すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 春爛漫の花吹雪・・・ 信じる力で花は咲き  人間神の子の風景

2009年04月03日 08時21分10秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

   爛漫の 春は花道 くぐりつつ 

 

      馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 風もなくはらはらと花が舞う花道のころになった。

 王のように、天使のように、花に祝福される花道を通る今であるこ

とよ。

 

 冬枝をさらすばかりだった風景が嘘のように爛漫と咲いた花もその

盛りを散らしている。

 事が成就するとは、そのようなのであろう。

 

 目に見なければ信じられないという人こそは貧しく、思いを実現す

る力の弱い人である。

 それを科学と言うべきでもない。

 本来の科学とは、目に見る前に信じて探求する、研究の精神で

ある。

 

 見た目で失望して、その場を辞してゆく人の楽しみとは一体何の

なのか。

 その人の人生に咲く花は、あっという間に咲かせようとするあだ花

であろう。

 

 この世に咲かずとも、あの世で咲かせて花見をしようという人生も

一興ではないか。

 それ以上に気の長い大宇宙の夢物語を生きているのに違いない

のだから。

 

 

 

 

 

 

人間神の子、仏の子の風景


 人間の不幸とは、他人との関係に対する不幸感覚である。

 他人が悪いと入っても、許せないといっても、人を憎む気持ち、人

を恐怖する気持ちは不幸に他ならない。

 自分の心の持ちようで、裁き心を克服し、不幸感覚を捨て去ること

ができるなら、それこそは幸福である。

 

 裁き心とは、実に厄介な不幸感覚である。

 

 ところが、人とは、神である、という見方をすると、まったく新しい感

覚で人を見ることができることに気がついた。

 神とは言っても、修行の途中であり、未熟の状態であり、自らを汚

す神もある。

 それでも、もともと、女神なのだ、もともと男神なのだ、と思ってみる

と、ただの嫌悪ではなく、犯すべからざる神聖な感覚が前提にある。

 

 人間神の子、仏の子と教えられたが、本当には従っていなかった

のだと思う。

 もう少し、このような人間観を磨いてみたいと思う。

 

                                梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする