建造されたものだそうだ。オーストリア屈指のバロック建築としても有名である。
 私は何度となくこの地を訪れたが最初の訪問は今から20年以上も前に遡る1986年の暮れのことだった。ブルックナーの棺がこの修道院の地下に安置されていることからそれ以前から一度は訪ねてみたいと思っていた。当時はまだオーストリア国鉄リンツ中央駅からのバスの便もなく不便だったため(現在はバスの便もあるようだが本数が少なく状況はあまり変わりはないようだが・・・)タクシーを利用しこの修道院から数キロほどのとこにあるアンスフェルデンのブルックナー生家(現在は資料館になっている)もまわりリンツ近郊の観光も楽しんだ想い出がある。
 写真左は1995年の冬に訪問した時のものだがこの年は首都ウィーンをはじめ大雪に見舞われ交通機関もちょっと大変だったが修道院が雪化粧し普段とは一味違う風情があった。管理人の方に早速ブルックナーの棺が安置されている地下室の鍵を開けてもらい棺を目の当たりにしたのが右1986年撮影の写真である。ほぼ中央に棺は安置され美しい花が添えられていた。その奥には殉教者たちの無数のが髑髏が積み重なるように置かれている。少々不気味さも感じたしだいである。
 ところで、この修道院では過去にブルックナーの交響曲の名演奏が行われたことも忘れることができない。1975年10月に朝比奈 隆率いる大阪フィルがこの修道院の中庭に面するマルモア・ザールで第7番を演奏しこの模様が収録され後にFMで放送されレコード、CD化され名演奏として高い人気をいまだに得ていることは凄いことだし1979年6月4日の大聖堂でのカラヤン/ベルリン・フィルよる第8番ライヴ演奏の映像(ユニテル)も大のカラヤン・ファンである筆者にとっては宝物である。