私のレコード・ライブラリーから

私のレコード/CDコレクション紹介

バーンスタイン/フランス国立管弦楽団のフランク「交響曲ニ短調」

2011-03-31 20:06:49 | 交響曲

 写真のLP盤ーフランク「交響曲ニ短調」他はレナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein/1918~1990)がフランス国立管弦楽団と「ドイツ・グラモフォン」に録音した1枚である。(DG/2532050/デジタル録音)この演奏は1981年11月21日、パリの「シャンゼリゼ劇場」におけるライヴ録音だが聴衆のノイズがほとんどなくまた演奏後の拍手もカットされている。従ってこの録音もライヴ収録とは云えおそらく「ゲネ・プロ」等の演奏も含めレコードに編集されたものと思われる。しかしその演奏はバーンスタインらしくダイナミックで「フランス国立管弦楽団」の管楽器群の冴えた音が聴きものである。このような渋い作品には演奏のコントラストが少々派手気味の方が聴き手に与えるインパクトが強烈になる。またレコード第1面の頭に収録されているサン=サンースの「ギリシャ神話」を題材にして作曲された交響詩「オンファールの糸車」もこの作品が持つファンタジーな楽想を巧みに表現した演奏になっている。おそらくこれはバーンスタインが遺した唯一の録音ではなかったかと思う。
 尚、レコーディング・ディレクターはCBS時代からバーンスタインのレコーディングでは馴染みのジョン・マックルーアがあたっている。

「ボザール・トリオ」の結成者 - メナヘム・プレスラーの「コンサート・ホール録音」

2011-03-30 00:58:06 | 協奏曲

 「ボザール・トリオ(Beaux Arts Torio)」はフランス語表記だが1955年に名ピアニスト、メナヘム・プレスラーによって組織されたアメリカの有名な「ピアノ・トリオ」である。その活働は創設者のプレスラーを除きヴァイオリン、チェロの奏者の交代は時代とともにあったもののその活働は半世紀以上も続いた。因みに最近ではヴァイオリンのダニエル・ホープやチェロのアントニオ・メネセスもメンバーの一員であった。
 この「三重奏団」を立ち上げたピアノのメナヘム・プレスラー(Menahem Pressler/1923~ )が「コンサート・ホール盤」に録音した協奏曲の1枚に写真のショパン「ピアノ協奏曲第2番ヘ短調作品21」/メンデルスゾーン「ピアノ協奏曲第1番ト短調作品25」がある。(Concert Hall Society-SM2314/ステレオ)指揮はウィーンの名指揮者ハンス・スワロフスキー、管弦楽はウィーン国立歌劇場管弦楽団で正確な録音年月は不詳だが1960年代と推定される。(尚、このレコード・ジャケットには「ウィーン・フェスティバル管弦楽団」と表記してあるが誤記と思われる。)彼はショパンを得意のレパートリーとしていたようで「第1番」の協奏曲も指揮者は異なるが同「コンサート・ホール」に録音している。いずれも若きプレスラーの軽快なピアノ・タッチが聴ける懐かしさを覚える1枚でもある。

「コンサート・ホール盤」からワルター・ゲールの「火の鳥」

2011-03-28 18:41:43 | 管弦楽曲

 この週末に「コンサート・ホール盤」の10インチ盤を整理してみた。その内何枚かはすでに紹介済みだが今日はワルター・ゲール(Walter Goehr/1903~1960)ー ベルリン出身の作曲家・指揮者が振ったストラヴィンスキーの舞踊音楽「火の鳥」組曲、写真の1枚にスポットを当ててみたい。このレコードはもう半世紀近く前にリリースされたコンサート・ホール10インチ・モノラル盤(Mー64A)でジャケット・デザインもなかなかイキな1枚である。
 彼はユダヤ系ということもあって当時の「ナチス」の弾圧を逃れるために英国へ亡命し作曲・指揮活働をした人で特にロシアものに定評があったと言われている。事実この収録された「火の鳥」組曲も好演でそれを裏付けている。因みに管弦楽用組曲版には1911年、1919年、1945年の3つの版が存在するがこのレコードではオリジナルの4管編成を2管編成に縮小した1919年版が使用されている。またこのレコードの第2面にはストラヴィンスキーが指揮者セルゲイ・クーセヴィツキー夫人ナタリーに献呈した「ピアノと管楽器のための協奏曲」が収録されている。ここでピアノを弾いているのが鬱病のため自殺により1953年に31歳の若さでこの世を去ったメルボルン出身のピアニスト、ノエル・ミュートン・ウッド(Noel Mewton=Wood/1922~1953)である。彼もまた当時ピアニスト・作曲家として多方面で活躍が期待された人だけにこの録音も貴重な1枚になった。
 尚、余談ながら両曲の管弦楽が「アムステルダム・フィルハーモニー管弦楽団(日本語表記)/Amsterdam Philharmonic Society Orchestra(英語表記)」となっているがその実体が1953年創立の旧アムステルダム・フィルハーモニー管弦楽団、現在のネーデルランド・フィリハーモニー管弦楽団(Nederlands Phiharmonisch Orkest)なのかは不明である。



クベーリック/バイエルン放送響のウェーバー「序曲集」

2011-03-27 00:21:42 | 管弦楽曲

 ラファエル・クーベリック(Rafael Kubelik/1914~1996)がバイエルン放送交響楽団の首席指揮者時代初期、1963,64年頃にドイツ・グラモフォンにレコーディングした写真のLP「ウェーバー・序曲集」(DG/136 463SLPEM)も筆者にとっては「カラヤン/ベルリン・フィル盤(DG)」と共に忘れ得ぬ1枚である。クベーリックはその後1979年に同楽団と「魔弾の射手」の全曲を「英デッカ」に録音しこれも誉れの高いディスクである。
 この「序曲集」はオペラ序曲から収録順に「オベロン」・「アブ・ハッサン」・「魔弾の射手」(以上第1面)、「オイリアンテ」、付随劇音楽序曲から「プレチオーザ」、管弦楽用序曲から「祝典(歓呼)序曲(以上第2面)の全6曲が収められている。因みに「プレチオーザ」は題材をセルバンテスの「ジプシーの娘」からとったヴォルフの劇に作曲されたもの、また最後の「祝典(歓呼)序曲」はザクセンの選帝侯ーフリードリヒ・アウグストI世の治世50周年を祝い作曲、曲のコーダ部に当時のザクセン国歌(イギリス国歌と同旋律)が使用されているところも興味深い作品である。

 
 
 

 ズッカーマンのエルガー「ヴァイオリン協奏曲ロ短調」

2011-03-25 16:15:03 | 協奏曲
エルガーの「ヴァイオリン協奏曲ロ短調作品61」については以前にナイジェル・ケネディ、サー・サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団(1997年録音/EMI)の演奏を紹介したことがあるがこのピンカス・ズッカーマン(Pinchas Zukerman)の演奏も忘れがたい1枚である。
 写真(CD/米BMG)は彼がレナード・スラットキン、セントルイス交響楽団と1992年にレコーディングしたもので彼にとっては1976年録音のダニエル・バレンボイム/ロンドン・フィル(CBS盤)に次ぐ同曲の再録音盤となる。前録音CBS盤と同様にこの大作協奏曲に真っ向から取り組みじっくりと聴かせている。特に第2楽章「アンダンテ」の美しい響きにうっとりとさせれてしまう。余白に収録されたエルガーの名曲「愛の挨拶(Salut d'amour)」がこの大作を聴き終えた後をさわやかな気分にさせてくれる。
 ズッカーマンはまたヴィオラの名手でもあり最近は指揮活動にも力を入れており彼のマルチな手腕に今後も期待したいところである。






 

カルロス・クライバー/VPO ー ブラームス「交響曲第4番」

2011-03-24 20:11:24 | 交響曲

 カルロス・クライバー(Carlos Kleiber/1930~2004)、このカリスマ指揮者に日本のクラシック音楽ファンの間で人気の強烈な炎が燃えあがったのはいつの頃だっただろうか。彼が「バイエル国立歌劇場公演」で初来日したのは確か1974年だったと思うがまだこの時代は筆者の記憶では彼の人気は沸点に達していなかったように思う。おそらく3回目の来日公演となる1986年の「バイエルン国立管弦楽団公演」のチケットあたりから入手が困難になった記憶があるので多分その頃には日本中の音楽ファンに彼が持つ「カリスマ性」に人気が沸騰したのであろう。
 ところで生前の彼は気分が乗らないと突然コンサートをキャンセルしたりして気難しいところもありまたレコード録音の正規録音も数少なくその上レパートリーも偏っていた。その中でも今回取り上げる彼がウィーン・フィルとレコーディングした「ブラームス/交響曲第4番」は筆者の一番の愛聴盤である。(写真/DG.400 037-2)この録音は1980年3月ウィーン楽友協会ホールにおけるセッション録音であるが何回聴いても「コンサート・ライヴ」を聴いているよな魅力を感じる演奏だ。勿論このCD(1981年発売当時はLP)、リリースされて30年余りが経過した現在も同曲の演奏評、人気ランクのベストを譲らないところもうなづける。何でもこの録音の前年に同曲の「ウィーン・フィル」との実演のあまりにも素晴らしさが翌年のレコーディングへの運びとなったことも合わせて裏付けている。彼が「ウィーン・フィル」と遺した交響曲の正規盤はこの他「ベートーヴェン/交響曲第5番・第7番」や「シューベルト/交響曲第3番・第7(8)番」と数少なくいずれも素晴らしいものだがとりわけこのラームスは秀逸だ。

非売品「オーディオ・チェック」LPレコード

2011-03-22 21:46:11 | 管弦楽曲

 1970年代には「オーディオ再生装置チェック用」のレコードをよく目にしたが今回取り上げる写真のLPもその1枚である。このレコードは「クラシック音楽愛好家仲間」から当時筆者の誕生日プレゼントに頂いたもので現在も大切に保存し愛聴している。(YAMAHA-YDD7902)
 収録曲はリムスキー=コルサコフの代表作、交響組曲「シェエラザード」、演奏は当時新進の若手指揮者、現在は「東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団」の首席客演指揮者で海外では欧州、特にフランスを中心に活躍を続けている矢崎彦太郎と「東京交響楽団」によるものである。「非売品レコード」とは言えおそらく彼の「デビュー盤」ではないかと思われる。ジャケットに録音場所、「世田谷区民会館」とあるが録音年月日の記載はない。添付された解説書から1977年前後と推定される。この時代はまだ東京の「コンサート・ホール」はまだ「東京文化会館」が中心で国内制作のオーケストラ・レコード録音は前述の「世田谷区民会館」や「旧杉並公会堂」などが使用されていたのが懐かしく思い出される。
 さてこのレコード録音は解説によれば当時「ヤマハ」の電気音響技術陣により開発された「デジタル・レコーダー」によるものとされているところからも国内における「デジタル録音」の走りの1枚と考えられる。使用機材レコーダーに「U-Matic VTR」とあるのも時代を感じさせられる。ダイナミック・レンジはそこそこだが耳に感じ取れる迫力はそれほどでもない。しかし各楽器の分離は良好でこの作品が持つ音の色彩感が豊かに捉えられているところに一票入れたい。

超快速テンポで進むミトロプーロス/NYPの「悲愴」

2011-03-21 12:15:39 | 交響曲

 ギリシャの首都アテネ出身の名指揮者ディミトリ・ミトロプーロス(Dimitri Mitropoulos/1896~1960)は幅広いレパトリーを持った人だった。しかし彼は1960年ミラノ・スカラ座でマーラーの交響曲第2番「復活」のリハーサル中に倒れこの世を去ってしまったため彼が遺したステレオ録音のレコードの数は少ない。それらのステレオ録音レコードの中から1枚彼が超快速で飛ばすチャイコフスキーの「悲愴」を紹介したい。 
 この写真のLP盤は「日本コロムビア」の懐かしい10インチ・ステレオ盤(ZS26)で彼が当時音楽監督を務めていた「ニューヨーク・フィルハーモニック」との演奏である。ジャケットには録音年月等は記載されてないが1958、9年ごろの録音ではないかと思われる。演奏は第1楽章のアダージョの序奏部を過ぎアレグロに入ると一気に超快速テンポで進む全曲演奏時間約40分の「悲愴」である。筆者にとってはちょっと物足りなさが残る「悲愴」だが反面彼の解釈の「ユニーク」さも多々感じられる。また彼のモーツアルトやベートーヴェン、ブラームス等の交響曲の録音が見当たらないのも残念なことである。


 

ストコフスキー、ヒューストン響時代の録音から

2011-03-20 12:03:46 | 交響曲

「音の魔術師」とも呼ばれたレオポルド・ストコフスキー(Leopold Stokowski/1882~1977)のレコードもこれまでに何枚か紹介してきたが今回は彼が「ヒューストン交響楽団」音楽監督時代(1955~1961)に録音したスクリャービンの交響曲第4番「法悦の詩」作品54ー写真の1枚を取り上げてみたい。
 このLP盤はもう40年近く前の1970年代初頭に「日本コロムビア」から廉価盤として発売されていた国内盤(RE-1603-EV)だが原盤は「米エヴェレスト」でレコーディングは1959年に行われている。録音方式も当時「エヴェレスト」がトップを切って導入したステレオ初期のHiFi録音-「35mmマグネチック・フィルム」によるものであった。その当時としては画期的なステレオ録音で懐かしさも感じる。もちろん今聴いてみると時代も感じてしまうが演奏はストコフスキーらしい音の色彩感が味わえる1枚だ。またこの盤の第2面にはほぼ同時代に録音されたと思われるサー・マルコム・サージェント(Sir Malcom Sargent/1895~1967)/ロンドン交響楽団によるプロコフィエフの「キージェ中尉」組曲が収録されておりこれもなかなか魅力的な演奏である。
 尚、ストコフスキーはその後1972年にこの「法悦の詩」を「英デッカ」にチェコ・フィルとライヴで再録音している。こちらは当時の「英デッカ」の超ステレオ録音方式ー「フェーズ4(Phase 4)」によるものであった。
 



シノーポリの「ロマン派交響曲」二つのデビュー盤

2011-03-19 21:45:58 | 交響曲

 ジュゼッペ・シノーポリ(Giuseppe Sinopoli/1946~2001)は現代音楽に精通し人で彼の当初の指揮者としての活働はその現代音楽の演奏を目的として1975年に自ら組織した「ブルーノ・マデルナ・アンサンブル」からだったと思う。そして彼が指揮者として世界的に注目を浴びたのはオペラ指揮者として1980年ー81年シーズンに「ウィーン国立歌劇場」に登場した頃からだった。本日取り上げる彼の2枚のレコードはその2年後の1983年6月にレコーディングされた彼の初の「ロマン派交響曲」であった。
 いずれも「ドイツ・グラモフォン盤」であるが写真上が「ウィーン・フィル」とのシューマン/交響曲第2番ハ長調作品61(序曲「マンフレッド」も収録/DG410 863-1)、写真下が「フィルハーモニア管弦楽団」とのシューベルト/交響曲第7(8)番ロ短調D.759「未完成」とメンデルスゾーン/交響曲第4番イ長調「イタリア」作品90のカップリングであった。(DG410 862-1)どちらも発売当時非常に注目を浴びたレコードでもあった。シューマンが精神的衰弱の病の兆候が出始めた時期に苦悩と戦いながら作曲された「第2番」のシューマンの感情の起伏を見事な分析力で表現している。そのあたりは彼が精神医学を学んだことからも素直にうなづける。またメンデルスゾーンの「第4番」は豊かな旋律と第4楽章の「サルタレロ」のはずむリズムが特徴的であるがシノーポリのイタリア人的気質が充分に感じ取られる演奏である。若きシノーポリを思いださせるレコードだ。