私のレコード・ライブラリーから

私のレコード/CDコレクション紹介

黛 敏郎「涅槃交響曲」

2008-11-30 23:19:22 | 交響曲
 今日はもう一つ黛敏郎(1929~1997)の若きころの傑作「涅槃交響曲~Nirvana Symphonie」を紹介しようと思う。この作品は1957年~1958年にかけて作曲され1959年には第7回尾高賞を受賞している。作曲にあたり彼は全国の寺院を回り梵鐘を採取、研究したという。その結果として梵鐘を打つ音をデータ解析しその音色を管弦楽で再現するー彼自身これをカンパノロジー・エフェクト~Campanology-effectと定義した。さらに、「経」をテキストとして用い独唱と合唱が掛け合い最終楽章(第6楽章)では唯一旋律的に合唱が詠うが歌詞はない。曲は次の6楽章で構成されている。
 1楽章 Campanology I
 2楽章 Suramgamah(禅宗の経文の一つ)
 3楽章 Campanology II
 4楽章 Mahaprajnaparamita(まかぼん/経文)
 5楽章 Campanology III
 6楽章 Finalé
実際の演奏会では3群の男性合唱と管弦楽パートを分離しホール全体の音響効果をたくみに演出している。演奏時間は約35分。
 ところで、現在数種類のCDが出ているが私の愛聴盤は最初に購入したウィルヘルム・シュヒター指揮NHK交響楽団・合唱団のLP(東芝TA7003/廃盤)である。(写真)1959年の録音でモノラルを電気的にステレオ化したレコードであるが今聴いても決して遜色ない見事な演奏である。  


團 伊玖磨~交響曲の世界

2008-11-30 12:23:08 | 交響曲
 今から約十数年前、「團 伊玖磨50年の軌跡~交響曲全曲演奏」という企画があった。作曲者自身の指揮、管弦楽-読売日本交響楽団の演奏で彼の交響曲全曲を中心に3回にわけて開催された。私は彼の作品には以前から興味をもち特に交響曲作品は好きだったので自作自演と聞いて全3回の演奏会に足を運んだ。今となっては大変貴重で心にのこる私にとって最初で最後の彼の自作自演の演奏会にめぐり合えたことになる。ちょっと話はそれるがその昔彼はNTVの「だんいくまポップス・コンサート」という公開番組で司会進行・指揮しながらクラシック音楽を紹介する役を務めていた。ファンの一人である私もよく会場の渋谷公会堂に通ったものである。演奏会のフィナーレは会場の全員が番組のテーマ曲でもあった彼の歌曲「花の街」を合唱して終わる。この曲は彼の歌曲の中で一番気に入っている作品でもある。今このブログを書いているうちにふと昔のことが思い起こされた。話を本題の交響曲に戻したい。彼は生涯に交響曲を6曲遺している。幸いにして全6曲を収めた全集が1988年~89年にかけてウィーン交響楽団とウィーン・コンツェルトハウスで録音されCD化されている。(写真)第1番、第2番が山田一雄の指揮、第3番から第6番が本人團 伊玖磨の指揮である。今回は1984年から1985年にかけて作曲された最後の交響曲第6番を紹介したい。
 この作品は「HIROSHIMA」という副題が付されており「広島青年会議所平和問題委員会」の委嘱により作曲されたものである。和楽器-能管と篠笛、さらにソプラノ独唱を必要とし演奏時間も約55分前後をようする大曲である。副題のとおり原爆被爆都市広島をテーマとして作曲されたのであるが「挽歌」というよりは「未来への希望」を託して書かれた作品と考えられている。このCDでは能管、篠笛を横笛奏者の第一人者-赤尾美千子、ソプラノ独唱はアナ・プサールが受け持っている。曲は全3楽章で構成されており第1楽章の序奏でいきなり能管が鋭角的な響きをかなでこれが印象的である。第2楽章はファゴットで「鞆の浦大漁節」や篠笛による「音頭の舟歌」の旋律が奏でられる。終楽章ではソプラノ独唱が英国の詩人エドマン・チャールズ・ブランデンの「1949年8月6日広島に寄せた詩」が英語で歌われる。團 伊玖磨の交響曲の集大成である。

最高の旋律美~フォーレの「レクイエム」

2008-11-29 21:31:56 | 声楽曲
 「<レクイエム>の中で最高に美しいのは誰の作品か?」と問われれば即座に私はフォーレと答えるであろう。とにかく理屈ぬきで最高の旋律美を持つ作品であることはまちがいない。この作品は1885年父親の死を悼み作曲を決意したと伝えられている。作曲は1887年からとりかかり1888年1月に彼がオルガニストを務めていたパリのマドレーヌ教会で初演されたたが1890年に改訂され1892年に室内管弦楽の編成でサン・ジョルヴェ教会で現在の全7曲の形式での演奏に至っている。通常レクイエムは1.入祭誦 2.キリエ 3.怒りの日 4.奉献誦 5.サンクトゥス 6.ベネディクトゥス 7.アニュス・デイ 8.コンムニオ(聖体拝領誦)の形式によるがフォーレの場合は3の劇的な「怒りの日」がない。代わりに美しい「ああ、イエズスよーPie Jesu」、「楽園にてーIn Paradisum」を入れている。中でも「神の子羊ーAgus Dei」は天国的に美しい。ではこの作品の名盤はとなれば、発売されてもう45年あまり経過してもアンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団/ヴィクトリア・ロス・アンヘルス(ソプラノ)、ディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウ(バリトン)エリザベート・ブラッスール合唱団、アンリエット・ピュイ・ロジェ(オルガン)によるEMI盤を上回る演奏はまだ出てないと思われる。私はこの演奏をLPではなく当時発売されていた4トラック・2チャンネルステレオ・オープン・テープ(EMI-AXA3026)で購入した。(写真)2008年の現在もすばらしい音質で再生できる。もちろん現在はEMICLASSICS Best100シリーズでCD化されている。不滅の名盤である。

ジャズ・ピアニスト/キース・ジャレットが弾くモーツアルト

2008-11-29 14:58:22 | 協奏曲
 ジャズ・ピアニスト、キース・ジャレットが1994年~1998年にかけて録音したモーツアルトのピアノ協奏曲集のCD(2枚組み)がジャズ・レーベルECMから2種類リリースされている。現在ではちょっと入手が難しいかも知れないがこれらは現代ものを得意とする指揮者デニス・ラッセル・デイヴィス、シュトゥットガルト室内管弦楽団とのコンビによるものである。収録曲はECM1565-66がピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467、23番イ長調K.488、第27番変ロ長調K.595+フリーメンソンのための葬送音楽K.477、交響曲第40番ト短調K.550、ECM1624-25が第9番変ホ長調K.271、第17番ト長調K.453、第20番ニ短調K.488+アダージョとフーガニ短調K.546である。(写真)今改めて聴いてみるとキースのクラシック音楽に対するレベルも非常に高いことがよくわかる。協奏曲におけるカデンツァもさすがにジャズ・ピアニストらしく彼のオリジナルアレンジで即興性も発揮され充分に聴き手を楽しませてくれる。私は特に第20番の協奏曲が気に入っている。今から23年前「Tokyo Music Joy」で来日した彼は新日本フィルをバックに第23番を弾いた。(第20番はチック・コリアが弾く)私はこの演奏を生で聴きキースのマルチ・テクニックを初めて認識した。また彼は同レーベルにショスタコーヴィチの「24の前奏曲とフーガ作品87」も1987年に録音(ECM1469-70)しておりこちらも聴き応えのある演奏だ。

カラヤン・ラスト・レコーデイング

2008-11-28 22:53:36 | ヘルベルト・フォン・カラヤン
 巨匠ヘルベルト・フォン・カラヤンのラスト・レコーデイングはウィーン・フィルとのアントン・ブルックナーの交響曲第7番ホ長調であった。このレコーディング・セッションは1989年4月18日から23日にかけてウィーンのムジーク・フェラインザールで行われた。CDは翌1990年にDGより発売され日本初回盤にはカラヤンの完全ディスコグラフィが添付されていた。演奏はカラヤン美学の極致に到達したものといって過言ではない。ウィーン・フィルのたおやかな弦の響きと柔らかい管楽器の響きが聴き手をブルックナーの世界に誘いこむ。またセッション最終日の23日はカラヤン生涯最後の演奏会が同会場、同楽団、同曲目で開催されている。ブルックナーの交響曲はよく使用する楽譜の版が話題になることがある。カラヤンは従来ハース版を基本としていたようであるが、第7番の場合第2楽章のクライマックスでシンバル、トライアングル、ティンパニーを付加しているので純粋な意味でのハース版とは言えないのではないだろうか。このことは、彼の以前の録音1971年のEMI盤や1975年DG盤(いずれもベルリン・フィルとの録音)も同様である。版のことはさておき、私はこの第7番を1973年10月彼がベルリン・フィルと来日した折(NHKホール落成記念)実演で聴いている。私の席は3階センター2列目であったが彼のエネルギッシュで繊細な指揮振りとベルリン・フィルの金管群の迫力に圧倒された。第4楽章が終わるやいなや嵐のような拍手とブラボーの叫び声が会場を埋め尽くし聴衆の覚めやらぬ興奮が渦巻いていた。私は1966年からカラヤン来日のたびに演奏会に足を運んだが73年のこの演奏会は格別であった。 
 

ベルリオーズ~生への回帰「レリオ」

2008-11-28 02:33:35 | 交響曲
 ベルリオーズの作品のなかでも最もユニークな作品と思える「レリオ」について書いてみたい。この作品は彼の代表作「幻想交響曲」の続編、完結編として作曲された。「レリオー叙情的モノドラマ、生への回帰」(Lélio,ou Le retour à la vie;Monodrame lyrique)は元来「幻想交響曲ーある芸術家の生涯の挿話」(Épisode de la vie d'un artiste)とセットで演奏されるべきものであった。作曲者自身もそのことを望んでいたが現在ではほとんどセットでは演奏されていない。私も最近セットで生の演奏を聴いたのは数年前「東京の夏音楽祭」のオーケストラ・コンサートで小澤征爾/新日本フィルの演奏を思い出すくらいである。確か彼は1972年に日本フィルでこの作品の日本初演を果たしている。ではなぜこの作品は演奏される機会が少ないのであろうか。それは様々の理由があると思われるが中心人物(語り手)作曲家レリオは音楽家ではなく優秀な舞台俳優が務めなければならない。しかも語りは原語のフランス語が望ましい。また合唱団に加えてテノール、バリトンの独唱者も必要である。楽器編成も大規模である。このような理由もあり生の演奏にめぐり合える機会が少ないのかも知れない。作品は次の6つの曲から構成されている。1)漁師ーゲーテのバラード 2)亡霊の合唱 3)山賊の歌 4)よろこびの歌 5)エオリアン・ハープの思い出 6)シェイクスピアの「嵐」に基づく幻想曲 第6曲が終わると舞台はレリオ一人になりしばらく沈黙が続き舞台裏から「幻想交響曲」の固定観念がかすかに聴こえ、アンコール、そしていつまでも...(Encore, encore, et pour toujours...)とつぶやいて舞台を去っていく。さてこの作品の私の愛聴盤であるが、ピエール・ブレーズが1967年に語り手ジャン・ルイ・バロー(Jean-Louis Barrault)(テノール)ジョン・ミッチンソン、(バリトン)ジョン・シャーリー=カーク、ロンドン交響楽団、合唱団で録音したものである。(写真)俳優ジャン・ルイ・バローの語りがすばらしい。尚、蛇足だが題名の「レリオ」は作曲者ベルリオーズが自分の名前をもじったものである。












珍盤! スッペの「レクイエム」

2008-11-27 00:30:48 | 声楽曲
 私のレコード・ライブラリーの中でも珍盤の1枚に数えられるフランツ・フォン・スッペ(Franz von Suppé/1819-1895)の「レクイエム」を紹介したい。スッペは19世紀ウィーンを中心に活躍し代表作「詩人と農夫」をはじめとするオペレッタ作曲家であったが死者のための「レクイエム」ものこしている。これは、1855年に作曲され彼の友人であり1850年に亡くなったフランツ・ポコルニーの霊に捧げたといわれている。曲は演奏時間約85分に及ぶ大作である。前々回に紹介したヴェルディの「レクイエム」(1874)とほぼ同時代の作品であるがヴェルディのような劇的な派手さはなく古典的な旋律の美しさを持っている。私が所有するCDは何年か前に廃盤セールで手に入れたもので(写真)原盤はスイス/Novalisレーベル(CRCB3053/54廃盤)である。解説によればウィーン初演の際には好評だったが次第に忘れさられ、1901年ウィーンでの演奏を最後にスコアも紛失したとのことである。その後近年ウィーンの図書館で自筆譜が発見され現在に至っている。
 このCDは1994年7月にチューリッヒで下記のメンバーで録音されたものである。
   (ソプラノ)マリン・ハルテリウス (アルト)ヴェレナ・バルバラ・ゴール
   (テノール)ヴォルフガング・ビュンテン(バス)オリヴァー・ヴィトマー
    (指揮) エドモン・ド・シュトウツ
    (管弦楽)チューリッヒ室内管弦楽団
    (合唱) チューリッヒ・コンツェルト合唱団 
 演奏は非常に上品で透明度の高いもので前述のごとく旋律美を前面に打ち出した見事なものである。スッペの音楽感性の高さを改めて感じとった。

私の好きなオぺラ ~(1) ベルリーニ「ノルマ」

2008-11-26 20:17:25 | オペラ
 今日は私の好きなオペラ作品について書いてみたい。第1回目は私が1971年9月「第6回NHKイタリア歌劇団招聘公演」でその実演に接し好きになったヴィンツェンツォ・ベルリーニ(Vincenzo Bellini/1801-35)の最高傑作とも言われる「ノルマ」を紹介したい。この時の公演ではタイトルロール=ノルマを当時イタリア・オペラ界で最も注目されたギリシャ生まれのソプラノ・エレナ・スリオティス、イルミンスル神殿の巫女アダルジーザにメゾ・ソプラノの代表格フィオレンツァ・コッソット、二人の共演が生で聴けるということで関心が集まった公演でもあった。初日の公演はNHK FMで生中継された。私の記憶ではスリオティスの体調がいまいちでちょっと残念であったが二人の二重唱の場面などでは美声を充分に発揮していたと思う。アダルジーザを演じたコッソットはさらに素晴らしかった。さてそんな二人が共演した録音が英デッカにある。それはロンドン・オペラ・ライブラリーの第1巻として1969年に出たLP(SLC7065-66/写真・右は当時のイタリア歌劇団来日公演1971年プログラムとチケット)で現在はCD化もされている。(POCL2562/3-)また、この録音にはポリオーネ役に名テノール・マリオ・デル・モナコも加わり最高のコンディションで臨んだレコードである。最高の演奏とされているマリア・カラスの1954年のモノラル録音盤は別格としてステレオ盤ではこの録音を第一にあげたいと思っている。特に第1幕のノルマのカヴァティーナ「清らかな女神よーCasta Diva」や第2幕の仲直りの二重唱「いまわの際まで私はあなたの友ーSi,fino all'ore estreme」などは大変に素晴らしい二人の美声を堪能できる。ただしLP2枚に収めるため鑑賞には直接影響のないカバレッタ(オペラの中の短いアリア)の反復はカットした録音である。尚、指揮はシルヴィオ・ヴァルヴィーゾ、オーケストラ・合唱はローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団、同合唱団である。



FMエア・チェックから生まれた名演 - (3)

2008-11-25 19:13:51 | FMエア・チェック
 今日は「FMエア・チェックから生まれた名演」の第3回目として1978年ザルツブルク音楽祭からオーケストラ・コンサートとして行われたヘルベルト・フオン・カラヤン指揮ベルリン・フィルのヴェルディの「レクイエム」を取り上げてみたいと思う。独唱陣にソプラノ/ミルレラ・フレーニ、アルト/アグネス・バルツァ、テノール/ホセ・カレーラス、バス/ニコライ・ギャウロフという当時の最高のメンバー、合唱ウィーン楽友協会合唱団というまさに「カラヤン組」で演奏された。放送は同年12月27日NHK FMでされている。演奏はいまさら述べるまでもなくこのオペラティックでドラマティックな「レクイエム」をカラヤン魔術が最高の美しさをもって聴衆を酔わせた名演になっている。私はこの演奏をエア・チェックしたオープン・テープでいつも鑑賞している。オーストリア放送協会の録音もすばらしくダイナミック・レンジもかなり広くとられている。
 カラヤンはこの作品を好みかなりの数にのぼる実演を行っているが亡くなった年の1989年3月27日(亡くなる約4ヶ月前)ザルツブルク・イースターフェスティヴァルでのベルリン・フィルとの演奏が最後になった。私は1979年10月、ウィーン楽友協会合唱団を伴って来日しテノールを除き同メンバーでの彼の演奏に生で接している。このときの感動は現在も私の胸に焼きついている。(東京杉並/普門館)

オットー・クレンペレラー ラスト・コンサート

2008-11-24 21:23:43 | 交響曲
 2008年7月、「オットー・クレンペラー・ラスト・コンサート」と題する2枚組みCD(写真/SBT2 1425)が「TESTAMENTシリーズ」から発売された。文字通り指揮者界の巨匠クレンペラー(Otto Klemperer/1885-1973)がニュー・フィルハーモニア管弦楽団(現フィルハーモニア管弦楽団)と行った1971年9月26日ロンドン/ロイヤル・フェスティヴァル・ホールでの生涯最後の演奏会をライヴ収録したものである。当日のプログラムはベートーヴェン「シュテファン王」序曲、当時イスラエル生まれの若手ピアニスト/ダニエル・アドニ(Daniel Adni/1951~)をソリストに迎えてベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58、ブラームス/交響曲第3番ヘ長調作品90の3曲であった。いずれも巨匠の得意とする作品である。このCDは当日の会場の雰囲気もたっぷりと収録しており指揮者登場の拍手や楽章間の聴衆の咳なども余すところなく伝えている。ただ、1971年の録音にしてモノラルなのが惜しいが当日の聴衆の熱気等は充分に感じとれる。ピアノ協奏曲でソリストを務めたアドニのテクニックもすばらしい。クレンペラーは一般的にテンポを遅めにとる指揮者だがこのコンサートではさらに遅く振っているようである。因みにベートーヴェンの協奏曲は36分強、ブラームスの第3番は42分強を要している。彼の生演奏に接することができなかった私にとっては彼の最晩年の演奏を聴ける貴重な宝でもある。