私のレコード・ライブラリーから

私のレコード/CDコレクション紹介

FMエア・チェック - カラヤン/ベルリン・フィル、シューマン「交響曲第4番」

2011-07-31 12:43:13 | FMエア・チェック

 筆者は現在、過去の「FMエア・チェック・オープン・テープ」を「CD-R」へダビング整理を進行中だがなかなか思うようには捗らない。進捗状況はまだ全体の約20%程度だがあせらず少しずつでも根気よく進めていきたいと思っている。そんな中で今日はカラヤン/ベルリン・フィルによるシューマン「交響曲第4番ニ短調作品120」(1979年1月28日/ベルリン・フィルハーモニー、ライヴ)中心に整理してみた。(1979年8月9日/NHKFM)
 カラヤンはこの「第4番」をよく好んでコンサートで取り上げておりベルリン・フィルとの来日公演でも東京でプログラムにとりあげている。(1970年5月/東京文化会館)またレコーディングもセッション録音でベルリン・フィルと2回(1957年モノラル<EMI>と1971年全集録音ステレオ<DG>)さらにライヴ録音の1972年ザルツブルク音楽祭での「ドレスデン国立歌劇場管弦楽団」、晩年1987年の「ウィーン・フィル」とのものも含めると全部で4種類が存在する。
 さて本題の1979年1月のこの演奏もカラヤンの個性が随所に光る名演でこの作品が持つ聴き所を存分に引き出している。一例をあげれば「第3楽章」から「第4楽章」へと突入するアタッカで最高潮に達した時カラヤンはここぞとばかりに「見得」を切っているように感じてしまう。まさに「大向こう」から「音羽屋!」と掛け声をかけたくなるような気分になる。まさにカラヤン独特の個性が滲み出ており聴き終えた後も何回も繰り返して聴きたくなる演奏である。


夏の夜に聴く「怪談噺」 - 志ん朝 ”真景累ヶ淵”から「豊志賀の死」

2011-07-28 23:11:42 | 落語

 筆者もこの時節になると以前は寄席の「怪談噺の会」などによく足を運んだものだ。夏の夜に怪談噺の長講に耳を傾むけてみるのも実演ならことさらである。今日紹介したい落語のCDは古今亭志ん朝の珍しい演しものの一つ怪談噺「真景累ヶ淵~豊志賀の死」である。(写真Sony Records/SICL22)
 おそらく志ん朝師が演じた三遊亭圓朝作の長編怪談噺はこれが唯一のものではないだろうか。写真のCDは1982年6月22日に開催された「第18回志ん朝の会(千石・三百人劇場)」における貴重なライヴを収録したものである。この圓朝作、長編怪談因縁噺の一節「豊志賀の死」は全篇を通じて聴き手には一番興味をそそる場面であろう。富本節の女師匠「豊志賀」が親子のように年の差がある弟子の「新吉」と深い恋仲になりやがてそれは嫉妬に変わり豊志賀の顔も腫れもので恐ろしい形相になりそれを恐れて逃げる新吉・・・そのドロドロした醜いありさまを志ん朝の巧みな話術はそれぞれの人物像を見事に演じわけている。怪談噺なので聴き手を「ゾっと」させる恐怖の世界に誘うが彼の喋りの歯切れの良さは聴き終えた後に不思議と重苦しさが残らないところも魅力と言えよう。口演時間60分を超える「志ん朝」の熱演である。

若き日のバーンスタイン、「ニューヨーク・スタジアム響」録音集

2011-07-27 18:59:02 | 交響曲

 「ニューヨーク・フィルハーモニック」が現在は姿を消した「レヴィソン・スタジアム(Lewisohn Stadium)」における夏の野外コンサートで演奏する時、「ニューヨーク・スタジアム交響楽団(New York Stadium Symphony Orchestra)」の別称を持っていた。 (Lewisohn Stadium)
今から5,6年前だったと思うが「ドイツ・グラモフォン」から限定盤で若きレナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein/1918~1990)がこの「スタジアム交響楽団」の名称で「米デッカ」にレコーディングしたベートーヴェン「英雄」、ドヴォルザーク「新世界から」、シューマン「第2番」、ブラームス「第4番」、チャイコフスキー「悲愴」(いずれも1953年録音)の5つのシンフォニーと彼自身が各作品についての解説を録音したものを「5CDBOXセット」にしてリリースされたことがある。<写真ー下(左)>筆者はそれをつい買いそびれてしまったがその後数年が経過しドイツの「Membran Music」から「英雄」を除く他の4つの交響曲がバーンスタイン自身の解説は収録されてないが「廉価盤BOXセット」で復活した。(写真/上)1950年代のモノラル録音にしては音質が大変良好で若きバースタインのバイタリティーある指揮ぶりが聴きものである。尚、この廉価盤「4CDBOXセット」には他に1947年録音のストラヴィンスキー/組曲「兵士の物語」や「管楽八重奏曲」、それにバーンスタイン自作のミュージカルから「オン・ザ・タウン」からの「舞踊音楽」も収録されている。

ジョン・ケージの”音の庭”-「龍安寺」(1983-85)

2011-07-26 17:42:29 | 現代音楽

 「龍安寺」ー現在は世界文化遺産に登録されている「石庭」で知られる京都の禅寺である。筆者も今から半世紀近く前に中学校の修学旅行で初めてこの寺を訪れた。創建は1450年で有名な枯山水の「石庭」は室町時代末期に優れた禅僧たちによって作られたと言われている。アメリカの前衛音楽家として名高いジョン・ケージ(John Cage/1912~1992)がこの「龍安寺」に最初に足を運んだ年は1962年のことだった。
 彼がこの禅寺の「石庭」からインスピレーションを受け後に音響表現として作曲にとりかかったのが本日紹介する「龍安寺」である。写真のCDの解説によれば当初彼はこの作品を「エッチング」によるグラフィックからスタートしたとのことである。龍安寺の「石庭」は幅22m、奥行き10mのスペースに白砂を敷き15個の石を一見無造作な感じに5箇所に点在させたシンプルな庭だがそこには日本人が持つ「心」が直感的に感じられる不思議な魅力がある。ケージはこの作品の作曲過程にも偶然性がかかわる独自の「チャンス・オペレーション」を導入した。楽器編成はフルート、オーボエ、トロンボーン、コントラバス、パーカッション、それにヴォーカルという6人の「室内楽編成」である。
 このCD録音は1995年6月22日、ベルリンの「芸術アカデミー」でデジタル・ライヴ録音されている。演奏時間60分余りを要する大曲だが「ヴォーカル」が唱える「詩経」が何か無気味さも感じさせ夏の夜に一人耳を傾けるのもなかなか味わい深いものがある。因みに写真のCDは1996年にスイスのレーベル「HAT HUT RECORDS」からリリースされたものである。(hat ART CD6183)

 

ゲルギエフのヴェルディ「レクイエム」

2011-07-25 15:59:18 | 声楽曲

 ヴァレリー・ゲルギエフ/キーロフ(マリインスキー)劇場管弦楽団他によるヴェルディの「レクイエム」は2001年のリリース当時、その華やかな独唱陣で話題を呼んだ。(写真/Philips Classics-2CD/468 079-2)
 とにかく人気絶頂のアメリカのルネ・フレミング(ソプラノ)、ロシアのオリガ・ボロディナ(メゾ・ソプラノ)、イタリアのアンドレア・ボチェッリ(テノール)とイルデブランド・ダルカンジェロ(バス)といったゴージャスなメンバーである。しかもそれぞれの歌手の声量の豊かさ、バランスがとてもすばらしい。さらにゲルギエフのバイタリティーあふれる指揮ぶりがオーケストラのサウンドとともにバックの合唱を盛り上げている。発売当時、「カラヤン盤」、「アバド盤」以来の筆者が興奮した「ヴェルレク」の1枚だった。
 

米DG盤 - ケンプ、ライトナー指揮ベルリン・フィル ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第2番・第4番

2011-07-23 18:28:43 | 協奏曲

 ウィルヘルム・ケンプが弾くベートーヴェンのピアノ協奏曲のレコードについてはケンペンとの最初の全集録音(モノラル盤)や再録音のステレオによるこのライトナーとの全集についても過去に取り上げてきた。そこで今回は1970年代初頭に求めた今となっては懐かしい米国ドイツ・グラモフォン盤のライトナーとのステレオ録音による「第2番・第4番」(写真)のLPについてふれてみたい。(米DG/SLPM138 775)
 そもそもケンプとドイツのマイスター的指揮者フェルディナント・ライトナー(Ferdinand Leitner/1912~1996)ベルリン・フィルとのステレオによるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集録音は1961年に行われた。筆者は1970年ケンプ来日時にNHK交響楽団との「ベートーヴェン/ピアノ協奏曲全曲演奏会」に足を運び彼の演奏にはまってしまい早速この「第2番」・「第4番」の国内盤LPを買い求めた記憶がある。そしてその後ジャケットが気に入り写真の「米DG盤」も手に入れた。米国盤と言っても中身のレコード盤は独グラモフォン盤そのもので当然レコード番号も同じ「138 775」である。つまり当時の米グラモフォン盤はレコード盤はドイツ原盤を輸入しジャケットは米国仕様のものを使用していたようである。ジャケット仕様は大変頑丈な作りで当時のドイツ盤や国内盤に比較してもかなり分厚いものになっている。
 ところでケンプはこの「第2番」・「第4番」でもカデンツァは自身のオリジナルを弾いておりこのあたりも新鮮味を感じ魅力的な演奏である。最近、「CDショプ」でこの全集盤や分け売りも見かけなくなったので聴いてみたところ現在は廃盤とのことで残念なことである。
 
 

アンネローゼ・シュミット、R.シューマン「クライスレリアーナ」

2011-07-22 18:06:34 | 器楽曲

 今日は久しぶりにアンネローゼ・シュミット(Annerose Schmidt)が弾くロベルト・シューマンの「クライスレリアーナ(Kreisleriana)」の写真のLPに針をおろした。このLPは彼女の当時東独の「VEBシャルプラッテン」録音の第1弾だったと思う。録音年代1973~74年にかけてのものだがレコード第ニ面の余白に「ウィーンの謝肉祭の道化」も収録されている。写真は当時購入した国内初出盤ーETERNA/ET-3030(1975年発売)のLPである。
 彼女は当時東独を代表する名女流ピアニストで1956年には「国際ロベルト・シューマン・コンクール」で優勝、さらに1964年には「ロベルト・シューマン国際メダル」を受賞するなどの実力者である。また1970年に最年少で「国際ショパン・コンクール」の審査員にも招待されている。筆者が初めて彼女の生演奏を聴いたのは1976年11月の「読売日本交響楽団」定期公演に客演した時だった。因みにこの時彼女が取り上げた作品はなんとブラームスの「ピアノ協奏曲第2番変ロ長調」であった。(1976年11月18日、東京文化会館/指揮テオドール・グシュルバウアー)
 話を本題に戻し、このシューマンのレコードのリリース当時を振リ返ると国内では「レコード・ジャナーリズム」の話題にそれほど上らなかったと記憶するが今改めて聴き直し彼女の繊細なピアノ・タッチが印象的でその上品な響きにうっとりしてしまった。伝えるところによると彼女は残念なことに現在はコンサート・ピアニストから引退しているとのことである。

フルトヴェングラーの「交響曲第3番嬰ハ短調」

2011-07-21 14:15:58 | 交響曲

 昨日の続きになるが今日はフルトヴェングラー最後の交響曲となった「第3番」についてふれてみたい。「第3番嬰ハ短調」は1946年頃から作曲が着手され彼が亡くなった年1954年に全4楽章の一応の完成はみた。しかしフルトヴェングラーはフィナーレの「第4楽章」に不満を持ちこの楽章の改訂・改作を考えていた。そのような経緯から初演は彼の死後1956年1月にヨーゼフ・カイルベルト指揮ベルリン・フィルによって「第4楽章」は演奏されず「3楽章版」で演奏された。因みに筆者がこの「第3番」を初めて耳にしたのも「3楽章版」で演奏はロリン・マゼール指揮ベルリン・フィルの1979年11月30日のコンサートであった。
 その後レコーディングも「3楽章版」と「4楽章版」のニ種類が存在するが昨日と同様ゲオルゲ・アレクサンダー・アルブレヒト指揮ワイマール州立歌劇場管弦楽団のCDは後者の「4楽章版」で演奏している。(ARTE NOVA/1998年録音)指揮者アルブレヒトはフルトヴェングラー作品の研究家でもありこの「第3番」をレコーディングするにあたり「第4楽章」を作曲者フルトヴェングラーが意図したかったことを考えながら手を入れたという。演奏時間は3つの交響曲の中では約60分余り(4楽章版)と一番短いが聴きごたえは充分である。

 


フルトヴェングラー/「交響曲第1番ロ短調」の日本初演

2011-07-20 18:27:28 | 想い出の演奏会
(2002年初来日公演プログラム)
 巨匠ウィルヘルム・フルトヴェングラーの交響曲については過去に自身がベルリン・フィルと1951年ドイツ・グラモフォン録音の代表作「第2番ホ短調」を取り上げたことがあったと思うが今日は「第1番ロ短調」にスポットをあててみたい。「第1番」の作曲着想は1903年の「交響曲ニ長調」にまで遡るそうだがフルトヴェングラーの生前には演奏されることなく1989年になってスロヴァキアで世界初演された現在演奏されている「第1番ロ短調」は1940年前後に完成している。全4楽章構成をとり演奏時間も「第2番」と同様に80分前後を要しどことなくその雰囲気はブルックナーの交響曲を彷彿させる。
 筆者はこの作品の「日本初演」を今から10年近く前の2002年6月「ワイマール州立歌劇場管弦楽団」初来日公演の会場(東京オペラ・シティ・コンサート・ホール)に足を運んで聴いた。指揮はこのオーケストラの音楽監督を1996年から務めているゲオルゲ・アレクサンダー・アルブレヒトであった。この「ワイマール州立歌劇場管弦楽団」はドイツの最も古いオーケストラと言われておりその原点は1602年に創設された「宮廷オーケストラ」で初来日の2002年は丁度創立400年の記念の年に当たっていた。指揮者のアルブレヒトはこの「第1番ロ短調」を演奏、レコーディングをするにあたり作曲者自身により改訂された部分の見直しや欠落している小節の復元等を行い再校訂を行っている。
 因みにアルブレヒトはこの「第1番」を2000年12月に「ARTE NOVA」レーベルに同楽団と行っている。(写真<中>ジャケットのサインは来日時のもの)

 筆者はこの「日本初演」の3ヶ月後の9月にこのオーケストラの本境地「ワイマール」を訪れてみた。ライプツィヒからドイツが誇る「ICE特急」で約50分の距離にある古都である。静かな佇まいは古くは文豪ゲーテや音楽家ではJ.S.バッハ、リストなどが住みついた街でもある。街の中心部に「州立劇場」がありゲーテとシラー像が立っている。
    (ワイマール州立劇場/2002年9月、筆者撮影)

 
 

志ん朝の「鰻の幇間」・「酢豆腐」

2011-07-19 01:29:51 | 落語

 土用の丑の日が近づいてきた。この時節にピッタリの落語と言えば「鰻の幇間」、「酢豆腐」あたりが思いつく。ついては今回も志ん朝のライヴ盤から紹介してみたい。
 写真は2002年に「志ん朝復活」と題して千石「三百人劇場」の未発表ライヴ音源を中心に初CD化されたシリーズの1枚である。(Sony Music-SICL13)因みに「鰻の幇間」が1976年9月27日第1回「志ん朝の会」、「酢豆腐」は1977年6月22日第4回「志ん朝の会」におけるライヴである。いずれの演目も古くは八代目桂 文楽の十八番であったが志ん朝師は「鰻の幇間」の枕で現代の若者には馴染みが薄い人の機嫌をとる「幇間」という仕事の難しさを興味深く説明をするなど心配りもうかがえる。しがない野幇間の「一八」が通りでひっかけたつもりの男に逆に鰻屋ですっかり騙されてしまうやりとりが「志ん朝流」のテンポ運びで聴き手は自然に噺の世界にすい込まれてしまう。
 また「酢豆腐」では超キザな若旦那が知ったかぶりをするそのキザな口調に「志ん朝」ならでは芸風が光る。CDでは町内の若い連中におだてられ腐った豆腐を口に入れてしまうキザな若旦那の途轍もなく滑稽な苦痛な表情はイメージするしかないが実演ではいつも会場から聴衆の笑いと拍手喝采がわき起こっていたのを思い出す。