第三日目、昨夜の雨も小降りになった。出発するころには雨というよりは霧。ウィンドブレーカを着て肌寒さも凌げ、ちょうど良い感触で出発した。川を渡り、晴嵐荘の前で出発準備をしている団体をおいて、竹村新道へ踏み込む。このルート、標高1400mほどの湯俣山荘から2928mの野口五郎岳の傍にある野口五郎小屋までの標高差1500mを上る。とは言え、途中の湯俣岳2378mから200mほどを下って改めて2713mの南真砂岳に登り、巡りする以上の強行軍ではあった。当初上る予定の、北側にあるブナ立尾根は日本三大急
また若干下って2862mへ上るから、累積標高差は1700mを超える。富士山のスバルライン五合目から山頂までが約1400mくらいの上り一方。つまり、富士山頂を上りお鉢を一
登の一つと謂われているが4時間30分のアルバイト。それにたぶん劣らない急登であった。
歩き始めてすぐにウィンドブレーカは脱いだ。汗が流れるが、これは心地悪いわけではない。そうだ、いつもなら腕時計をしているのが、昨日壊れてしまった。二十数年使ったスントのデジタル時計。汗が浸み込んだ所為だろうか、時刻表示が突然10時間も狂ってしまった。一度は直したが、すぐにまた狂う。これじゃあ役に立たない。
ま、スマホもあるから時間を見るには困るまいとタカをくくっていた。どうも違うようだ。何が違うか。先程の処からだいたいここまでが**分と、事前にコースタイムを頭に入れている。今日のような長時間歩行のときは、歩度が早すぎてもいけない。はじめチョロチョロ中パッパくらいで、力を長持ちさせる歩き方がある。そう思っていた。だが、腕に時計がない。その都度スマホを引きだしてみるのも、億劫に感じられる。
こうも言えるだろうか。歩行の速度は、軽く時計を見ながら、おお、いまこの時刻か。コースタイム通りだなと整える。これが歩行の自信になり身の裡からの支えになる。それができない。歩一歩が重い。まずは槍見展望台までのコースタイムは50分。だが、スマホを出す気持ちにならない。あとで見ると、出発して30分ほどでここに到着している。早すぎる。次の湯俣岳までのコースタイムは、4時間。実際には(カメラに残したデータでは)3時間半で歩いている。つまり、ペースが早すぎたのだ。
だが当人はそうは思っていない。脚の踏ん張りが利かない。歩一歩というが、脚で身体を持ち上げるというよりも、ストックをついた手で身体を支えるようにして持ち上げるから、両肩に負担がかかって荷がひどく重く感じられる。まさしく四輪駆動の前輪に寄りかかって上っている感じだ。FFだね。ははは。
湯俣岳で、青嵐荘前で出発準備をしていた12人のグループが追いついてきた。山頂は狭い。私たちが出発する。ところが、そこから2時間の南真砂岳までが2時間40分もかかっている。途中で、後から来た12人グループに道を譲る。ヘトヘトになりながら、ともかく前へ上る。こんなことは初めてだ。そう思っていた。見かねたKが私の荷から予備の水と行動食を持ってくれた。これで2kgぐらい軽くなったろうか。
帰宅して、山と溪谷社の提供する地図のコースタイムと私のカメラに記録された要所ごとの通過タイムを比べてみて、「マイペース」が如実に浮き彫りになった。
湯俣温泉から湯俣岳までの3時間の行程はコースタイムより25分、早い。湯俣岳から南真砂岳までの登りは2時間のコースタイムを40分オーバー。そこから竹村新道が水晶岳からの稜線に合流する地点まで1時間20分行程は、25分オーバー。合流分岐から行程1時間の野口五郎小屋までは10分オーバーであった。
まとめると、上りの前半はペースが速く、後半にそれが祟って急激に歩度が落ちている。意外であったのは、標高でいうと2850mからの稜線から野口五郎小屋までが、コースタイム比わずか10分オーバーだったこと。すっかりへこたれて、実感としては疲労困憊であった。ぐずぐずののろのろだとばかり思っていた。だがやはり、力が入っていなかったのは急登のところであったといえようか。
こうして全体としてみるとこの日、コースタイム8時間20分のところを9時間10分かかっている。普段コースタイムで歩けるのがマイペースと思っていた私としては、大いに落胆する行程になった。限界が見えたよう。一日の行動時間は6時間を目安にしなくてはならなくなった。
時計がないことが歩く歩度の調整に失敗した原因であるかのように思わないでもない。身体で自分のペースを推し計るだけでは心許なく、時計を介して「意識して」はじめて身体に言い聞かせることができる「ワタシの心身調整回路」があるのだ。
もう一つ、エネルギー補給を「自然(じねん)」に任せていたこと。へこたれるとますます腹にモノが入らなくなる。いつもの4、5時間行程ならモノを口にしないで済ませることもできようが、全体が8時間以上の行程となると、意識的にカロリー補給をしなくてはならない。それをほぼ忘失していた。
歩きながら話してKが指摘したのは、お酒が祟ったのではないかということ。彼は入山の前日と下山当日はお酒は飲まないという。日々仕事もあり、ひと月以上も標高の高い山に入る彼にするとそうやって体調を計っておくことは、必須なのかもしれない。
もしそうなら、山へ入るかお酒を摂るかどちらかを選ばなければならない。それもまた、オモシロくクないなあ。
野口五郎小屋は20人程の宿泊者で一杯になった。高瀬ダムからブナ立尾根を上ってきた人たちもいる。8/15に発生した濁沢の土石流現場は、橋はなくなったものの、泥土は固まり、もう泥だらけになることなく渡ることができたと話していた。
この小屋、水が天水以外になく、たいへんな貴重品。昔の山小屋はこうだったなあと、感慨深かった。
この日も夕食で出されたお茶をたっぷりと摂った。しかし夜トイレに立つことなく9時間も寝ることができた。寝ることが私の疲労回復だ。四輪駆動で草臥れた前輪を保養するため、両肩に湿布薬を貼ってもらった。これでずいぶん楽になった。
また若干下って2862mへ上るから、累積標高差は1700mを超える。富士山のスバルライン五合目から山頂までが約1400mくらいの上り一方。つまり、富士山頂を上りお鉢を一
登の一つと謂われているが4時間30分のアルバイト。それにたぶん劣らない急登であった。
歩き始めてすぐにウィンドブレーカは脱いだ。汗が流れるが、これは心地悪いわけではない。そうだ、いつもなら腕時計をしているのが、昨日壊れてしまった。二十数年使ったスントのデジタル時計。汗が浸み込んだ所為だろうか、時刻表示が突然10時間も狂ってしまった。一度は直したが、すぐにまた狂う。これじゃあ役に立たない。
ま、スマホもあるから時間を見るには困るまいとタカをくくっていた。どうも違うようだ。何が違うか。先程の処からだいたいここまでが**分と、事前にコースタイムを頭に入れている。今日のような長時間歩行のときは、歩度が早すぎてもいけない。はじめチョロチョロ中パッパくらいで、力を長持ちさせる歩き方がある。そう思っていた。だが、腕に時計がない。その都度スマホを引きだしてみるのも、億劫に感じられる。
こうも言えるだろうか。歩行の速度は、軽く時計を見ながら、おお、いまこの時刻か。コースタイム通りだなと整える。これが歩行の自信になり身の裡からの支えになる。それができない。歩一歩が重い。まずは槍見展望台までのコースタイムは50分。だが、スマホを出す気持ちにならない。あとで見ると、出発して30分ほどでここに到着している。早すぎる。次の湯俣岳までのコースタイムは、4時間。実際には(カメラに残したデータでは)3時間半で歩いている。つまり、ペースが早すぎたのだ。
だが当人はそうは思っていない。脚の踏ん張りが利かない。歩一歩というが、脚で身体を持ち上げるというよりも、ストックをついた手で身体を支えるようにして持ち上げるから、両肩に負担がかかって荷がひどく重く感じられる。まさしく四輪駆動の前輪に寄りかかって上っている感じだ。FFだね。ははは。
湯俣岳で、青嵐荘前で出発準備をしていた12人のグループが追いついてきた。山頂は狭い。私たちが出発する。ところが、そこから2時間の南真砂岳までが2時間40分もかかっている。途中で、後から来た12人グループに道を譲る。ヘトヘトになりながら、ともかく前へ上る。こんなことは初めてだ。そう思っていた。見かねたKが私の荷から予備の水と行動食を持ってくれた。これで2kgぐらい軽くなったろうか。
帰宅して、山と溪谷社の提供する地図のコースタイムと私のカメラに記録された要所ごとの通過タイムを比べてみて、「マイペース」が如実に浮き彫りになった。
湯俣温泉から湯俣岳までの3時間の行程はコースタイムより25分、早い。湯俣岳から南真砂岳までの登りは2時間のコースタイムを40分オーバー。そこから竹村新道が水晶岳からの稜線に合流する地点まで1時間20分行程は、25分オーバー。合流分岐から行程1時間の野口五郎小屋までは10分オーバーであった。
まとめると、上りの前半はペースが速く、後半にそれが祟って急激に歩度が落ちている。意外であったのは、標高でいうと2850mからの稜線から野口五郎小屋までが、コースタイム比わずか10分オーバーだったこと。すっかりへこたれて、実感としては疲労困憊であった。ぐずぐずののろのろだとばかり思っていた。だがやはり、力が入っていなかったのは急登のところであったといえようか。
こうして全体としてみるとこの日、コースタイム8時間20分のところを9時間10分かかっている。普段コースタイムで歩けるのがマイペースと思っていた私としては、大いに落胆する行程になった。限界が見えたよう。一日の行動時間は6時間を目安にしなくてはならなくなった。
時計がないことが歩く歩度の調整に失敗した原因であるかのように思わないでもない。身体で自分のペースを推し計るだけでは心許なく、時計を介して「意識して」はじめて身体に言い聞かせることができる「ワタシの心身調整回路」があるのだ。
もう一つ、エネルギー補給を「自然(じねん)」に任せていたこと。へこたれるとますます腹にモノが入らなくなる。いつもの4、5時間行程ならモノを口にしないで済ませることもできようが、全体が8時間以上の行程となると、意識的にカロリー補給をしなくてはならない。それをほぼ忘失していた。
歩きながら話してKが指摘したのは、お酒が祟ったのではないかということ。彼は入山の前日と下山当日はお酒は飲まないという。日々仕事もあり、ひと月以上も標高の高い山に入る彼にするとそうやって体調を計っておくことは、必須なのかもしれない。
もしそうなら、山へ入るかお酒を摂るかどちらかを選ばなければならない。それもまた、オモシロくクないなあ。
野口五郎小屋は20人程の宿泊者で一杯になった。高瀬ダムからブナ立尾根を上ってきた人たちもいる。8/15に発生した濁沢の土石流現場は、橋はなくなったものの、泥土は固まり、もう泥だらけになることなく渡ることができたと話していた。
この小屋、水が天水以外になく、たいへんな貴重品。昔の山小屋はこうだったなあと、感慨深かった。
この日も夕食で出されたお茶をたっぷりと摂った。しかし夜トイレに立つことなく9時間も寝ることができた。寝ることが私の疲労回復だ。四輪駆動で草臥れた前輪を保養するため、両肩に湿布薬を貼ってもらった。これでずいぶん楽になった。
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