私のレコード・ライブラリーから

私のレコード/CDコレクション紹介

FMエア・チェックコレクションから「カラヤン/ベルリン・フィルーブルックナー交響曲第5番」

2009-09-30 06:05:24 | FMエア・チェック
 昨日にリンクして今日はカラヤン/ベルリン・フィルのブルックナー交響曲第5番のFMエア・チェックからコンサート・ライヴについて紹介してみたい。
 筆者のFMエア・チェック・コレクションには2種類のライヴがありどちらも甲乙つけがたい名演である。それは1972年12月31日、1973年1月1日にベルリン・フィルハーモニーザールで演奏された「ベルリン・フィル、ジルヴェスター・ニューイヤー特別演奏会」のライヴと昨日紹介したLPレコード録音セッションとほぼ同時に開催された1976年12月11日・12日に定期公演の録音である。(記録ではこの録音は12日のコンサート・ライヴとされている)当時のカラヤンは録音セッションと相前後して同曲をコンサートでも取り上げることが多かった。以前にもふれたと思うが彼はブルックナーの交響曲を第1番から第3番、第6番をコンサートで取り上げた記録はないが逆に第5番を含め第7番から第9番までの4作品は頻繁にコンサートで演奏した。その一部は映像でも鑑賞することも可能である。
 さてこの2つライブ演奏の基本的なカラヤンのこの作品に対するコンセプトであるが基本的には変わらない。演奏時間のトタールも約80分弱でほぼ同じでる。(参考までに昨日紹介したLP録音は第2楽章のアダージョが21分を超えた演奏になっているためトータルで80分強の演奏になっている)
 いずれにせよカラヤンの繊細な解釈は彼の音楽美学そのものでその魅力はファンにとってはたまらない。

「香港のレコード店」の思い出

2009-09-29 04:32:01 | ヘルベルト・フォン・カラヤン
 筆者がまだ20代の後半の頃(1970年代)仕事でよく香港を訪れる機会が多かった。当時、宿泊ホテルの香港島の街中に小さなクラシック・レコード専門店があり仕事の合い間によく顔を出していた。小さなレコード店にしてはクラシック・レコードの品揃えは豊富で筆者のカラヤンLPコレクションのドイツ原盤の一部はそこで入手した。その頃のレコードの値段は日本で求めるより香港の方が2~3割り安かったと記憶している。写真のカラヤンのブルックナー交響曲シリーズ(オルガー・マチスの羽根のデザイン・シリーズ)もその1枚だ。店に顔出しているうちに店主も私の顔を覚えてくれて「カラヤンの新譜が入ったよ」と声をかけてくれるようになった。私の70年代録音カラヤンLPコレクションの少なくとも約1/4はそこで収集した。
 このカラヤン/ベルリン・フィルのドイツ・グラモフォンによるブルックナー交響曲全集録音は1975年から81年にかけてベルリン・フィルの本拠地フィルハーモニーで行われている。ジャケットには五角形のフィルハーモニーをデザインしたシールが貼付されている。全集盤からの分け売りのジャケットは全てこの「羽根」のデザインで統一されている。写真の交響曲第5番(DG2701 101/2LP)を含め第7番、第8番2LPセットのDG原盤はカートン・ボックス入りであった。(確か日本盤はデザインは同じだが見開きジャケットだったと思う)
 演奏は言うまでもなく「カラヤン美学」の極致をいく優美なもので賛否両論はあるにせよこれほど透明感のあるブルックナー交響曲の録音は他に見あたらない。
 
 

映像コレクションから「チェリビダッケ38年ぶりにベルリン・フィルを振る」

2009-09-28 00:19:38 | 貴重映像
 ルーマニア出身の巨匠セルジウ・チェリビダッケ(1912~1996)が1954年以来約38年ぶりにベルリン・フィルの指揮台に立ったのは1992年のことだった。コンサートは3月31日、4月1日の両日にベルリンのシャウシュピール・ハウス(現在、ベルリン・コンチェルト・ハウス)で開催され演奏曲目はブルックナー交響曲第7番ホ長調であった。当時この模様はNHKBSとFM(4月1日の演奏会)で放送されたのでエア・チェックされた方も多いことだろう。筆者も映像とFM放送をDATで録音し大切に保存している。
 チェリビダッケはレコーディングを嫌った指揮者だったので彼の生存中はレコード・CDの数も海賊盤を除き極端に限られていた。このベルリン・フィルとの再会コンサートは当時、映像がリリースされるのではないかと噂されたこともあったがそれは幻に終わった。その意味でもこの録画映像はファンにとっては大変貴重なものと言える。(CDとしては当時海賊盤で出回ったことがある。)
 演奏はこれまでの彼の同曲の演奏の中では一番遅く演奏時間にして約87分を要している。彼の晩年のブルックナー交響曲の演奏の特徴は特にテンポを落としテーヌト気味にたっぷりとした音のフレーズを聴かせている。ブルックナーの音の響きを極限まで美しく表現したかったのであろうか。当然その評価は分かれるところであろうが筆者個人的には好きなタイプの指揮者だった。
 (写真は当時の録画映像から38年ぶりにベルリン・フィルを指揮するチェリビダッケ)

映像コレクションから「ショルティ/シカゴ響来日公演1986」

2009-09-27 10:14:01 | 貴重映像
 今日は映像コレクションの中からこれも現在では貴重な映像になったゲオルク・ショルティ/シカゴ交響楽団1986年来日公演を紹介したい。
 ショルティ/シカゴ響の初来日は1977年6月であった。筆者も当時、会場の東京文化会館に足を運び6月21日の公演ブラームス交響曲第2番他を聴いた。もちろん演奏は私の期待を裏切ることはなかった。ショルティの魅力はオーケストラを上手にドライヴし見事なサウンドを築き上げていくところにあった。この初来日公演は残念ながら電波に乗ることはなかったが今日紹介する1986年来日公演はNHKでテレビ、FM放送で3月26日公演のモーツアルト交響曲第35番ニ長調「ハフナー」K.385とマーラー交響曲第5番嬰ハ短調がオン・エアされている。私は映像も音もFMエア・チェックでオープン・テープで大切に保存している。映像は筆者のβビデオ・ステレオ・レコーダー2号機の時代に入ったがまだ満足のいく画質には遠かった。そのため音は音質が優れたオープン・テープの方を聴くことにしていた。この演奏は大変すばらしく特に後半のマーラーの第5番は世界屈指のヴィルトーゾ・オーケストラ、シカゴ交響楽団の魅力を充分に発揮した忘れられない名演である。(写真は当時の映像からマーラーの第5番を指揮するショルティ)

FMエア・チェック、オープン・テープ・コレクションから

2009-09-26 05:24:27 | FMエア・チェック
 ヘルベルト・フォン・カラヤンはストラヴィンスキーの舞踊音楽を「春の祭典」、「カルタ遊び」それに今日紹介する「ミューズの神を率いるアポロ」以外はレコーディングをしなかった。このうち「カルタ遊び」のみ1952年フィルハーモニア管弦楽団とのモノラル録音(EMI)である。「ミューズ」はストラヴィンスキーの新古典主義時代を代表する作品の一つであるがこの作品が持つ優美性をカラヤンが特に好んだからであろうか・・・レコード録音は夏のサンモリッツでのセッションで1972年8月にフランス教会で行われている。
 コンサートでは1970年代から1980年初頭にかけて多く取り上げられ筆者のFMエア・チェック・コレクションでは1980年12月7日ベルリン・フィルハーモニーにおけるコンサート・ライヴを保存している。この演奏でもベルリン・フィルとの格調高い優美なカラヤンの真骨頂を聴くことができる。
 因みにこの作品はワシントン国会図書館主催の現代音楽祭のための委嘱作品で1928年にワシントンで演奏会形式で初演されている。


 

映像コレクションから「バーンスタイン/ニューヨーク・フィルハーモニック来日公演1979」

2009-09-25 02:27:01 | 貴重映像
 今日は私の映像コレクションからレナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィルハーモニック、1979年の来日公演を紹介したいと思う。この映像は1979年7月東京文化会館に於ける演奏会の収録で「朝日放送」制作によるもので確か翌年(1980年)の正月特別番組(筆者が住む関東地区ではテレビ朝日)でオン・エアされた。演奏曲目はショスタコーヴィチの交響曲第5番である。
 この作品についてバーンスタインはこの映像の中で師クーセヴィツキーとの深い想い出と作品への関心の深さを語っている。彼のコンサートには海外での公演も含め何度か足を運んだが常に渾身の力をこめての指揮ぶりには圧倒された。この映像からも汗だくで指揮する彼の入魂のショスタコーヴィチが伝わってくる。またこのコンサートの模様は後にレコード・CD化もされておりデジタル録音による高音質のサウンドで鑑賞することも可能である。
 なにしろ今から約30年も昔の録画(筆者のβビデオ・ステレオ・レコーダー1号機)のため画質は現在のものと比較にならないが音声は比較的鮮明にしかもステレオで聴くことができる。私にとっては貴重な映像コレクションの一つである。
 (写真:ショスタコーヴィチ第5番を指揮するバーンスタイン/映像より)


映像コレクションから「シノーポリ/フィルハーモニア管弦楽団」来日公演1987

2009-09-24 00:40:48 | 貴重映像
 私の映像コレクションの中から今日はジュゼッペ・シノーポリ/フィルハーモニア管弦楽団1987年1月来日公演を紹介したい。これは当時NHKテレビで放送された映像をβビデオ・テープで録画したもので指揮者のシノーポリ亡き今となっては大変貴重なものだ。
 映像は1987年1月16日、サントリホールで行われた演奏会、独唱者にソプラノ、ユリア・ヴァラディ、アルトにワルトラウト・マイヤーを迎えてのマーラー交響曲第2番ハ短調「復活」である。今改めてこのテープを再生してみて感じたことだがシノーポリのマーラー指揮者としての才気が充分に窺伊知ることができる見事なものだった。彼は1985年から90年にかけてこのオーケストラとマーラーの交響曲全集録音を完成している。こちらも評価の高い名演であることは言うまでもない。その彼が2001年4月、ベルリン・ドイツ・オペラでヴェルディの「アイーダ」を指揮中に倒れ54歳で帰らぬ人になったことは当時世界のクラシック音楽ファンに大きな衝撃を与えた。彼はフィルハーモニア管弦楽団の音楽監督と並行し92年よりドレスデン・シュターツカペレの首席指揮者も兼務しており2002年8月からはドレスデン、ザクセン州立歌劇場の音楽監督も合わせて務めることになっていた矢先の不慮の出来事だった。
 彼はまた大学で精神医学を学び精神科医の別の顔を持ったユニークな指揮者だった。しかし彼の音楽に対する情熱はそれを上回る何かがあったのであろう。それはマーラーの演奏からもその劇的な表現力が聴く側の心に強く訴えかける才能を持った素晴らしい指揮者だった。(写真はマーラー交響曲第2番を指揮するシノーポリ/1987年1月16日公演映像から)

ブルックナーゆかりの地 - 聖フローリアン修道院

2009-09-23 15:26:53 | 音楽家ゆかりの地
 今日は私の好きなアントン・ブルックナーのゆかりの地、オーストリア、リンツ近郊に位置する「聖フローリアン修道院」をテーマに書いてみたい。
 この修道院はブルックナーがかつてオルガニストを長年務めていたことでも知られている。その歴史は古く現在の建物は17世紀末から18世紀にかけて建造されたものだそうだ。オーストリア屈指のバロック建築としても有名である。
 私は何度となくこの地を訪れたが最初の訪問は今から20年以上も前に遡る1986年の暮れのことだった。ブルックナーの棺がこの修道院の地下に安置されていることからそれ以前から一度は訪ねてみたいと思っていた。当時はまだオーストリア国鉄リンツ中央駅からのバスの便もなく不便だったため(現在はバスの便もあるようだが本数が少なく状況はあまり変わりはないようだが・・・)タクシーを利用しこの修道院から数キロほどのとこにあるアンスフェルデンのブルックナー生家(現在は資料館になっている)もまわりリンツ近郊の観光も楽しんだ想い出がある。
 写真左は1995年の冬に訪問した時のものだがこの年は首都ウィーンをはじめ大雪に見舞われ交通機関もちょっと大変だったが修道院が雪化粧し普段とは一味違う風情があった。管理人の方に早速ブルックナーの棺が安置されている地下室の鍵を開けてもらい棺を目の当たりにしたのが右1986年撮影の写真である。ほぼ中央に棺は安置され美しい花が添えられていた。その奥には殉教者たちの無数のが髑髏が積み重なるように置かれている。少々不気味さも感じたしだいである。
 ところで、この修道院では過去にブルックナーの交響曲の名演奏が行われたことも忘れることができない。1975年10月に朝比奈 隆率いる大阪フィルがこの修道院の中庭に面するマルモア・ザールで第7番を演奏しこの模様が収録され後にFMで放送されレコード、CD化され名演奏として高い人気をいまだに得ていることは凄いことだし1979年6月4日の大聖堂でのカラヤン/ベルリン・フィルよる第8番ライヴ演奏の映像(ユニテル)も大のカラヤン・ファンである筆者にとっては宝物である。

FMエア・チェック、オープン・テープ・コレクションから「1981年ウィーン芸術週間」  

2009-09-22 09:36:35 | FMエア・チェック
 今年2009年はメンデルスゾーン(1809~1847)生誕200年の年に当たる。日本でも今年は彼の作品をプログラムに取り上げるコンサートも多く見受けられる。それで今日は私の「FMエア・チェック・オープン・テープ」コレクションの中から鬼才ロリン・マゼールが「1981年ウィーン芸術週間」でウィーン・フィルを指揮した交響曲第3番イ短調「スコットランド」を紹介したいと思う。(演奏/1981年6月7日/ウィーン・コンツェルトハウス大ホール)
 この作品については以前にもペータ・マーク/ロンドン交響楽団の名演のLPを紹介したことがあるがライヴ演奏では今日紹介すりマゼールのこの演奏が個人的に凄く気にいっている。マゼールが堂々としかもじっくりと息の合ったウィーン・フィルとこの交響曲が持つ優美な旋律を上品にうたいあげているところが何といっても素晴らしい。
 確かマゼールはこの作品のレコーディングを行っていない思うのでその意味でもこのコンサート・ライヴは貴重なものでもある。

マチネー&ナイト・ダブル・オーケストラ・コンサート

2009-09-21 08:14:36 | 想い出の演奏会
 私にとって忘れられないコンサートがある。それは新日本フィルの定期演奏会とベルリン・フィルの来日公演が重なった日のことである。今から10年余りも前に遡るが1998年10月18日(日)の出来事であった。
 当日は新日本フィルハーモニー交響楽団の第270回定期公演、指揮小澤征爾の会場、「すみだトリフォニー・ホール(15:00開演)のマチネー・コンサートと夜はクラウディオ・アバド指揮/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団来日公演(19:30開演/サントリー・ホール)がありまさにダブル・メイン・コンサートであった。ヨーロッパの著名な「音楽祭」でさえめったに二人の超一流指揮者が同日に振るコンサートに出くわす機会は少ない。さすが大都市「東京」だと思った。聴く側も同日に2つのコンサートということで心して会場に出向いた。
 プログラムはマチネーの新日本フィルがマーラの歌曲「亡き子をしのぶ歌」(コントラルト/ナタリー・シュトゥッツマン)とR.シュトラウス交響詩「英雄の生涯」の2曲、歌曲の方は当初ソプラノのシルヴィア・マクネアが出演しR.シュトラウス「4つの最後の歌」が予定されていたが都合により来日できず急遽、出演者が代役となり曲目も変更となった。マーラー歌曲を得意するシュトゥッツマンの美声に聞きほれた。「英雄の生涯」では小澤の熱い指揮ぶりに酔い興奮さめやらず次の会場サントリー・ホールへ向かった。
 ベルリン・フィルのプログラムは前半がモーツアルト「フルートとハープのための協奏曲」(フルート/エマニュエル・パユ、ハープ/マリー=ピエール・ラングラメ)、後半が大曲ブルックナー交響曲第5番変ロ長調と聴き応え充分なものであった。コンサートが終了したのは午後10時近くになっていた。延べ約7時間(休憩、移動時間も含め)に及ぶコンサート聴き終えた私も満足感が疲労を忘れ心地よい気分で家路についた。(写真は当時のベルリン・フィル公演プログラムと会場で販売されたいた指揮者アバドのメッセージ他が収録されたベルリン・フィルハーモニーの五角形を模った変形CD)