私が会場に足を運び実演で聴いた想い出に残るマーラー交響曲第6番イ短調「悲劇的」の演奏会は過去に2回ある。その一つは以前にも紹介したヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィル1979年来日演奏会('79 10/17,東京・杉並、普門館)と今日紹介するズービン・メータ/イスラエル・フィル1991年来日演奏会('91 11/23,池袋、東京芸術劇場)である。言うまでもなくメータはマーラー交響曲を大変得意としている指揮者の一人でこのコンビでレコーディングもしており(1995年)名演を聴かせてくれているがこの1991年の実演も大変感動を受け筆者にとってはいまだに忘れることのできない心に残る演奏であった。
当日のプログラムは大曲だけにこの作品1曲のみで(もちろんアンコールもな無し)メータも全力投球、エネルギッシュな第6番を披露していた。特に3楽章「アンダンテ・モデラート」のイスラエル・フィルが奏でる情緒的な美しくメランコリックな旋律はこの上なくすばらしかった。そして長大な終楽章の展開部、カウベルの響きから次第に高揚していきこの作品の最大のクライマックスを迎える第1のハンマーが打ち鳴らされるところは私自身も興奮し我を忘れマーラー交響曲の世界に陶酔しきっていた。コンサート終了後も興奮さめやらず家路に着いた記憶がある。
さてこの第6交響曲には演奏上よく話題の登る話が2つある。その第一が中間楽章ーつまり第2楽章、第3楽章の演奏順序の問題である。現在一般的には1963年「国際マーラー協会」準拠による第2楽章「スケルツオ」、第3楽章「アンダンテ・モデラート」の順で演奏する指揮者が多いが(カラヤンもこの時のメータ演奏もこの順序で演奏)、最近では2003年に「国際マーラー協会」が従来とは逆に第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「スケルツオ」の順に演奏するやり方が作曲者マーラーの「最終結論」と公表した関係もあり順序を入れ替えて演奏するケースもある。(メータ/イスラエル・フィルのこの後の来日公演(2003年12月)では実際に入れ替えて演奏していたと思う。)第二は終楽章で打ち鳴らされる「ハンマー」の回数である。なんでもマーラーの当初の自筆稿では「ハンマー」の使用はなかったようだがその後の加筆で「5回」打つようになっていたと言われている。しかし第1稿の出版時にその回数が「3回」になりさらに第2稿で「2回」に減らされた。これも現在の演奏では第2稿の「2回」が一般的になっている。筆者の個人的にも「2回」の打撃のほうが全体的にもスッキリし演奏にも緊張感が高まるような気がする。
いずれにせよこの作品はマーラーの声楽を伴わない交響曲作品の中では最後の第9番と並ぶ傑作には間違いない。(写真は1991年時の来日公演プログラム)
当日のプログラムは大曲だけにこの作品1曲のみで(もちろんアンコールもな無し)メータも全力投球、エネルギッシュな第6番を披露していた。特に3楽章「アンダンテ・モデラート」のイスラエル・フィルが奏でる情緒的な美しくメランコリックな旋律はこの上なくすばらしかった。そして長大な終楽章の展開部、カウベルの響きから次第に高揚していきこの作品の最大のクライマックスを迎える第1のハンマーが打ち鳴らされるところは私自身も興奮し我を忘れマーラー交響曲の世界に陶酔しきっていた。コンサート終了後も興奮さめやらず家路に着いた記憶がある。
さてこの第6交響曲には演奏上よく話題の登る話が2つある。その第一が中間楽章ーつまり第2楽章、第3楽章の演奏順序の問題である。現在一般的には1963年「国際マーラー協会」準拠による第2楽章「スケルツオ」、第3楽章「アンダンテ・モデラート」の順で演奏する指揮者が多いが(カラヤンもこの時のメータ演奏もこの順序で演奏)、最近では2003年に「国際マーラー協会」が従来とは逆に第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「スケルツオ」の順に演奏するやり方が作曲者マーラーの「最終結論」と公表した関係もあり順序を入れ替えて演奏するケースもある。(メータ/イスラエル・フィルのこの後の来日公演(2003年12月)では実際に入れ替えて演奏していたと思う。)第二は終楽章で打ち鳴らされる「ハンマー」の回数である。なんでもマーラーの当初の自筆稿では「ハンマー」の使用はなかったようだがその後の加筆で「5回」打つようになっていたと言われている。しかし第1稿の出版時にその回数が「3回」になりさらに第2稿で「2回」に減らされた。これも現在の演奏では第2稿の「2回」が一般的になっている。筆者の個人的にも「2回」の打撃のほうが全体的にもスッキリし演奏にも緊張感が高まるような気がする。
いずれにせよこの作品はマーラーの声楽を伴わない交響曲作品の中では最後の第9番と並ぶ傑作には間違いない。(写真は1991年時の来日公演プログラム)