mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

香港(7)吉野家の牛丼にホッとする

2018-03-23 08:33:28 | 日記
 
 第七日目(3/12)、いつもの食堂で軽い朝食。今日は最終日なのでYさんが皆さんから預かったお金の清算をして、一人当たり何ドルかの返金があった。今日の支払いは銘々でやってくださいといわれて、45ドルくらいの支払いをしたからよく覚えている。でも、暖かい牛乳とトーストを食べたなとおもったところで、あれっ? それじゃあ四日目の朝と同じものを食べたのかな(そんなはずはない)と考えて、何を食べたかに、自信がなくなってしまった。人の記憶って、こんなにももろいものなのか。
 
 油馬地の駅から地下鉄に乗って二駅のチムサチュイ(尖沙咀)で降りると出口のすぐ脇に公園の入り口があった。緩やかに登る丘陵地帯を利用して、大きな公園がしつらえられている。九竜公園。ゆったりした緑の多い敷地のそちこちに広場が設けられ、何人もの人たちが集まって太極拳をしている。鳥の声がにぎやかに響く。倒木の上にゴイサギがいる。じっと池の中を覗き込んでいるのは、ねらい目の餌があるのか。奥にはたくさんのフラミンゴが屯している。羽を広げているのもいれば、水のなかに首を突っ込んで何かを啄ばんでいるのもいる。回り込んでいると大きな茶色の鳥が頭上の木にとまった。オオバンケンだ。フラミンゴの餌の時間になると、それのおこぼれを頂戴しに来るとYさんは言う。よく知っていると感心する。黒い腹と頭、茶色の羽、長い尾に赤い目、鋭くかぎ型になっている嘴は猛禽のようだ。芝地に飛んできたのはサンジャク。しばらく周りを飛び交い、十分ゆっくりと姿を見せてくれた。オニカッコウの声が響く。二羽が木の枝の上で戯れているようだ。その下の広場では、剣を持った一群が、太極拳をやっている。集団の一番端っこにいる人が指導者のようだ。なにしろ彼の動きは他の人たちと違ってスキがない。観ているだけで見事と声をかけたくなる安定と切れの良さを感じる。年のころは私と同じくらいだろうか。あの緩やかでしなやかな身のこなしに、あれだけの安定感を備えるのは、なかなかのものだ。
 
 腰の高さに灌木を切りそろえて迷路のように通路を備えているのは、いかにもイギリス庭園という感じ。そこでも腰から上だけが見えるが、一人で太極拳とは違ったなにやら体操をしている50歳近い女性がいる。少し離れたところにいる若い女の子が、そちらへ向かって走るように行っては元に戻ってポーズをとる。何をしているんだろう。みていて気づいて笑ってしまった。若い女の子は、灌木の上に乗せたカメラの自動シャッターを押して、駆け戻って自撮りしていたのだ。散歩する人、ベンチに腰かけてぼんやりしている人、ジョギングをする人。今日は月曜日なのに、人は銘々に公園でくつろいでいる。
 
 木立の上を小さい鳥が飛び回る。メジロがいる。シジュウカラもいる。サイホウチョウがいる。シキチョウもいる。コウラウンやシロガシラ、ハッカチョウ、クビワムクドリもいる。カオグロガビチョウが姿を見せる。前日までに見かけた鳥が、周りの超高層ビルに囲まれた大都会の真ん中の公園ににぎやかに居ついているのは、何か不思議な感じがする。ひょっとするとこれは、ダーウィンを生んだイギリスというネイションシップの自然とのかかわりかたがもたらした景観なのだろうか。自然そのものにべったりと寄り添って、そのなかで暮らしてきた日本の私たちとは、自然との向き合い方が違っていたのかもしれない。その結果、日本の鳥は大都会の公園ではあまり見かけなくなったというのは、ちょっとした皮肉と言わねばならない。
 
 こうして11時ころまで過ごし、地下鉄で油馬地駅に戻って、オクトパスの清算をする。駅の一角に窓口があり、オクトパスを提示すると、これまで7日間に使った料金が表示される。それを差し引いて保証金を加えた101ドル何某が返却される。なんと、7日間で使ったのは49ドル足らずであった。75円弱。高齢者割引があるとはいえ、公共交通機関がこれほどに安いというのは、何とありがたいことか。日頃の日本では、探鳥にせよ、山歩きにせよ、もっぱら交通機関と道路公団への支払いばかり。
 
 宿の近くの「吉野家」に入って牛丼を食べた。卵をかけたのが45ドル。675円ほど。日本式の注文即支払い即料理が出てきて、自分でテーブルにもっていって食べる。味が日本と同じかどうかはわからないが、なんとなく、ホッとした気持ちで食べたのは印象深い。
 
 ホテルに戻り荷物をまとめ、予約していたタクシーに乗って空港に向かう。1時半ころについて荷物のチェックイン。でもずいぶん香港ドルが余った。お土産を買うかもと思っていたのだが、土産を買う暇がないほど、鳥を観て飛び回ったから、使わなかった。空港の土産物店をのぞくがこれといった品物がない。とうとうマオタイ酒の上等なのを一本買って、ザックに入れた。そうそう、飛行機は来るときは5時間かかったのに、帰りは3時間半。時差が一時間だから風のお蔭で30分ばかり帰りが早くつく。帰り着いて気付いたのだが、往きは成田であったのに、帰りは羽田に着いた。いやはや羽田がどれほど便利か実感したJALの旅でもあった。(香港-終わり)

香港(6) イギリス統治の面影が色濃い公園

2018-03-22 10:36:40 | 日記
 
 前夜ホテルに戻りシャワーを浴びて床に就いたのは11時ころだったろうか。第六日目(3/11)も朝は6時20分頃集合。6時半から開く食堂で朝食なのだが、三日目の朝に食べたラーメンは、ほんとうに即席麺がスープに浸かっているだけ。ポークを頼んだら、皿に豚のステーキのようなものがついて出てきた。これの筋が強(こわ)い。歯の方が痛みそうだったから、今日は牛乳とバター付きトーストを注文して軽く済ませた。いつもの海外なら、三日目くらいに下痢気味になったりしたのだが、今回はらしい前兆に「陀羅尼助丸」の30粒錠剤を一袋呑んでことなく済ませた。この「陀羅尼助丸」はカミサンが友人から「いいわよ」と言ってもらったものだが、私には思い出すことがある。大峰山に、二人の高齢の兄たちと登ったときに泊まった天川村洞川温泉の町には「陀羅尼助丸」の看板があちらこちらにかかっていた。修験の盛んであった時代から薬効があるとして重宝されたといい、その製造所まであったように思う。昔の話だと思って笑って過ごしていたのに、こんなところで出逢って、お蔭を被るなんてと、不思議な因縁を感じたりしていた。
 
 朝食を済ませ、地下鉄を一度乗り換えて、昨夜訪ねた香港島の中心部、香港公園に行く。駅からまっすぐ上に伸びるエスカレーターを何度か乗り換えて、標高差百メートルほど上ったろうか。超高層ビル群の狭間にある緑いっぱいの公園に着く。背の高い樹木が多いが、いかにもイギリス人が設計したのであろう、隅から隅まで整えられている。早朝だが日曜日とあってか、人は出ている。スコープを覗いていたカミサンが「なんだろう」とつぶやく。「ん?」。みなさんが耳を傾ける。スコープから目を話し「向こうの茂みの下、黒っぽいのがいる」と説明する。Yさんがスコープを覗き、オオルリチョウだという。近づいてみると、向こうへ向こうへと移動し、池の石の上に乗り、さらに先の灌木の茂みに入り、その向こうの芝地に姿を現す。それにつれて私たちも、少しずつ移動し、双眼鏡を覗く。木の枝に移って陽の光を浴びるようになって姿がよく見えた。全身瑠璃色、胸と背中の肩のあたりに小さな星のような斑がぽつぽつとついている。スズメがたくさんいる。昔の日本のスズメのように歩道に出てきて人をそれほど恐れない。
 
 林立するビルの合間から、電波塔の建った山頂が見える。昔はあの山頂から見下ろすと香港の夜景が見事に見えたものだと、何度も足を運んでいる人は言う。山頂への道案内の標識もある。今は、超高層ビルが邪魔をして景観はあまり良くないそうだ。この公園は、山の斜面に緩やかに登るようにつくられている。と、頭上を尾の長い鳥が飛び去る。目で追うと、ひらりひらりとずうっと先の高層ビルのベランダにとまる。スコープに入れてくれたのを覗く。首から上が黒く、頭の上と背中は薄い青色、腹は白く嘴は赤い。長く白い尾には3、4本の横縞が入っている。サンジャクだ。
 
 トビが舞う。超高層ビルの中ほどを舞うから、まるで「コンクリートの森」を常として受け入れているのであろう。でもそのビルの窓ガラスに映る己の姿をどう認識しているのだろうと、ふと思う。見上げていた一人が、ノスリだ! と声を上げる。トビだとばかり思っていたのが、ノスリだった。木の枝にシキチョウがいる。下から見上げているので胸から上が黒っぽく、腹は白いのしかわからない。メジロやシジュウカラもいる。コウラウンやカノコバトはもうすっかりおなじみだ。
 
 公園を上がっていくと熱帯植物園がある。手すりのついた展望台から公園を見おろす。人が多くなった。公園の手入れをする人が何人もいる。年寄りもいるが、この人たちはどういう身分で公園の手入れをしているのだろうか。大きな白い鳥が木の枝にとまっている。スコープを覗くと細長いさやを手にもって中の豆を一つひとつとりだして食べている。コバタンという。オウムのような鳥だ。そう言えば、そっくりの鳥をオーストラリアで観たときは、キバタンと言ったっけ。その親戚のような種類なのだろう。何羽もいる。見上げる木の枝に緑のインコがとまっている。ホンセイインコだそうだ。
 
 熱帯植物園に入る。湿度と温度を高く設定して、シダを育て、別の階では乾燥帯を再現していろいろなサボテンを展覧している。そこを出てもう一つ大きなケージ「尤徳観鳥園」に入る。どちらも無料。直径50メートル、高さは20メートルほどはあろうか。背の高い樹木と草草と水の流れがあり、高いところに見学用の木道を設えてある鳥のケージだ。いろんな種類のインコもいるし、ウズラやヤマドリのようなのもいる。面白いと思ってカメラを向けていたが、話しを聞くと香港にいない鳥を集めているというので興味は半減。カメラを仕舞いこんだ。やはりダーウィンを生んだ国が統治した香港、収集展示癖がある。
 
 40階建てほどの超高層ビルの改修をしているのであろうか、覆いをかけているビルがある。その足場が竹で組まれている。それが、覆いから抜けた最上階につきだした足場の「余り」の長さがちぐはぐ、向きもそちらこちらと一律でないのでわかる。しかしこれだけの高さの足場を竹で組むときの強度は、どう考えているのだろう。伝統工法と言えば言えるが、そんなに昔から超高層ビルがあったわけではないから、香港人の受け継いできたやり方があるのだろう。
 
 外へ出ると、野外で結婚式でもやっているのか、新郎新婦と思われる格好の人とそれを祝福する人たちがぞろぞろと移動している。結婚登記所と記した受付もある。ふたたびエスカレータに乗って下り、地下鉄へ向かう。駅へのコンコースを渡っていて、「ここが例の雨傘運動のときに学生たちが占拠したところ」と教えてもらった。片側四車線、真ん中に上り下り二本の鉄路が通っている。今日は日曜日。静かな官庁街という感じ。ふと香港はどこへ行くんだろうと、全人代の行われている大陸の指導者に思いを致す。今日は香港議会の補欠選挙の投票日だが、それらしい「選挙運動」をあまり目にしなかった。もうお昼だ。
 
 地下鉄に乗って二駅で降り、大きなレストラン「東園酒家」に入る。十人ほどが座れる丸テーブルが何十脚とあり、すべてが埋まっている。店員が狭い通路を巧みに動いて注文を取り、出来上がった品を運ぶ。三百人以上いるように見える。飲茶(やむちゃ)と呼んでいたが、Iさんが見繕ってくれた小籠包などをつまみ、午後二時からの探鳥地に向かう。そちらにはまた、香港の探鳥家たちが待っていて、合流して案内してくれる。Yさんはお土産にハンカチや小さな鳥のバッジのようなものしか用意していなかった。ということは、彼らと旧交を温め、彼らの厚意にすっかりお世話になって案内してもらうことになる。そんなに寄りかかっていていいのかと私などは思うが、ふるくからYさんの探鳥に付き合ってきた人たちは、当然のように振る舞っているから、それなりの付き合いの蓄積があるのであろう。
 
 地下鉄を何度か乗り換え、二日目にタイポへ行ったときと同じ鉄道駅・上水(シャンシュイ)で降りる。約束の時間より早く着いたので、こちらは一足早く今日の探鳥地「ロングバレー(塱原)」に行くとYさんが話している。てっきり名前から、山間の渓谷のようなところと思っていたが、違った。広々とした田んぼや畑、湿地が点在する盆地(なのだろう)。遠くに山は見えるが、谷間というイメージとは程遠い沖積平野である。幹線路を過ぎると太い川に沿い、そこを外れると静かな田園である。向こうからやってきた若者が「やあFさん」と私の名を呼ぶ。えっ、と思ってよく見ると二日目にレストランで会食したときに隣に座っていた香港の若者。私の息子とひとつ年が違うだけ。北海道にも行ったことがあり、そのときYさんたち何人かが同行して、案内したらしい。鳥のことに詳しい。彼が今日ここでタマシギをみせてくれるという。4日目に同行してくれた香港在住の日本人探鳥ガイドのKさんもいる。
 
 歩き始める前に、Yさんがヒアリに注意してくださいと声をかける。殺人蟻と日本で紹介されたヒアリがここにはたくさんいる、香港のガイドの若者も三度刺されたことがあるという。死なないのかと聞くと、笑って死ぬこともあるが、たいていの人は一度や二度は刺されていると応じる。あぜ道を歩きながら、少し大きく盛り上がったヒアリの巣を見つけ、私たちの注意を引いてから、手に持った本の背で巣の上をポンポンと叩く。すると一斉に巣から小さなありがぞろぞろとでてくる。これがヒアリだという。そのあとも、ときどきあぜ道を歩きながら、そこは踏まないでと指さす。なんということのない道の亀裂に、アリが出入りしている。なるほど、こんなところの巣なら、気づかずに踏んでしまうこともあるなあと思った。
 
 タカサゴモズがいる。池のように水が溜まった田圃にセイタカシギが餌を啄ばんでいる。嘴が反り返ったアボセットもいる。コチドリも何羽か、右往左往している。見なれた鳥たちだが、彼らを育む豊かな田園という感じが、明るい陽ざしの下に広がる。目をあげると、低い山並みの向こうに鉄塔と高圧電線といろいろな形をした超高層ビルが立ち並んでいる遠景が飛び込む。深圳らしい。そうか、そんなにここは国境に近いのか。向こうの田に何羽ものシラサギがいる。アマサギだよ、という声に双眼鏡を覗く。たしかに、首のあたりが亜麻色をしている。香港での初見だ。ハッカチョウが飛び交う。オニカッコウの声が響く。
 
 田圃が何枚も連なるここのあぜ道を歩きながら探鳥している人たちが、たくさんいる。小中学生を引率している団体さんも多い。日曜日だ。その人たちと細いあぜ道ですれ違う。中には鳥などほとんど関心がないのに、連れられてきているからしょうがないという風情の、おしゃべりばかりに夢中の子たちもいる。どこの国も同じだね。バナナの葉陰に何かいるらしく、向こうの人たちが立ち止まって双眼鏡を覗いている。そこへ近づきながら見ていると、パッと何かが飛び立って、場所替えをする。シマキンパラ! と誰かの声。バナナの葉の一枚に、何羽かが並んでいる。カメラを構え、シャッターを押す。そして改めて双眼鏡を覗くと、腹の斑点がきっちり見える。今朝方香港公園で観たキンパラではなく、シマがつくわけが分かる。
 
 ガイドの香港の若者が口に指をあて、静かにと合図する。後ろへそれを伝え、歩を進める。彼ののぞき込む方向をみて、Yさんがタマシギがいるというが、どこにいるのかわからない。三羽いるよと別の人が言う。一羽も見えない。焦る。カミサンがスコープに入れたようだ。そちらへ行って覗かせてもらう。たしかに、いる。左へ向いているのが雌。右へ向いているのが雄、と解説がつく。雌のほうが派手やかな顔つきをしている。雄が地味という。他の鳥とは逆の彩。雌は卵を産み落としても子育てを雄に任せて知らぬふりをするというのだ。面白い。近くに雄が四羽いて、四匹のヒナが育っていることを、香港のほかのガイドが確認したと、前のほうの列の話が聞こえてくる。
 ぐるりと回っているうちに、カササギが畑で戯れているのも見た。シロハラクイナが多い。縄張りがあるのか、向こうの田に二羽、こちらの田に二羽と棲み分けているように見える。でもときどき、他の一羽が入り込んで餌を啄ばんでいる。争いにならないのだろうか。田を過ぎて、大きな川の流れの別の端に出た。香港ガイドの若者が手招きをする。林のなかに踏み込み、高い木の生い茂った棕櫚のような葉のなかに何かがとまっているのを、下から覗き込む。コウモリだ。オオコウモリだと誰かが言っていたが、それほど大きくはない。小さな二匹が身体を寄せ合って葉に隠れるようにぶら下がっている。彼はこれを見せたかったようだ。
 
 ここで彼らと別れ、駅まで、来た道を歩いて戻る。ミニバスはあるけれど、香港の探鳥家たちと私たちでは二十人を超える。一時に乗れないから、私たちは駅まで歩こうという。いかにもYさんらしい気遣い。それに年寄りは歩くのには慣れている。電車でホテルまで戻り、荷を置いてレストランに入ったのは7時過ぎであった。今日もよく動き回った。

近代化への罪の意識

2018-03-21 10:28:22 | 日記
 
 寒いお彼岸になった。最高気温も6度ほど。昨日から雨が降り続く。予定通りなら今ごろ、霙のなかの山を歩いているはずだった。一週間延期してよかった。予報を見ると明日の最高気温は16度くらいになるそうだから、「…寒さも彼岸まで」とはなりそうだ。
 
 映画『馬を放つ』をみた。「2017年、キルギス・フランス・ドイツ・オランダ・日本」と制作関係国が記されているのは、共同出資して制作したということか、それとも、フィルム、現像、音響、配給、資金などの提供を連ねたからなのか。監督は、脚本・主演ともアクタン・アリム・クバト、キルギスの人らしい。
 
 物語は単純明快。ケンタウロスの異名を持つキルギスの男が、肉として売られていく馬や高額な競走馬を盗んで野に解き放つ。その男をめぐって人々は、はじめ牧歌的な伝説に心惹かれて共同体的な包摂を試み、しかし宗教的な軛に抗すべくもなく、その男を追放する。簡略化して言えば、そういうお話だ。これも「岩波ホール創立50周年記念作品」と銘打っている。
 
 馬を解き放つケンタウロスを撃ち殺すのは、自他ともに認める「馬泥棒」。彼は馬を盗んで隣国へ売り飛ばす商売をしている。つまり、近代化の象徴的存在である。岩波のチラシは「未来への希望を託す、現代の寓話」と称賛する。ケンタウロスが倒れたとき、それと同期するかのようにケンタウロスの息子が吊橋の上で転ぶ。抱き起こす母親とともに無邪気に橋を渡っていくのを、「未来への希望」と意味づけたのであろう。だが(いまどき)、そんなことを繰り返しているときなのだろうか、私たちのいる世界は。
 
 原理的なことを言い続けている限り、つねにその人は正しい。原理的なことを口にするとき人は、自分が置かれている立場を抽象し、遥か神のような高みに上げてものごとをみているからだ。つまり常に正しくありたい人は、いつも原理的なことだけを口にしていればいい。その口が何によって(いかにして)糊しているかに触れなければ、誰もが同じように口に入れているから、非難されることはないのだ。「ベルリン映画祭国際アートシネマ連盟賞」を得たとか、「カンヌ、ベルリン、ロカルノ、世界が絶賛する名匠」とか、外の権威によって衣装をまとう以前に、自らの口に入れているものを踏まえて物語をみつめるってことを、映画選定をしている岩波さんも覚えたらどうか。このところ、映画『笑う故郷』(アルゼンチン、2016年)以外、これといった「当たり」に出くわさない。ま、映画には当たりはずれもあると思ってはいるものの、こんな原理主義的なものばかりなら、はるかにTVドラマの方が深みもあるし人間認識も複雑さを加味していて、見ごたえがある。
 
 それとも、近代化をすすめてきたことへの罪の意識を自己批評的に反映しているつもりなのであろうか。それならそれと、監督や脚本に批判を向けなければならないね。

身の裡を照らしているかどうか

2018-03-20 19:34:41 | 日記
 
 昨日新橋まで足を延ばし、古くからの友人Hに会ってきた。二月に一度は会っているのだが、今月末のSeminarのレポーター役をお願いしている。昔なら、と言ってもほんの3年前少しまではメールでやりとりもしていたし、私のブログに書き込みもしてくれた。ところが、目が悪くなり、パソコンのデスクトップを見ていられなくなった。電子ブックは、バックライトというらしいが、パソコン画面と違った画面表示をするらしく、そちらの方はまだ読むのに差し支えない。そういうことがつづいて、いまはメールを送ってもパソコンを見ていないから、「メールを送ったよ」と電話しなければならなくなった。面倒と言えば面倒だが、でもそのおかげで、やっている店番を奥さんに任せて少しばかりおしゃべりをすることもできた。
 
 Hは背の高さは私と同じくらいだのに体重は45キロ前後。健康的には低空飛行をしている。だが、なかなかしぶとく頑張っている。なにより、私と同じ年なのに現役の仕事人である。これはすごい。毎日朝10時ころから夕方の7時まで店を開いている。お休みの土日にはなにもする気がなくなり、横になって本を読む程度。たいていは電子ブックで古典を読んでいるという。そして言う、「もう一度生まれ変わったら、もう少し腰を入れて勉強するよ」と。本を読んでいると、わからないことや知らなかったことがいっぱいあると気づく。若いころあまり勉強しなかったことを、今になって悔やんでいるのだ。そりゃあ結構だけど、生まれ変わってもう一度年をとったときにもまた、同じことを言うに違いないよと私は茶化した。つまり彼の「知らないことに気づいた」ことが、謂うならば最良の知的ありようなのだと思ったからだ。そういう意味では、永遠の知の探究がもたらす結論は「無知の知」しかないのだ。
 
 今朝の朝日新聞を読んでいて、二つの掲載に目がとまった。
 
(1)本の広告。『キクコさんのつぶやき』、ユサブルという聞いたことのない出版社。「83歳の私がツイッターで伝えたいこと」と吹き出しを使い、「私は時代の変化について行こうとしない年寄りたちに怒っているのです――」と大きな顔写真の横に添えている。
 
 なんだこれは。キクコさんが「時代について行こうとしない年寄り」に怒っても私は別に構わないが、でもなんでキクコさんは、他の年寄りたちのありように怒る「正義」を背負っているんだと思わないではいられない。要は自分がツイッターをやっていることを「時代について行っている正義」だと思っている自慢話ではないか。私も年寄りだし、昨日のHとの話でも「時代に置いてきぼりを食らってるね」と自嘲していた。ツイッターのことではないが、AIに負けそうなんて話に食いついていけないのはバカの壁だが、ここまで時代が急進展しているのをみると、もう「埒外の人」になっても仕方がないよと、言いあっていたのだ。
 
 でもツイッターにそれほどの「正義」を感じている根拠って何だろう。私も一度ツイッターに入り込もうとしたことがあった。だが、喧しい世間の声に耳を傾けているよりは、図書館で借りた本を静かに読んで、著者の想いと言葉を交わしたほうが良いと考えて、アクセス途中で取りやめたことがある。その後しばらくは(ツイッターの提供元からであろう)「アクセスが完了していません」というお誘いが何度もあったが、放っておいた。ツイッターで見知らぬ人とおしゃべりするのも、それなりに面白いと感じる人はいよう。あるいはこの掲載広告が書くように「何とフォロワー数9万人超」というのに、有頂天になるのも、書き込みのインセンティヴになって年寄りには刺激的かもしれない。だがそれは、おしゃべりを推奨するのと変わらないではないか。怒ることではないよ。
 
(2)やはり今日(3/20)の朝日新聞の投書欄に「主夫楽しみ認知症の妻へ恩返し」というのがあって目を止めた。妻が認知症になり、家事の全てをやることになったが、手を付けてみればなかなか奥行きが深い。70年間妻が世話をしてくれたからこそ今日があると思い、頑張っているという。投書の主は、なんと96歳。私より20歳も年上だ。
 
 この投書を好ましく思うのは、この方の輪郭が浮き彫りになっているからだ。それはこの方が、わが身を描き出すようにものごとをとらえ、丁寧に世界の絵柄を掬い取っているからだ。
 「食文化の奥深さに驚く。最近はデザートにも挑戦。「お上手」と謂われると意欲が湧く。妻にはリハビリのつもりで、みそ汁やジュースの具材を刻ませる」
 と微笑ましい様子が浮かび上がる。それは、読む私にもまた、自らの輪郭を描き出すように作用している。お前さんは食文化の奥行きを深いと思ったことはあるかい? デザートに挑戦しているかい? と。
 
 (1)の広告を作成したのは(たぶん)若い人であろう。ツイッターのフォロワー数に意味を見出したり、時代について行けない年寄りに年寄りが怒っているというのを、面白いと感じるのは、まるごと今の時代に絡めとられている感性にみえる。だから一概にキクコさんのせいだとは思わないが、そのような読み取り方をしていくら宣伝しても、キクコさんの自慢話に付き合うほど、私たち年寄りは耄碌していない。まあキクコさんから学ぶことも多かろうという若い人たち向けの広告なのだろうと思っているばかりなのだ。
 
 だが、(2)の投書者のような身の裡に向かう視線を湛えて人が己をみるようになるのは、いかにも年を経た功績が浮かび上がるように思えて、うれしい。友人のHくんも、その一人に加わっているようだ。さて私も、遅ればせながら「埒外の人」への歩みをすすめるとしようか。

香港(5)近代的なハードにそぐわないソフトな慣習

2018-03-20 09:31:48 | 日記
 
 さて元朗の古い街での五日目の朝食が終わって、今度はミニバスに乗る。二階建てのバスは幹線道路を縦横に走っているが、それと並行したり脇道へのルートを走るのが、ミニバス。16人乗りとボディに記している、バンの少し大きいタイプ。これはオクトパスが利くものと利かないものとがあるが、その違いなど(交通機関の収支の公共性とのかかわり)は(聞いても)わからない。系統はあるようで、私たちが乗ったのは「ミニバス74」。乗車するとき、ガイドをふくめて10人いた私たちのグループは、二つに分けられた。一台が走り去り、しばらく待って次の一台がやってくる。私は後続に3人で乗ったのだが、乗客は座席いっぱい。走行中に乗客から大声がかかると、その都度バスは止まって人を降ろす。工場群のなかをくねくねとまわりながら走っている。一度止まってから百メートルも進まないのに、また声がかかり止まる。そうして私たちだけになって終点の「森屋村」まで乗った。と言っても、もう工場はなく、民家が立ち並ぶ村はずれのようなところ。前方には葦の原と田か畑か原野が広がる。そのずうっと先に超高層ビルが立ち並んでいるのは、すでにおなじみの風情。それは深圳のビル群だそうだ。ということは、今日は香港の北端の西の端、つまり第二日目に足を運んだマイポ(米埔)自然護理區の、湾を挟んだ西側のチムチュベイ(尖鼻咀)に行こうとしている。
 
 遠くに電線の上に何か止まっていると誰かが声を上げ、スコープを覗く。こうして今日の探鳥がはじまった。カノコバトだオニカッコウだというのに混じってシラコバトだと誰かが言い、たしかに、首輪を巻いたような埼玉の県の鳥がいる。ジョウビタキも、クビワムクドリもいる。コウラウンが葉の落ちた木の突端に止まって高い声を上げる。シロガシラが枝の多い新葉の出かけた木の中段にいて、目に入った。コンクリートの柱の上で鳴き声を立てているのはキマユムシクイだという。大きな池の脇に出る。この池の向こうをみていたカミサンがアオショウビンが入ったとスコープから目を話す。どれどれとのぞかせてもらう動いて。見事な背の青色と頭の茶色と嘴の赤、何よりも体全体のアンバランスが際立つ鳥だ。向こうの茂みの陰にある横枝に身を置いてじっとしている。ほかの皆さんもどこどこと言いながらのぞき込み、あああそこかと言いながら自分のスコープを合わせる。私もカメラに収めようとしたが、ズームすると場所がわからなくなってしまう。何度か試みたが、手軽なカメラでは上手くいかなかった。「ああっ、ヤマセミ」と声が上がる。向こう岸の茂みの緑を背景にふわりふわりと羽ばたいて右のほうへ飛ぶ。陽ざしを浴びて白い羽とそれに着いた黒っぽい色が幾何学模様を描くように動いて美しい。見惚れているうちに茂みの向こうに飛んでいったが、カメラマンたちは、このチャンスを逃さない。一眼レフでシャッターを押したのをあとで見せてもらったが、ピントがいま一つ。でもアオショウビンはしっかりととらえていた。もうすっかり満足。このあとシマアジがいるのを観ようと池を回り込む。私たちの姿を見て、十数羽の群れが飛び立つ。
 
 長大な壁に突き当たる。ここから向こうがマイポ護理區だという。でもこのフェンスはなぜ? Yさんの説明だと、じつは深圳から越境してくる密入国者を防止するためだという。どこか小高い地点に警備兵がいて、越境者を見つけるとすぐに逮捕されるそうだ。だから私たちも、マイポに入るときには、「埼玉野鳥の会」の会員証とマイポ入域許可証とを手に入れなければならなかった。この壁に沿って、自転車でやってくる人たちが多い。家族連れや若い人たちのグループ。そういえば今日は土曜日であった。彼らもこうして、休日を楽しんでいる。長い橋を渡る。海とつながっている河口。この先が島のようになっているチムチュベイの自然保護区。陽ざしが強い。しばらく橋の上から河口の鳥を見分ける。先頭が先へ行ってもまだ残っている人たちがいる。そう思って振り返ったら、マングローブの緑の葉の上を茶色の大きな鳥がひらりと飛んで緑に身を沈めた。オオバンケンだと誰かが口にする。へえ、見たぞ、また、と思った。私が最初に見たのはオーストラリア。
 
 橋を渡り大きな池に出たところでお昼にすることにした。強い陽ざしを避けて、マイポの壁の日陰に身を寄せ、水道管だろうか剥き出しの太い管に腰かけて買いおいたパンをとりだす。二人だけ、強い陽ざしの池の端で座り込んでいる。ヤマセミを見るのだと頑張っている。二度飛んだそうだ。往きと還り。つまりこの辺りを行ったり来たりしているらしい。池の向こうにいた人たちが声を上げる。別の方角を指さしている。そちらの電線の鳥を観ると、青っぽい背中が頭まで覆っている。ヤマショウビンだと傍らの鳥達者が言う。もう大満足であった。もらったイラスト地図ではぐるりと山裾を回るルートが記されているが、ここを回るとあと2,3時間ほどかかるらしい。陽ざしもあって、すっかりくたびれている。ちょっとショートカットして「輞井村」へ向かう。何と発音するのかわからない。「輞」は呉音ではモウとかボウというから、「もういむら」と日本語読みするが、中国語を聞いても頭に入らない。アルファベットで表記してもらうと、まだ親密感がある。表意文字は(気分の上では)親しみがあるが、地名となるとからきし役に立たない。帰って障害になるような気がした。
 
 「輞井村」のバス停には豪勢な人家もある集落がある。村の中心部の前には、三角のペナントを大きくしたような旗が何本も建っている。「国泰**」「風*雨須」「萬事**」と四字熟語を書き付けている。まるでお祭りのようだが、ひょっとすると日常の集落のたたずまいかもしれない。公衆トイレもあって、観光客を受け容れる体制があるようにみえた。ミニバスには全員が乗れないかもしれないと判断したIさんとYさんが先へすすむ。もう少し歩いて、元朗へつながるにぎやかな大通りまで向かう。河口部には大きなコンクリートの橋が架かっている。その橋の欄干に、所狭しと、選択したシーツや毛布や衣類を干すべく掛けている。なんとも近代的なハードとそぐわないソフトな慣習のありように、思わず笑ってしまう。この町の人たちは頑固に自分たちの慣れ親しんできた習俗にこだわっているとみえた。
 
 大通りから二階建てバスに乗って帰ったのだが、果たしてどういう道筋を戻ったのか、記憶にない。最初の「行程表」では元朗から地下鉄で帰るか「バス268Xで宿へ」とあった。電車に乗った覚えはないが、バス一本で帰着したのだったか。ぼちぼち疲れが溜まり始めていたのかもしれない。
 
 この日の夜は、また香港の探鳥家たちとの宴会であった。全員で二十人ほどであったか。大きな丸テーブルに二組に分かれ、出されてくる料理を頂戴し、ビールを飲む。Yさんは旧交を温めているようであった。食事後、バスに乗ってフェリー乗り場に向かい、スターフェリーピアから向かいの香港島に行く船に乗り込む。もう9時近い時刻だ。ほんの1㎞ほどの距離なのだが、真っ暗な海のむこうに、煌々と輝く香港島の超高層ビルとその照明が夜景を描き出すように浮かび上がらせる。ああこれが百万弗の夜景と謂われたやつかと思う。子ども連れの若い人たちも乗っている。私たちのような観光客もたくさんいるようだ。ほんの20分ほどで着き、折り返しの便に乗ってフェリー乗り場に戻ってきたが、いや、面白かった。久しぶりに「観光」したって感じだった。