私のレコード・ライブラリーから

私のレコード/CDコレクション紹介

クナッパーツブッシュ/ウィーン・フィルの「ブルックナー第5番」

2010-08-31 03:38:13 | 交響曲
 英デッカスタジオ録音のハンス・クナッパーツブッシュ/ウィーン・フィルによるブルックナー交響曲第5番もユニークな演奏のひとつである。写真のLPは当時久しぶりに2枚組として今から30年も昔にキング・レコード(K15C9023~24)から国内盤再登場したものである。確か国内盤ではこれ以前に1965年頃(?)にやはり2枚組で3面にカットされ第4面がブランクのままのちょっと珍しい形で発売されていたと思う。そのレコードも購入した記憶があるがレコード棚には見あたらなかった。
 クナッパーツブッシュのブルックナーは「改訂版」を用いた演奏でこの「第5番」も「シャルク改訂版」を基本としたものである。従って本来の「第5番」が持つオリジナリティからかけ離れ創作された点も多々あり問題も多く含んでいるが演奏は彼らしく雄大なスケール感に興味を引かれる。録音は1956年6月、ウィーンのソフィエンザールで行われたウィーン・フィルとの唯一のオリジナル・ステレオ録音でこの他の同楽団とのブルックナーは第3番(1954年)、第4番(1955年)はいずれもモノラル録音だった。
 尚、この盤の第4面にはクナの得意とするワーグナーの楽劇「神々のたそがれ」から「夜明けとジークフリートのラインへの旅」と「ジクフリートの葬送行進曲」(1956年6月、第5番と同時ソフィエンザール、ステレオ録音)が収録されている。
 

ラトル、マーラー交響曲の初録音

2010-08-29 22:23:51 | 交響曲
 昨日に続いてサー・サイモン・ラトルの若き日の名盤をもう1枚取り上げてみたい。それは写真のマーラー交響曲第10番(デリック・クック復元版)である。(東芝EMI/EAC50124~25/2LP)
 このレコードが録音されたきっかけは彼がまだ弱冠25歳の1980年にフィルハーモニア管弦楽団に客演し同曲を振り大好評を得たことにあると言われている。レコーディングは英国、サウザンプトンのギルド・ホールにおいて管弦楽ボーンマス交響楽団と同年6月に行われている。しかもラトル初のマーラー交響曲の録音がこの「第10番」だったと言うから驚きである。承知のごとく「第10番」は作曲者マーラー自身は第1楽章のみしか完成することができなかった作品である。このほかの楽章については「第3楽章」のスコアノスケッチが残され、あとは草稿のままで終わっていた。全曲の完成をみたのは英国の音楽学者デリック・クックが残された草稿に基づき1964年に一応日の目をみたがその決定稿は1976年に出版され当録音もこれに基づいた上で若干の手を加えたものとされている。
 若きラトルががこの作品の真髄に迫った熱演の1枚である。筆者は彼がその後1999年秋の「ベルリン芸術週間」でベルリン・フィルと同曲を演奏したライヴ(FMエア・チェック・テープ)と共にこのLPを愛聴している。

ラトル/ロス・フィルの初共演盤 - ラフマニノフ/交響曲第2番

2010-08-28 01:08:14 | 交響曲
 現在、ベルリン・フィルの芸術監督サー・サイモン・ラトル(Sir Simon Rattle/1955~ )がロサンゼルス・フィルハーモニックとの初共演盤が1984年本拠地ドロシー・チャンドラー・パヴィリオンで録音されたラフマニノフの交響曲第2番であった。(写真/LP東芝EMI/EAC90228)当時の彼は「バーミンガム市交響楽団」の首席指揮者(1990年より音楽監督)を務めておりロサンゼルス・フィルの首席客演指揮者にも迎えられていた。当時29歳の若きラトルのスケールの大きな演奏に感服させられる。またこの録音が現在のところ彼の「ロス・フィル」との唯一のものでありラフマニノフの交響曲としても他には録音がない。
 筆者個人的にも以前に紹介済みのアンドレ・プレヴィン/ロンドン響盤(1973年/EMI)と共に好きな演奏の一つである。昔のラフマニノフ交響曲第2番の録音と言えば慣習的に「カット版」よるものが多かったがプレヴィンが「完全全曲版」で録音しこの作品を世間に再認識させた以降は「完全版」で演奏・録音することが普通になった。因みにこのラトル盤も「完全版」による演奏である。

ハンス・ロスバウト/南西ドイツ放送響のブルックナー第7番

2010-08-26 01:03:15 | 交響曲
 オーストリア、グラーツ出身の名指揮者ハンス・ロスバウト(Hans Rosbaud/1895~1962)は現代音楽を得意としたが「南西ドイツ放送交響楽団」音楽監督時代の1957年にステレオでレコーディングしたブルックナー「交響曲第7番」は彼の名盤の1枚として知られている。第2楽章「アダージョ」のクライマックスでシンバルを加えない「ハース版」を基本にした演奏でテンポも速くよく言えばキレのある演奏である。その昔、確か「VOX」レーベルのLPで発売されていた。写真は1992年に「デジタル・リマスター」されたドイツの「CANTUS CLASSICS」のCDで音質もスッキリしたものになっている。
 管弦楽の「南西ドイツ放送交響楽団」は現在は放送局の改組に伴い名称を「バーデンバーデン&フライブルグSWR交響楽団」(SWR Sinfonieorchester Barden-Barden & Freiburg)に変えている。また定期公演もフライブルグの新コンサート・ホールを中心に行われているようである。現在の首席指揮者は今年から「読売日本交響楽団」の常任指揮者も務めているフランスのシルヴァン・カンブルランがあたっている。放送所属のオーケストラだけありその演奏水準は高いが国内盤の数が少ないのが残念である。

クナッパーツブッシュの「ウィンナ・ワルツ」

2010-08-24 22:13:43 | 管弦楽曲
 ハンス・クナッパーツブッシュ(Hans Knappertsbusch/1888~1965)と言えばワーグナーやブルックナー指揮者としてのインパクトが強いが「ウィーンの休日」と題してウィーン・フィルと「ウィンナ・ワルツ」を振った1枚の興味深いレコードがある。写真のそのLPは今から30年以上も前に廉価盤として「キング・レコード」から「ロンドン・ステレオ名盤シリーズ」として発売されたものである。(キング/GT9036/原盤ー英デッカ440624)もちろんその後はCD化もされているが現在は国内盤では入手困難な1枚となってしまった。録音は1957年10月15日・16日の「ウィーン楽友協会大ホール」におけるものと言われているが一説には1956年、ソフィエンザールでの録音とされる説もある。そのあたりは筆者の手元にも資料がないので詳細は不明である。
 収録作品はヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカやワルツが中心だがちょっと珍しい作品にチェコ、ボヘミア出身のカレル・コムザークⅡ世(1850~1905)(父親も同姓同名の音楽家)のワルツ「バーデン娘」が収録されているところも興味深い。この作品はクナッパーツブッシュが特に好んで演奏したワルツの一つ言われている。聴きこむほどに彼らしいちょっとアクのある個性的な「ウィンナ・ワルツ」を味わうことができる。筆者個人的にはLP第2面の最後に収められたワルツ「ウィーンの森の物語」(ツィター/カール・ヤンチック)の気品漂わせる演奏が好きである。
 
 

LA時代のジュリーニ

2010-08-22 13:02:19 | 管弦楽曲
 かルロ・マリア・ジュリーニ(Carlo Maria Giulini/1914~2005)も筆者がよく好んで聴く指揮者で過去にも何度となく彼の名盤を取りあげてきたが先日彼のロス・フィル時代に録音された交響曲・管弦楽曲をまとめた6枚組CDセット、題して「Giulini in America」(DG00289 477 8840)がリリースされた。(写真)
 収録曲はベートーヴェン/交響曲第3番・第5番・第6番、ブラームス/交響曲第1番・第2番、シューマン/交響曲第3番・「マンフレッド」序曲、チャイコフスキー/交響曲第6番、ドビュッシー/交響詩「海」、ラヴェル「マ・メール・ロワ」・「スペイン狂詩曲」でいずれも彼が「ロスサンジェルス・フィル」の音楽監督を務めていた時代(1978年~1984年)に録音した作品群でオペラ録音が数少ない彼が当時15年ぶりに録音(ライヴ)したオペラ(ヴェルディ/「ファルスタッフ」(1982年)を除く全ての管弦楽曲が網羅されている。ジュリーニのこれらの演奏は年齢にして60歳を超え円熟期を迎えた彼のスケール感ある芸風が存分に発揮された名演ばかりで晩年の巨匠ジュリーニの風格をうかがい知ることができる。

 






カラヤン来日公演の残された貴重映像について(3)

2010-08-18 16:22:27 | ヘルベルト・フォン・カラヤン
 「カラヤン来日公演の残された貴重映像」3回目は1979年から最後の来日となった1988年までをまとめてみたい。

 (8)1979年ベルリン・フィル(第6回)
  1979年秋の来日はコンサート、録音等でカラヤンと最も深い関係でもあった「ウィーン楽友協会合唱団」も同行ししかもアンナ・トモワ=シントウをはじめとするカラヤンお気に入りの歌手達が勢揃いし豪華プログラムが組まれた公演で筆者も会場の普門館へ何度も足を運んだ思いでがある。全9回に及ぶ公演は全て東京で開催された。筆者が一番印象に残っている公演はコンサート第2日目10月17日のマーラー交響曲第6番と締めを飾った10月26日ヴェルディ「レクイェム」の演奏である。残念ながらこの年の公演はテレビ放送はなく映像としての記録は残ってないがNHKFM放送で10月21日のベートーヴェン交響曲第9番が会場から生中継(初のPCMデジタル放送)され話題となった。また録音で10月18日(シューベルト/「未完成」・チャイコフスキー交響曲第5番」)、10月19日(ドヴォルザーク/交響曲第8番・ムソルグスキー/組曲「展覧会の絵」)、10月26日(ヴェルディ/レクイェム」)の公演がNHKFMで放送された。これらの演奏のうち後に「第9」はDGよりCD化、そのほかは「NHKクラシカル」からカラヤン生誕100年記念BOX」の中に収められているがヴェルディ/「レクイェム」はなぜか10月24日に演奏された初日の模様がCD化されている。

 (9)1981年ベルリン・フィル(第7回)
  1981年の公演(全10回)も全て東京で行われている。ただ会場は「普門館」から久しぶりに「東京文化会館」(8回)とNHKホール(2回)であった。ベルリン・フィルは翌1982年に創立100周年を迎える記念の年にあたりこの来日公演も「ベルリン・フィル創立100周年記念」を祝う公演として開催されチケットにも「ベルリン・フィル創立100年記念公演」の文字がシルバーで印字されていた。またソリストにやはりカラヤンお気に入りのアンネ=ゾフィー・ムターが同行しベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を弾き大変話題を呼んだ。放送はこの日のコンサート(10月29日)も含め初日(10月28日/ベートーヴェン交響曲第1番・第3番)、10月30日(ブラームス交響曲第3番・第1番)がTBS系列でテレビ放映された。またNHKホール公演はテレビ放映はなかったが11月2日(ラヴェル/ドビュッシー交響詩「海」ほかオール・フランス・プロ)の公演は録音で最終日(11月8日/ベートーヴェン&チャイコフスキー/交響曲第6番)はNHKFMで生中継された。尚、これらTBS系列で放映された映像は現在のところまだDVD化されていない。

 (10)1984年ベルリン・フィル(第8回)
  1984年、1954年の単身での来日から数えて通算10回目の来日を果たしたカラヤンもこの年には76歳を迎えていた。東京公演に足を運んだ筆者もちょっと体力的にも衰えを感じたカラヤンを感じたが10月21日日曜日にマチネーで行われた東京文化会館での公演プログラムの最後を飾ったレスピーギ交響詩「ローマの松」の終曲「アッピア街道の松」の迫力に圧倒された。この年の公演はまず10月18日・19日の大阪・「ザ・シンフォニーホール」でのコンサート(カラヤンがこの新ホールで演奏したのはこれが最初で最後となった。)の後、会場を東京に移し先にふれた東京文化会館(10/21)、普門館(10/22・23・24)の大阪・東京で計6回の公演を行った。10月19日(大阪)、最終公演10月24日(東京)のフランスものプログラムは来日直前に一部さしかえられドビュッシー交響詩「海」・「牧神の午後への前奏曲」、ラヴェル「ダフニスとクロエ」第2組曲の3曲となり正味1時間足らずの短いプログラムとなった。放送は大阪公演初日モーツアルト/「ディヴェルティメント第15番・R.シュトラウス/交響詩「ドン・ファン」、レスピーギ/交響詩「ローマの松」(東京公演10/21と同一プロ)の模様は「テレビ朝日系列」で録画放映された。この映像は後に「カラヤン・ライヴ・イン・大阪1984」としてソニー・クラシカルからDVD化されている。これは「朝日放送」と「テレモンディアル」との共同制作であった。因みにこの年の東京公演の模様はテレビ・FM放送ともにされなかった。

 (11)1988年ベルリン・フィル(第9回)
  カラヤン最後の来日は1988年4月から5月にかけての「ゴールデン・ウィーク」であった。用意されたプログラムは3つ(A)モーツアルト/交響曲第29番・チャイコフスキー/交響曲第6番、(B)ベートーヴェン/交響曲交響曲第4番・ムソルグスキー/組曲「展覧会の絵」、(C)モーツアルト/交響曲第39番・ブラームス交響曲第1番でいずれもカラヤン十八番の作品がならんでいた。残念ながらこの時のテレビ放映はなく映像記録もないが東京公演の3公演5月2日サントリー・ホール(A)、5月4日東京文化会館(B)、5月5日サントリー・ホール(C)の各公演はNHKFMで生中継されカラヤンの来日コンサートでは珍しく翌1989年の正月特別番組でも再放送されている。またこれらは2008年「カラヤン生誕100年記念」として「ユニバーサル・ミュージック」からCD化された。なかでも5月5日の来日公演最後を飾ったブラームス/交響曲第1番の演奏映像こそないのが残念だが白熱の名ライヴとしてファンの間で語リつがれている。

                               (完)
  

カラヤン来日公演の残された貴重映像について(2)

2010-08-16 00:09:32 | ヘルベルト・フォン・カラヤン
 昨日に引き続き「カラヤン来日公演の残された貴重映像について」を整理していきたい。

 5)1970年ベルリン・フィル(第3回)
  1970年は日本で初の「国際博覧会」、通称「大阪万博ーEXPO’70」が開催された年でもあった。カラヤン/ベルリン・フィルもこの「万博」開催を記念して5月に第3回目の来日を果たし大阪と東京で通算12回の公演を行った。この年はベートーヴェン生誕200年にあたり大阪公演は「フェスティバル・ホール」で「ベートーヴェン交響曲チクルス」をメイン・プログラム、東京公演ノプログラムにはオネゲルの交響曲第3番「典礼風」やベルリオーズ「幻想交響曲」などカラヤン来日公演で演奏された唯一の作品が含まれていた。しかしこの年の来日公演は一切のラジオ、テレビ放送もなく残念ながら録音・映像記録が残っていない唯一の公演でもあった。

 6)1973年ベルリン・フィル(第4回)
  1973年6月に東京(渋谷)に新NHKホールが落成、その記念公演としてその年の10月カラヤン/ベルリン・フィルは4回目の来日をする。東京で7公演、大阪で3公演が行われ東京公演の全てはNHKFM生中継(関東・甲信越はステレオ放送)され10月26日(ブルックナー交響曲第7番ほか)、27日(ドボルザーク交響曲第8番ほか)はテレビでも録画放映された。また大阪公演の初日公演(11月2日/東京公演初日と同プローベートーヴェン交響曲第6番・第5番)は近畿圏でFMオン・エア(一部地域生放送)されている。残念ながらこれらの公演の映像は現存しないが東京公演ー10月27日のドレス・リハーサル風景(ドヴォルザーク交響曲第8番、ワーグナー「タンホイザー」序曲、「トリスタンとイゾルデ~前奏曲と愛の死」(音声モノラル)が写真の「カラヤン生誕100年記念BOX(NHKクラシカル)」のDVDに収録されている。

 7)1977年ベルリン・フィル(第5回)
   1977年11月の来日公演は「大阪国際フェスティバル20周年記念」としてピアニストにアレクシス・ワイセンベルクも同行して行われた。この時のプログラムは大阪公演が「ブラームス・チクルス」がメイン、東京公演は「ベートーヴェン・チクルス」で会場はこの時初めて約5,000人を収容できる杉並にある「普門館」が使用された。放送は「テレビ朝日系列」で大阪公演の一部(11月9日・10日の公演)ブラームス/交響曲第1番・ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番(ピアノ/ワイセンベルク)と1978年正月特別番組で東京公演のベートーヴェン/交響曲第5番・第6番がステレオ音声で放映された。しかしながら現在のところこの映像はDVD化されていない。因みに録音では「FM東京」をキー局とする「TDKオリジナル・コンサート」の中で東京公演の先の「第5番・第6番」を除くチクルスの模様が放送されている。        (つづく)




   


  




カラヤン来日公演の残された貴重映像について(1)

2010-08-14 18:20:16 | ヘルベルト・フォン・カラヤン
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan/1908~1989)の来日公演記録については以前にも何回か取り上げてきたが今回はそれらの残された数少ない貴重映像にスポットをあてて整理してみたいと思う。カラヤンは1954年の単身での来日も含め全部で11回の来日を果たしているが当時カラヤン側の厳しい放送契約条件下のもとでその残された録音、映像は数少ない。つまりその公演録音・ビデオテープのほとんどが放送終了後にはカラヤン側に返納されているからである。従ってその当時FMエア・チェック等でとられたものは大変貴重なライヴ・コレクションということになる。それでは来日年代順に残された貴重な映像(当時のテレビ放送も含む市販されたDVD)を整理していきたいと思う。

 1)1954年単身来日
 カラヤンは1954年4月、NHK交響楽団を指揮するため単身で初来日した。滞在は1ヵ月余りに及びその公演の模様はNHKラジオを通じて放送され4月21日日比谷公会堂におけるチャイコフスキー交響曲第6番ロ短調「悲愴」作品74は当時始まったばかのテレビ放送でも放映されたがその映像は残念ながら残されていない。ただその録音(モノラル)は運よくNHKに保存され1999年に初CD化されてる。(ポリグラム/POCG10175)
 
 2)1957年ベルリン・フィル(第1回)
 カラヤンは1956年4月、ベルリン・フィルの芸術監督に就任その翌年11月ベルリン・フィルとの第1回目の来日をする。来日公演初日11月3日の招待制による旧NHKホール(内幸町)における演奏はNHKテレビとラジオで生中継された。この時の映像が「NHKクラシカル」よりDVD化(NSDS9479)されている。但し、ベートーヴェン「交響曲第5番」の第1楽章の冒頭部が欠落しており残念ながら冒頭から第ニ主題の頭まで静止画像になっている。

 3)1959年ウィーン・フィル
 カラヤンがウィーン・フィルと来日したのはこの1959年秋の1回のみである。この公演で映像に残されているのは10月27日の特別公演(旧NHKホール)と11月6日(日比谷公会堂)の演奏である。収録されているのはブラームス「交響曲第1番」、J.シュトラウス「美しき青きドナウ」(部分/アンコール、以上10月27日)、ブラームス交響曲第4番、シューベルト交響曲第7(8)番「未完成」(以上11月6日/)そのほか収録日は不明だがベートーヴェン「交響曲第5番~第3楽章」のリハーサル風景も収められている。尚、ブラームスの「第1番」・「第4番」の映像は一部静止画像となっている。(NHKクラシカル/NSDS9480でDVD化)

 4)1966年ベルリン・フィル(第2回)
 カラヤン/ベルリン・フィルが全国11都市で計18回の公演を行ったのはこの年が最初で最後となった。この公演の模様もNHKFM、テレビで放送されているが現在映像として残されているのは4月12日東京文化会館で初日公演の冒頭に演奏されたベートーヴェン「コリオラン」序曲のみである。この時の録音・映像の全てがやはりカラヤン側にNHKから返納されたため録音も現在では残っていない。今となっては当時「FMエア・チェック」したテープが貴重なものとなっている。因みに「コリオラン」序曲の映像は当時NHKが年末に放送していた「1966年音楽ハイライト」での放送用に別に保存されていたため運よく残されたのである。この貴重映像は写真の「NHKクラシカル」から限定発売された「カラヤン生誕100年記念BOXセット」(2008年)のDVDに収録されている。音声はFMエア・チェックからの良好なステレオ音声で編集されている。
                                   (つづく)




 

ベルリオーズ、宗教曲の超大作ー「レクイェム」

2010-08-12 23:55:05 | 声楽曲
 ベルリオーズの「Requiem-"Grande Messe des morts" (死者のための大ミサ曲)」はそのタイトルが示すとおり合唱、オーケストラ、テノール独唱を含むとてつもない大編成を必要とする作品である。作曲者が要求した合唱の規模だけでもソプラノ、アルト各80人、テノール60人、バス70人というトータル300人に近い人数であった。もちろん事情が許せばその人数は多ければ多いにこしたことはないと考えていたようである。
 作曲の動機はベルリオーズが33歳の1837年3月フランス政府より「7月革命」の犠牲者追悼式のために演奏する作品を作曲依頼されたことにある。その背景には彼に好意を寄せていた時の内務大臣ド・ガスパラン伯爵(作品は彼に献呈)の働きかけがあったと言われている。しかし結果的には政治的理由でこの作品は「追悼式典」では演奏されずその年(1837年)の12月、アルジェリア戦争での戦没者追悼式においてパリのアンヴァリッド礼拝堂でアブネックの指揮で行われている。
 今日取り上げてみたレコードはベルリオーズを最も得意としていたシャルル・ミュンシュがボストン交響楽団、カナダの名テノール=レオポルド・シモノー他と1959年に録音したRCA国内盤(写真/RGC1097-98)である。このLPは廉価盤として1973年に発売されたものである。録音は古いがオリジナル・ステレオ録音で第9曲「サンクトゥス(聖なるかな)」で往年のシモノーの美声が天国的な美しさである。またミュンシュは1967年にペーター・シュライヤー(テノール)、バイエルン放送交響楽団他と「ドイツ・グラモフォン」の同曲を再録音しておりこちらも名盤として輝いている。この作品は大合唱が活躍するため合唱団の質も演奏に大きく左右する。ボストン響盤ではニューイングランド音楽学校合唱団、バイエルン放送響盤ではバイエルン放送合唱団によっている。どちらも高度な合唱技術も持ったハイ・レベルの団体で甲乙つけがたい美しいハーモニーを聴かせている。