私のレコード・ライブラリーから

私のレコード/CDコレクション紹介

1999年ー「ダニエレ・ガッティ&ロイヤル・フィル来日公演」

2013-04-23 11:05:43 | 想い出の演奏会

   (ガッティ&ロイヤル・フィル・1999来日公演プログラム)

  今日は久しぶりに私も会場に足を運んだ1999年6月の「ダニエレ・ガッティ&ロイヤル・フィル来日公演」のFMエア・チェックテープを聴いてみた。東京での公演はサントリー・ホールで6月27日と28日の2回行われた。 当時の模様は28日の公演がNHK FMで公演から約3ヶ月後の9月17日に放送された。因みにプログラムは27日ーシューベルト/交響曲第7番ロ短調<未完成>、マーラー/交響曲第5番嬰ハ短調、翌28日がチャイコフスキー/幻想序曲「ロメオとジュリエット」、プロコフィエフ/舞踊音楽「ロメオとジュリエット」抜粋、ブラームス/交響曲第2番長調作品73である。ついでながら当初の予定では28日の公演は超個性的なヴァイオリニスト、ナイジェル・ケネディが確かブラームスの「ヴァイオリン協奏曲」を弾くことになっていたがケガのため来日できず上記のプロに変更されたと記憶している。私もケネディのヴァイオリンが生で聴けると期待していたのだが実現できずガックリした思い出も残る。しかし、この演奏を生で聴き期待通りガッティの鬼才ぶりを再認識した次第である。得意とするブラームスでコンサートは最高潮に達っした。「第1楽章」の前半提示部の反復も実行するなど丁寧な指揮ぶりが印象的だった。

 

 

 

 

   

 

  


「斎藤秀雄メモリアル・コンサート、1984」 ライヴ盤

2012-08-27 11:40:24 | 想い出の演奏会

 写真の2枚組LPは1984年9月18日に「東京文化会館」で行われた「斎藤秀雄メモリアル・コンサート」を収録したライヴ盤である。(フォンテック/FONX-5017-18、1985年発売) このコンサートが開催された9月18日は斎藤秀雄(1902~1974)の命日にあたっていた。オーケストラの「桐朋学園斎藤秀雄メモリアル・オーケストラ」は現在の「サイトウ・キネン・オーケストラ」の前身である。 この日の東京文化会館大ホールは超満員の聴衆の熱気が漂っていた。指揮は門下の小澤征爾と秋山和慶、小澤が振ったR.シュトラウスの交響詩「ドン・キホーテ」のソロは今井信子(ヴィオラ)と堤 剛(チェロ)である。

 当日は秋山がモーツアルト「ディヴェルティメント 二長調 K.136」、シューマン「交響曲第3番変ホ長調作品97<ライン>」を指揮、小澤が先のR.シュトラウスとバッハ「シャコンヌ」(斎藤秀雄 編曲)を指揮した。 またこのレコードには特典盤として斎藤秀雄が「新日本フィル」の第16回定期(1974年2月18日)で振ったロッシーニ/歌劇「セビリャの理髪師」序曲とJ.シュトラウス「皇帝円舞曲」を収めた17cmLPが付いていた。(写真・下)


R.クーベリック&バイエルン放送響、初来日公演ライブ盤 (1965)

2012-08-26 12:20:28 | 想い出の演奏会

  チェコの巨匠ラファエル・クーベリック(1914~1996)が「バイエルン放送交響楽団」と共に初来日公演を行ったのは1965年の春だった。 一行はこの年の「大阪国際フェスティバル」に参加、その後「北九州」、「名古屋」とまわり最後に「東京」で4日間の公演を行った。筆者も当時会場の「東京文化会館」に足を運んだ思い出がある。

  東京公演の初日、4月21日の公演はブルックナーの大曲「交響曲第8番ハ短調」で始まった。当時の日本ではこのようなブルックナーの大曲が演奏されることはまれで外来オーケストラでも1959年のカラヤン&ウィーン・フィル(「第8番」日本初演)や1962年ハイティンク&アムステルダム・コンセルトヘボウ初来日公演時の「第5番」が思い起こされる程度である。残念ながら当時のこれらのライヴ音源は残されてないが初来日時の「クーベリック/バイエルン放送響」のこのほかの一部のコンサート・ライヴが今から十年ぐらい前に「NHK放送音源」から「CD化」された。写真(上)はその東京公演(4月23日・24日)のライヴを収めた2枚でこのほか「大阪公演」の4月12日・13日公演の一部もCD化(Altus/ALT008)されている。(Altus-ALT009・010、写真上/東京公演)

 因みに東京公演(東京文化会館)のプログラムを列記する次のようになる。

  4月21日 (水)  ブルックナー   交響曲第8番ハ短調 

  4月22日 (木)  ベートーヴェン  交響曲第6番ヘ長調 作品68「田園」 

              バルトーク 「管弦楽のための協奏曲」

  4月23日 (金)  モーツアルト   交響曲第35番ニ長調「ハフナー」(*)

               ヒンデミット    「ウェーバーの主題による交響的変容」(*)

               フランク      「交響曲短調」(*)

  4月24日 (土)  シューベルト   交響曲第8番(現、第7番)ロ短調「未完成」(*)

           ワーグナー   楽劇「トリスタンとイゾルデ」から前奏曲と愛の死(*)

           ドヴォルザーク 交響曲第9番ホ短調 作品95 「新世界から」(*)

  (*印=CD化、このほかに4/23のアンコール曲、ワーグナー/歌劇「ローエングリーン」第3幕への前奏曲もCD化)

 尚、大阪公演のCD化はワーグナー 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲と4/13のバルトーク「管弦楽のための協奏曲」・アンコール曲、ドヴォルザーク「スラヴ舞曲作品72-2、-7」 (以上 大阪フェスティバル・ホール)

   

     (クーベリックのサインを表紙にした1965年東京公演プログラム)             

                 

 

 


パーヴォ・ベルグルンドを偲んで

2012-01-28 12:32:19 | 想い出の演奏会

 
 (日本フィル第230回定期公演プログラム/1971年12月10日ー東京文化会館)
 
 この25日にシベリウスの権威として知られたフィンランドの長老指揮者パーヴォ・ベルグルンド氏が82歳で亡くなった。過去にも彼については想い出を紹介したことがあったと思うが今回も彼を偲んで改めてふれてみたい。
 私が最初に彼の指揮で生の演奏に接したのはもう40年余り前に遡る1971年12月の「日本フィル定期演奏会」だった。彼の初来日は確か1965年、「シベリウス生誕100年記念」に来日し同フィルの定期を振った記憶があるのでこの時が2回目の来日だったと思う。写真上はその当時のプログラムである。演奏曲目はベートーヴェン「エグモント」序曲、チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」(Vn.藤川真弓)、シベリウス「交響曲第5番」であった。この演奏会の模様は何年か前にも「BSフジ」で「思い出の日本フィルコンサート」とう番組で取り上げられたことがあるのでご覧になった方もおられることと思う。私はやはり最後に演奏されたシベリウスが今でも強烈に印象に残っている。興奮のあまり演奏終了後に私の手持ちの万年筆でプログラムに彼の達筆なサインを入れてもらった。(写真)その後彼の指揮を生で聴く機会はなかなか無かったが1978年の「香港アート・フェスティバル」に彼が手兵「ボーンマス交響楽団」を率いて出演した際に幸運にもシベリウスのヴァイオリン協奏曲(Vn.イダ・ヘンデル)、プロコフィエフ「交響曲第5番」の演奏に触れることができた。(1978年1月25日香港/シティー・ホール)彼は左手でタクトをふることでも有名で彼のシベリウスの演奏は渋く地味ながらフィンランド人の気質が滲み出た奥底からズッシリと響かせる音づくりが魅力的だった。
 因みに彼は「ボーンマス響」(1970年代)、「ヘルシンキ・フィル」(1980年代)・「ヨーロッパ室内管」(1990年代)と3つの「シベリウス交響曲全集録音」を完成している。私が個人的に愛着がある全集はやはり最初の録音した「ボーマンス響」との演奏である。(写真下)

 (ベルグルンド/シベリウス交響曲全集ーボーンマス交響楽団/英EMIーSLS5129)



ノイマン/チェコ・フィル、1969年来日公演

2011-08-30 16:34:55 | 想い出の演奏会

 「チェコ・フィルハーモニー管弦楽団」がカレル・アンチェルとラディスラフ・スロヴァークの二人の指揮者と共に初来日したのは今から半世紀以上も前の1959年のことである。それ以後この名門オーケストラは現在に至るまで幾度となく来日しているが筆者にとって一番印象に残る公演はヴァーツラフ・ノイマンとのものでとりわけ1969年6月の公演である。この公演はいわゆる「チェコ動乱事件(1968年)」が勃発した翌年の来日公演であった。
 久しぶりにその来日公演のプログラム(写真上)をめくりながら当時を思い起こした。筆者が会場に足を運んだプログラムは6月18日の公演で前半がスメタナの作品、歌劇「売られた花嫁」序曲と連作交響詩「わが祖国」から3曲ー「モルダウ」・「シャールカ」・「ボヘミアの草原と森から」そして後半がドヴォルザークの交響曲第9番ホ短調「新世界から」だった。因みに会場は現在は閉館した新宿の「厚生年金会館大ホール、言うまでもなくいずれもノイマンの「十八番」のプログラムで筆者も大満足した。
 ところでこの来日公演時にノイマン&チェコ・フィルが「世田谷区民会館」でレコーディングしたベートーヴェン「交響曲第5番」の演奏が残されている。現在ではCD化されているがなかなかの名演である。(写真下)また当時の公演でもプログラムに取り上げていた。余談ながらこのCDにカップリングされたシューベルトの「未完成」は1966年プラハでの録音である。



フルトヴェングラー/「交響曲第1番ロ短調」の日本初演

2011-07-20 18:27:28 | 想い出の演奏会
(2002年初来日公演プログラム)
 巨匠ウィルヘルム・フルトヴェングラーの交響曲については過去に自身がベルリン・フィルと1951年ドイツ・グラモフォン録音の代表作「第2番ホ短調」を取り上げたことがあったと思うが今日は「第1番ロ短調」にスポットをあててみたい。「第1番」の作曲着想は1903年の「交響曲ニ長調」にまで遡るそうだがフルトヴェングラーの生前には演奏されることなく1989年になってスロヴァキアで世界初演された現在演奏されている「第1番ロ短調」は1940年前後に完成している。全4楽章構成をとり演奏時間も「第2番」と同様に80分前後を要しどことなくその雰囲気はブルックナーの交響曲を彷彿させる。
 筆者はこの作品の「日本初演」を今から10年近く前の2002年6月「ワイマール州立歌劇場管弦楽団」初来日公演の会場(東京オペラ・シティ・コンサート・ホール)に足を運んで聴いた。指揮はこのオーケストラの音楽監督を1996年から務めているゲオルゲ・アレクサンダー・アルブレヒトであった。この「ワイマール州立歌劇場管弦楽団」はドイツの最も古いオーケストラと言われておりその原点は1602年に創設された「宮廷オーケストラ」で初来日の2002年は丁度創立400年の記念の年に当たっていた。指揮者のアルブレヒトはこの「第1番ロ短調」を演奏、レコーディングをするにあたり作曲者自身により改訂された部分の見直しや欠落している小節の復元等を行い再校訂を行っている。
 因みにアルブレヒトはこの「第1番」を2000年12月に「ARTE NOVA」レーベルに同楽団と行っている。(写真<中>ジャケットのサインは来日時のもの)

 筆者はこの「日本初演」の3ヶ月後の9月にこのオーケストラの本境地「ワイマール」を訪れてみた。ライプツィヒからドイツが誇る「ICE特急」で約50分の距離にある古都である。静かな佇まいは古くは文豪ゲーテや音楽家ではJ.S.バッハ、リストなどが住みついた街でもある。街の中心部に「州立劇場」がありゲーテとシラー像が立っている。
    (ワイマール州立劇場/2002年9月、筆者撮影)

 
 

1991年「ヨーロッパ室内管弦楽団」来日公演

2011-06-03 14:56:45 | 想い出の演奏会

(1991年「アバド/ヨーロッパ室内管弦楽団来日公演プログラム)
 
 「ヨーロッパ室内管弦楽団」は1981年に前身の「ECユース・オーケストラ」から新たにプロのオーケストラとして再編成された楽団である。しかし近年はあまりその活働がレコーディングも含めあまり耳に入らないところも気になるが筆者は1991年3月にクラウディオ・アバドに率いられての2度目の来日公演が印象に残っている。
 この時の東京公演のプログラムはシューベルトの交響曲全曲演奏を中心にピアノにマレイ・ペライアを迎えベートーヴェンのピアノ協奏曲(全5曲)をはさんだ構成であった。筆者は2日目3月26日と最終日3月30日に会場のサントリー・ホールに足を運んだ。因みにプログラムは「交響曲第2番変ロ長調D.125」・「ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58」・「交響曲第5番変ロ長調D.485」(以上3月26日)、「ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品19」・「第8番ハ長調「ザ・グレート」D.944」(以上3月30日)である。特に筆者が注目したのは最終日に演奏された「ザ・グレート」の「原典版」によるものである。筆者もこの時この作品のオリジナル版による演奏を初めて生で聴いた。指揮者のアバドは当時シューベルトの交響曲作品の研究に没頭し1988年の「ウィーン芸術週間」で「ザ・グレート」のオリジナル版を「ウィーン・フィル」と演奏し抜け落ちていた「第3楽章」の小節を復元するなど大変注目を浴びた。また彼はこの「ヨーロッパ室内管弦楽団」と1986年から87年にかけて録音した「交響曲全集」でも「オリジナル版」を用いて演奏している。
 
 

ひそかに人気を呼ぶ「香港フィルハーモニー管弦楽団」

2011-01-29 19:20:45 | 想い出の演奏会
 昨今、アジアのオーケストラで「香港フィルハーモニー管弦楽団」がひそかに人気を呼んでいるらしい。筆者もこのオーケストラを今から30年以上の昔の「1978年香港芸術祭」で生のコンサートを聴いたことを思い出す。このオーケストラの前身はなんでも1895年に創設された「中英管弦楽團」に遡ると言う。その後1957年に現在の名称に改名されプロのオーケストラとなったのは1974年のことである。従って筆者が初めてこの楽団に接した時はまだプロに転向して4年目ということになる。
 筆者が足を運んだ会場の「香港シティー・ホール」は「芸術祭」のさなか華やか賑わいをみせていた。指揮は当時のこの楽団の芸術監督ハンス・ギュンター・モマー(Hans Günter Mommer),ピアノにアメリカのアウグスティン・アニエヴァス(Augustin Anievas)を迎えてのコンサートであった。プログラムはモーツアルトの歌劇「魔笛」序曲で始まりアニエヴァスのピアノでチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、最後はベートーヴェン交響曲第5番で締めくくるというポピュラーでスッキリとしたものだった。聴き終わって「なかなか演奏レベルの高いオーケストラだな」と感じたの覚えている。特にアニエバスのピアノは素晴らしかった。
 このオーケストラのホーム・ページをのぞいてみると2010/11年シーズンのプログラムも充実しており現在芸術監督を務めているエド・デ・ワールトをはじめ客演ソリストにも興味がわいてくる。あれからますますオーケストラも磨きがかかりそのレベルも30年前とは比較にならないだろう。また会場に足を運んでみたいと思っている。写真は当時のコンサート・チケットの半券だが座席番号の手書きがなつかしい。


今、脚光を浴びるピアニスト - ペーター・レーゼル

2011-01-12 19:09:09 | 想い出の演奏会
 
 今、ペーター・レーゼル(Peter Rösel)というピアニストが脚光を浴びている。彼は1945年旧東独ドレスデン出身、初来日は40年前の1971年11月、クルト・マズア指揮ライプチイヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のソリストとしての同行であった。筆者も当時この公演に足を運び彼のべートーヴェンの第5番「皇帝」を聴いた。筆者の思い出に残るコンサートの一つでもある。因みにこのコンサートの模様はNHKFMでも後日オン・エアされその「エア・チェック・テープ」を現在も大切に保存している。その後「ベルリンの壁」が崩壊するまで日本国内での彼の知名度はそれほどではなかったと記憶している。筆者はその後彼が「ドイツ・シャルプラッテン」にクラウス・ペーター・フロール/ベルリン交響楽団と録音したベートーヴェンの「ピアノ協奏曲全集」(1988年~1991年録音)を聴き彼の底力を再認識した次第である。また昨年は「新日本フィル」10月定期にラドゥ・ルプー急病によるピンチヒッターとして登場、彼が弾くベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番の素晴らしさにも感動を覚えた。
 そして現在進行中の「ペーター・レーゼル、ベートーヴェンの真影」と銘打った「ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ全集録音」(すでにその一部はリリース済み)は注目される。この企画は2008年より「紀尾井ホール=キング・レコード」共同プロジェクトで紀尾井ホールでのコンサート・ライヴとセッション録音を組み合わせた方式でのレコーディングで彼の「ベートーヴェン・ソナタ」の真髄に迫ることがテーマらしい。今年2011年に全曲全てが完了とのことでますます彼への期待が高まるところである。

(1971年ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団来日公演プログラム表紙)

 


「ウィーン・ホーフブルグ・オーケストラ」のジルヴェスター&ニューイヤー・コンサート

2011-01-03 20:31:36 | 想い出の演奏会
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 ウィーンのジルヴェスター&ニューイヤー・コンサートと言えば元旦に「楽友協会大ホール」から生中継される「ウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサート」が世界中で最も広く知れ渡っているが現地のウィーンではこれ以外にも多くのジルヴェスターやニューイヤー・コンサートが毎年開催されている。筆者も年末から年始にかけてウィーンを訪れる時はこれまでにも1987年のカラヤンが振ったウィーン・フイルのニューイヤー・コンサートをはじめとして数多くのジルヴェスター(大晦日)コンサートやニューイヤー・コンサートに足を運んだ。
 今日紹介したい「ウィーン・ホーフブルグ・オーケストラ(Wiener Hofburgorchester)」のジルヴェスター&ニューイヤー・コンサートも大変楽しめるコンサートのひとつである。写真上:1995年ー96年「ホーフブルグ・オーケストラ」ジルヴェスター&ニューイヤー・コンサート・プログラム)このオーケストラは日本ではあまりよく知られていなが1971年に誕生したウィーンの各主要楽団のメンバーが集まって編成された約60人前後の小編成オーケストラである。指揮を務めているのはこの楽団の創始者のひとりでもあるゲルト・ホーフバウアー(Gert Hofbauer)」で彼はこのコンサートではヨハン・シュトラウス、フランツ・レハール、エメーリヒ・カールマン等の不朽の「オペレッタ」の名作を中心としたプログラムを組んで聴衆を楽しませている。またこのコンサートに出演する名歌手たちとレコード録音も行っており写真下のLPレコードは筆者が当時ウィーンで求めた1枚で現在も愛聴している楽しいレコードである。
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「ウィーン・ホーフブルグ・オーケストラ=オペレッタ・コンサート/AUSTRO MECHANA-WHO1001/オーストリア盤1987年)