私のレコード・ライブラリーから

私のレコード/CDコレクション紹介

FMエア・チェック、オープン・テープ・コレクションから 「カラヤン/ベルリン・フィル来日公演」 

2009-11-30 03:39:01 | ヘルベルト・フォン・カラヤン
 ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィルの全9回にのぼる来日公演の中でも私の心に一番焼きついている演奏は第4回目にあたる1973年10月「新NHKホール落成記公演」である。(カラヤン/ベルリン・フィル来日公演記録の詳細については本年4月末から5月初旬の「カラヤン/ベルリン・フィル全9回の来日公演を振り返って」の項でも紹介)この公演チケット購入方法は所定の応募ハガキによる抽選であった。10月25日から11月1日(10/30休演日を除く)全7回の東京公演の演奏は全てNHKFM放送で関東管内はステレオ生中継された。また筆者も会場に足を運んだ10月26日公演(ブルックナー交響曲第7番ほか)と翌27公演(ドボルジャーク交響曲第8番ほか)はNHKTVでも録画放送されている。筆者は東京公演の全てをFMエア・チェック・オープン・テープで保存しているが今日は東京公演最終日(11/1)に演奏されたシェーンベルク「清められた夜」とベートーヴェン交響曲第3番変ホ長調作品55「エロイカ」の演奏についてふれてみたい。カラヤンはこの組み合わせのプログラムを好んで何回か演奏している。今回改めてこの公演のエア・チェック・テープを聴き筆者の数あるカラヤンのエア・チェック・ライヴの「エロイカ」の中でも特に素晴らしい演奏の部類に入るのではないかと感じた次第である。これほどカラヤンがたっぷりとオーケストラをうたわせ充実した「カラヤン・サウンド」を聴かせた「エロイカ」のライヴ演奏はそう多くないと思う。プログラムの前半に演奏されたシェーンベルクの「清められた夜」は日本での最初で最後の演奏となったがこれも好演でベルリン・フィルの弦の音が極めて美しい。カラヤン、当時65歳指揮者としてまさに油の乗り切った絶好調の演奏であった。(写真は「1973年来日公演プログラム」)

 

FMエア・チェック、オープン・テープ・コレクションから「小澤征爾・長崎平和コンサート/1995」

2009-11-29 19:35:42 | FMエア・チェック
 今日は「FMエア・チェック・オープン・テープ・コレクション」から感動的なライヴ「小澤征爾・長崎平和コンサート1995」を紹介したい。このコンサートは1995年6月14日、長崎・浦上天主堂(写真)で小澤征爾/新日本フィルハーモニー交響楽団ほかによる「平和祈念」としてマーラー交響曲第2番ハ短調「復活」が演奏された。オーケストラ・メンバーには友情参加として指揮者小澤と縁の深いボストン交響楽団員、シカゴ交響楽団員が加わり、独唱陣には当時人気絶頂のキャスリーン・バトル(ソプラノ)、マーラー歌いの第一人者の一人フローレンス・クィヴァー(アルト)を迎えた豪華メンバーでのコンサートであった。
 この模様は当時NHKBS並びにFMで放送され話題を呼んだ。筆者も映像、及びFMエア・チェックを大切にオープン・テープで保存している。演奏はマーラーを得意とする小澤ならではの快演で特にフローレンス・クィヴァーの歌唱は素晴らしく印象的であった。バックのこのコンサートのために特別編成された「長崎復活コンサート合唱団」並びに応援に駆けつけた「東京オペラ・シンガーズ」、「成城合唱団」のハーモニーも美しく響いた。日本では欧米ほど教会での大編成による「オーケストラ・コンサート」は現在でもそれほど多くないので未CD化の「教会でのライヴ・コンサート」としても貴重な記録である。
 尚、小澤の同曲ライヴCD盤としては2000年正月に「サイトウ・キネン・オーケストラ」他と東京文化会館での録音が「ソニー・クラシカル」からリリース(2000年度レコード・アカデミー賞受賞)されている。

カラヤンのモーツアルト:「レクイエム」

2009-11-28 03:37:43 | ヘルベルト・フォン・カラヤン
 ヘルベルト・フォン・カラヤンはモーツアルトの「レクイエム」を3回録音している。(内、最後のウィーン・フィルとの演奏は同時期に映像収録された)その内訳はベルリン・フィルと1961年・75年の2回、最後にウィーン・フィルと1986年に録音しいずれも「ドイツ・グラモフォン」からリリースされている。また合唱はカラヤンと長い付き合いのある「ウィーン楽友協会合唱団」である。演奏は昨日紹介した「カール・ベーム/ウィーン・フィル」とは対照的でこれらは透明度の高いカラヤンの「演奏美学」を貫いている。
 無論、録音年代によりそれぞれ独唱陣は異なるがソプラノのアンナ・トモワ=シントウは75年・86年の録音に参加している。「カラヤン・ファン」の筆者にとってはどの演奏も好きであるが敢えて1枚をあげるとすれば最後に録音したウィーン・フィルとのデジタル録音盤(写真/DG419 610-2)ということになろうか。この録音がリリースされたのは1987年で国内盤でも当時はまだLPとCDが同時に発売された。独唱陣はアンナ・トモワ=シントウ(Sp)、ヘルガ・ミュラー=モリナーリ(A)、ヴィンソン・コール(T)、パータ・ブルシュラーゼ(B)の面々である。ウィーン楽友協会合唱団との息も合いウィーン・フィルとのアンサンブルも素晴らしい。
 カラヤンは1979年10月ベルリン・フィルと6度目の来日した際「ウィーン楽友協会合唱団」も同行し東京・普門館(1979ー10/25)でこの「レクイエム」をプログラムにとりあげている。因みにこの時の独唱陣はソプラノが同様にアンナ・トモワ=シントウ、ルーザ・バルダーニ(アルト)、ペーター・シュライヤー(テノール)、ホセ・ヴァン・ダム(バス)でいかに当時カラヤンがソプラノのトモワ=シントウに信頼を寄せていたがうかがえる。



 

オープン・テープ・コレクションから - カール・ベームのモーツアルト「レクイエム」

2009-11-27 01:17:35 | 声楽曲
 今日は久しぶりに私の「オープン・テープ・コレクション」からカールー・ベーム/ウィーン・フィル他によるモーツアルト「レクイエムK.626」を紹介したい。この録音はベームの1956年ウィーン交響楽団とのモノラル録音に次ぐ15年ぶりの再録音(1971年4月)であった。国内盤の初出も早く同年、秋にはLPと写真の4トラック19cm/sステレオ・オープン・テープ(XG1085)が同デザイン・ジャケットでリリースされた。因みに初出(写真)のジャケット・デザインにはこの作品にゆかりのあるウィーン近郊ノイシュタットにあるノイクロスター修道院内部装飾のアップ写真が使用されている。
 「ゆかり」というのはこの作品の作曲をモーツアルトに依頼したフランツ・フォン・ヴァルゼック=シュトゥパハ伯爵なる人物が1793年12月14日にこの作品を自作の作品としてこの修道院で指揮、演奏したと言われている。作曲者モーツアルトは「涙の日(Lacrimosa)」の8小節目を書き終えたところでこの世を去ったため(1791年12月5日)その後は弟子のジュースマイアーが中心となってこの作品を補筆完成させた。現在広く演奏されている版はこの「ジュースマイアー版」が多くベームの演奏もこの版を使用している。
 さてベームの演奏だが彼は全体的に遅めのテンポをとりじっくりとこの「死者のためのミサ曲」を聴かせている。やはり「涙の日」の美しい祈りの音楽に聴く側はうっとりとさせれてしまう。ラストの「アニュス・デイ」では実にうまくまとめあげ感動的なフィナーレを演出している。独唱陣のエディット・マティス(Sp)、ユリア・マハリ(A)らの歌唱力も素晴らしくバックのウィーン国立合唱団連盟のハーモニーも美しく響く名演である。


ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第8番ハ短調作品110

2009-11-26 01:10:27 | 室内楽曲
 ショスタコーヴィチ(Domitry Shostakovich/1906~1975)は弦楽四重奏曲を交響曲と同数の15曲作曲している。作曲年代は1938年(第1番)から開始され最後の第15番変ホ短調を書き終えたのが1974年であった。(因みに交響曲の作曲開始はそれより早く「第1番ヘ短調」が1924年から着手され最後の「第15番イ長調」の完成が1971年のことであった。)今日取り上げてみたい作品は彼の「弦楽四重奏曲」の中でも特に注目に値する「第8番ハ短調作品110」にスポットを当ててみたい。この作品は1960年に作曲された「ナチスの犠牲になったユダヤ人への追悼レクイエム」とも言える。事実、作曲者自身「ファシズムと戦争犠牲者に捧げる」としている。しかしその反面当時の旧ソヴィエトの政治的圧力により精神的に追いこまれたショスタコーヴィチ自身を回復させるために作曲にとりかかったと考えることができる作品でもある。
 そこには交響曲第10番ホ短調作品93と同様にこの作品にも彼自身のイニシャルの音名ー「D-S(Es)-C-H)が織り込まれておりさらに彼の過去の作品からの引用も見られそれらは作曲者自身を作品の中にそれとなく暗示している。
 曲は5楽章から構成されているが休みなく続けて演奏され演奏時間も約20分と短いが聴き応えのある作品である。筆者の愛聴盤は名盤としての評価も高い英国の「フィッツウィリアム弦楽四重奏団」の全集盤(英デッカ/455 776-2/1975~77年録音)である。(写真)
 

フルネ/オランダ放送フィルの名盤ー「オネゲル作品集」

2009-11-25 00:26:18 | 管弦楽曲
 日本でも馴染みの深かったがフランスの名匠ジャン・フルネが終身指揮者を務めたオランダ放送フィリハーモニー管弦楽団(本拠地/アムステルダム近郊ヒルヴァスム市/現在の首席指揮者ヤープ・ヴァン・スヴェーデン)との名盤「オネゲル作品集」(写真/DENON-COCO70425)から「パシフィック231」を取り上げてみたい。この作品は作曲者オネゲル(Arthur Honegger/1892~1955)が31歳の時に発表したいわゆる「即物主義音楽」として注目を浴びたもので通称、交響的楽章(断章)第1番「パシフィック231/Pacific 231」英語表記となっている。元はフランス語表記で「Mouvement Symphonique No.1」とつけられていた。
 「パシフィック231」とは前輪軸2、動輪軸3、後輪軸1のパシフィック型蒸気機関車」のことでこのアメリカ大陸横断急行列車を牽引するこの大型SLが発進、驀進していく様子をダイナミックに音楽に表現したものである。フルネの棒はこの音響的効果を巧みに躍動的に見事にこの作品の本質を的確に伝えている。オネゲル自身も「知る人ぞ知る」大の鉄道ファンであったからこそこのような秀逸な作品が生まれたと言える。演奏時間にして約7分余りの小品だがその聴き応えは充分にある。この他このCDには交響的楽章第2番の「ラグビー」、「フルート、コール・アングレ、ピアノののための室内ソナタ」が原曲の「コチェルト・ダ・カメラ」、「夏の牧歌」、それに交響曲第3番「典礼風」も収録されておりどれもオネゲルの魅力が充分に堪能できる1枚である。




ムーティ/ミラノ・スカラ・フィルのベートーヴェン交響曲第5番&第6番 ライヴ盤

2009-11-24 02:26:38 | 交響曲
 リッカルド・ムーティ(Riccardo Muti/1941~ )のベートーヴェンの交響曲の録音と言えばすぐ思いつくのが彼がフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督時代(1980~1992)に入れた全集録音(EMI盤/1985~1988録音)だが今日は「スカラ・フィルハーモニー管弦楽団(Filarmonica della Scala)とのライヴ盤を取り上げてみたい。(写真/Philips-464 454-2)収録曲は第5番ハ短調作品67と第6番ヘ長調作品68「田園」で録音は1997年/98年のミラノ・スカラ座におけるコンサート・ライヴである。筆者の記憶ではこのCDの国内盤は未発売ではないかと思われるが演奏は格調高く堂々としたベートーヴェン交響曲像を築きあげている。またライヴ録音ということもあり演奏後の聴衆の熱狂的な拍手も収録されており会場の雰囲気が充分に伝わってくる。ムーティは確か1999年11月にもこのオーケストラとスカラ座で「ベートーヴェン交響曲全曲チクルス」を行っており翌12月に2000年シーズンをベートーヴェン歌劇「フィデリオ」で開幕した。筆者も彼の「フィデリオ」を聴くためにミラノへ飛んだ。
 その後彼が2002年9月に同オーケストラと共に来日した際サントリー・ホールで第3番変ホ長調「エロイカ」を聴き彼の交響曲指揮者としての素晴らしさも再認識した次第である。余談ながらジャケットのサインはこの演奏会後に入れてもらったものである。




バーンスタイン/シカゴ響との唯一の録音 - ショスタコーヴィチ交響曲第1番&第7番 (ライヴ)

2009-11-23 20:46:48 | 交響曲
 レナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein/1918~1990)のショスタコーヴィチ交響曲は全集録音こそ遺さなかったが定評があるものばかりである。その中でも今日取り上げるシカゴ交響楽団との第1番へ短調作品10と第7番ハ長調作品60「レニングラード」はこの楽団と唯一の録音でもあり貴重なライヴ盤である(写真/日ポリドールPOCG9589-90/バーンスタイン・メモリアル・エディション)
 バーンスタインが初めてシカゴ交響楽団を振ったのが1951年と言われておりこの演奏はそれから実に37年後の1988年6月、シカゴ・オーケストラ・ホールにおけるライヴ録音ということになる。彼のショウスタコーヴィチは過去にもふれたニューヨーク・フィルハーモニックとの演奏で頷けるようにロシア系指揮者とはまた一味違う抒情性に富んだ開放感のある演奏が特徴的ではないかと思う。「第1番ヘ短調」はショスタコーヴィチの「レニングラード音楽院作曲科の卒業制作」で1925年に完成された作品で初演後彼が作曲家として名声をあげたものでもある。第2楽章「アレグロ」の作曲者独特の軽妙洒脱な表現をバーンスタインは実に巧みにオーケストラをドライヴしているところなど大変魅力を感じさせる。
 また大曲「第7番ーレニングラード」はこの作品が持つスケール感(重量感)をバーンスタインの緻密なアプローチによりエネルギッシュでダイナミックにシカゴ響サウンドを見事に引き出しているところが素晴らしい。加えて録音が非常に良いことも合わせて特筆しておきたい。

ミュンシュ/日本フィル伝説のライヴー(2)

2009-11-22 02:53:22 | 歴史的コンサート・ライヴ
 昨日の続きになるがシャルル・ミュンシュの1962年12月日本フィル客演指揮ライヴ盤のまとめとしてもう1枚紹介しておきたいと思う。写真のCDは「PLATZ」レーベルから1990年3月に再リリースされた(初出は「第9」と同様学研から1987年に32GD175805で発売)ものである。(PLAZ-P23G-541)収録曲目は1)ブラームス:「ハイドンの主題による変奏曲」作品56a、2)ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第2組曲、3)ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲の3曲が収録されている。
 因みに1)は「第9特別演奏会」の最初に演奏されたものでこのCDには12月25日(初日)演奏のもの、2)は12月20日第55回定期公演、3)は12月28日、第54回定期公演のプログラムの最後を飾って演奏された。第55回と第54回の定期公演の日付が逆になっているのはミュンシュが来日中急病のため当初15日に行われる予定だった第54回定期が「第9特別公演」の後の28日(ミュンシュ帰国日)に延期されたことによる。
 いずれも貴重な日本フィルとのライヴ録音には違いないが特にブラームスの「ハイドン・バリエーション」はミュンシュにとってこの演奏が唯一の録音と思われる。彼はこの後も1966年「フランス国立放送管弦楽団」と3回目の来日を果たし名演を聴かせてくれたが筆者にとってはこの日本フィルとの公演が一番強く印象に残っている。 

ミュンシュ/日本フィル、伝説のライヴー「ベートーヴェン交響曲第9番」

2009-11-21 05:45:25 | 歴史的コンサート・ライヴ
 フランスの巨匠シャルル・ミュンシュ(Chrles Munch/1891~1968)が日本フィルに客演指揮のため単身来日したのは1962年12月のことだった。この時の「想い出」は以前にも紹介したことがあるが(2009/2/17-「想い出の演奏会」参照)今日はその来日の折、恒例の年末「第9特別演奏会」を振った「伝説のライヴCD」を紹介してみたい。(写真/学研32GD174947)
 このCDは「学研}から「Kapelle Immortal Live Series(不滅のライヴ・シリーズ)」として今から20年余り前にリリースされたが諸般の事情から発売後まもなく「お蔵入り」になったものである。現在のところ再発売の見込みもないようなのでミュンシュ・ファンにとっては「幻のCD」になっている。
 当時を振り返えるとミュンシュは2回の定期演奏会(12/20・28/東京文化会館)と12/25・26・27の「第9特別演奏会(日比谷公会堂)」を指揮、定期公演の一部はフジTV(JOCX)のアーカイヴスからDVD化もされている。(EXTON-OVBC00016/17)筆者は12/20の定期公演でブラームス交響曲第1番の名演を生で聴いたがこの「第9公演」には足を運ばなかったことが悔やまれる。このCDは最終日12月27日の公演を収録したもので音質も良好でミュンシュの熱演が充分にうかがえるまさにこのCDタイトルの通り「不滅のライヴ」と言えるであろう。近い将来多くの「ミュンシュ・ファン」のためにも復活することを望みたい。