私のレコード・ライブラリーから

私のレコード/CDコレクション紹介

三遊亭 圓生 「お藤松五郎」

2011-08-14 14:00:02 | 落語

 今日は圓生師の「お藤松五郎」が聴きたくなり写真のCDを朝からじっくりと耳を傾けた。圓生の「お藤松五郎」の音源は映像も含めるとこれまでに何種類かリリースされていると思うが筆者が好きなのは写真の「ソニー・ミュージック」から1994年CD化された1974年ー75年スタジオ録音によるものと実演ライヴものでは1979年5月31日国立小劇場における「TBS落語研究会」の高座である。この模様は1986年8月に「TBS落語特選会」で放送されたものを録画し保存しているが現在は「DVD化」され市販もされているようである。
 筆者は圓生師の実演をその昔「東横落語会」や「落語研究会」でも接したことはあったがこの「お藤松五郎」は生で聴く機会がなかった。この噺の舞台は噺の中で圓生師も説明しているが「両国橋」の西側、つまり現在のJR両国駅がある「向こう両国」に対して舞台となる「西両国」の川筋には「よしず張り」の水茶屋(現在の喫茶店のようなもの)がずらりと建ち並んでいたようである。
 圓生師が演じるこのスタジオ録音による「お藤松五郎」は「出囃子」が通常の「正札付」ではなく唄入りの「はれて雲間に」でこれから始まる芝居噺の雰囲気を作り上げ、噺の「大詰め」、「松五郎独白の芝居ぜりふ」では鳴り物も使いさらに噺の演出効果を盛り上げている。55分に及ぶ長講も時間を忘れ聴きほれた。

夏の夜に聴く「怪談噺」 - 志ん朝 ”真景累ヶ淵”から「豊志賀の死」

2011-07-28 23:11:42 | 落語

 筆者もこの時節になると以前は寄席の「怪談噺の会」などによく足を運んだものだ。夏の夜に怪談噺の長講に耳を傾むけてみるのも実演ならことさらである。今日紹介したい落語のCDは古今亭志ん朝の珍しい演しものの一つ怪談噺「真景累ヶ淵~豊志賀の死」である。(写真Sony Records/SICL22)
 おそらく志ん朝師が演じた三遊亭圓朝作の長編怪談噺はこれが唯一のものではないだろうか。写真のCDは1982年6月22日に開催された「第18回志ん朝の会(千石・三百人劇場)」における貴重なライヴを収録したものである。この圓朝作、長編怪談因縁噺の一節「豊志賀の死」は全篇を通じて聴き手には一番興味をそそる場面であろう。富本節の女師匠「豊志賀」が親子のように年の差がある弟子の「新吉」と深い恋仲になりやがてそれは嫉妬に変わり豊志賀の顔も腫れもので恐ろしい形相になりそれを恐れて逃げる新吉・・・そのドロドロした醜いありさまを志ん朝の巧みな話術はそれぞれの人物像を見事に演じわけている。怪談噺なので聴き手を「ゾっと」させる恐怖の世界に誘うが彼の喋りの歯切れの良さは聴き終えた後に不思議と重苦しさが残らないところも魅力と言えよう。口演時間60分を超える「志ん朝」の熱演である。

志ん朝の「鰻の幇間」・「酢豆腐」

2011-07-19 01:29:51 | 落語

 土用の丑の日が近づいてきた。この時節にピッタリの落語と言えば「鰻の幇間」、「酢豆腐」あたりが思いつく。ついては今回も志ん朝のライヴ盤から紹介してみたい。
 写真は2002年に「志ん朝復活」と題して千石「三百人劇場」の未発表ライヴ音源を中心に初CD化されたシリーズの1枚である。(Sony Music-SICL13)因みに「鰻の幇間」が1976年9月27日第1回「志ん朝の会」、「酢豆腐」は1977年6月22日第4回「志ん朝の会」におけるライヴである。いずれの演目も古くは八代目桂 文楽の十八番であったが志ん朝師は「鰻の幇間」の枕で現代の若者には馴染みが薄い人の機嫌をとる「幇間」という仕事の難しさを興味深く説明をするなど心配りもうかがえる。しがない野幇間の「一八」が通りでひっかけたつもりの男に逆に鰻屋ですっかり騙されてしまうやりとりが「志ん朝流」のテンポ運びで聴き手は自然に噺の世界にすい込まれてしまう。
 また「酢豆腐」では超キザな若旦那が知ったかぶりをするそのキザな口調に「志ん朝」ならでは芸風が光る。CDでは町内の若い連中におだてられ腐った豆腐を口に入れてしまうキザな若旦那の途轍もなく滑稽な苦痛な表情はイメージするしかないが実演ではいつも会場から聴衆の笑いと拍手喝采がわき起こっていたのを思い出す。

「落語レコード・コレクションから」-志ん朝、「船徳」・「黄金餅」

2011-07-16 11:07:03 | 落語

 今日はちょっと気分を変えて私の「落語レコード・コレクション」から1枚を取り上げてみたい。筆者は「クラシック音楽レコード」と並行して「落語」のレコードも学生時代から収集し始め東京の「定席」・「ホール落語」等にも時間が許す限り「コンサート」の合間をぬって現在も足を運んでいる。
 写真のLPレコードは筆者が一番ひいきにしていた「古今亭志ん朝師」の「船徳」と「黄金餅」が収録された1枚である。(CBSソニー/22AG768、ステレオ/1981年発売)この録音はその当時「志ん朝師」が現在はその姿を消した千石の「三百人劇場」で開催していた「志ん朝の会」からのライヴである。因みにこれは1979年7月5日の口演を収録したものである。当時師匠41歳、筆者は会場でその芸風に陶酔してしまった思い出がある。「船徳」の主人公、若旦那の江戸前の粋な「語り口」・「しぐさ」はまさに「志ん朝」ならではの「独擅場」である。この噺は浅草観音の「四万六千日」の真夏の暑い盛りが舞台なのでまさに今の時期に聴くのにピッタリである。またレコード第ニ面に収録された「黄金餅」は下谷山崎町の貧乏長屋に住むシワイや乞食坊主「西念」の弔いにまつわる噺だがこれもよく高座で取り上げた。このレコードでも志ん朝の興味深い工夫が聴き取れる。一例をあげればこのレコードの解説にもあるが乞食坊主「西念」の人物像紹介で「頭陀袋」の表裏が「念仏」と「題目」の兼用になっているところに続いて背中には「十字架」が描いてあるという表現は「志ん朝」ならではの演出であろう。
 今年2011年は「志ん朝師」が亡くなって早や10年である。筆者は「師」の生の口演に数多く接することができ幸せな時代に生まれてきたとつくづく感じている。まだこれからさらに「師」の円熟した芸風が聴けると思っていた矢先の訃報であった。しかし最近では「師」のこれまで未発表音源もCD化され我々「志ん朝ファン」の興味はつきない。
 今後も数百枚ある「落語・演芸」のレコード・CDコレクションから紹介していきたいと思っている。

(終演後に扇に入れてもらった「志ん朝師直筆サイン」)