たけぐみや 桜や桃が 手を引かれ
馬糞 Bafun
通勤途中、博多の禅寺の中を通ってゆく。
石畳や季節の庭木が、朝の深呼吸をさせてくれる。
お寺には幼稚園がある。
この季節、小さな園児たちの姿がかわいらしい。
花の形に模られたプラスチックのバッチを胸につけて、母さんに手
を引かれて登園するのだ。
そういえば、自分は竹組みだった。
担任は、少し年輩のミヤバラ先生だった。
不思議と、その先生の顔まで覚えている。
初夏のころだっただろうか、絵を描いていたときのことを思い出す。
船の絵を描くのが好きだった。
船の真ん中に大きな煙突があって、もくもくとした煙を勢いよく描く
のが得意で、楽しかった。
煙は画用紙からも飛び出して、隣の女の子の画用紙まで流れて
いった。
【経済予測とは何か】
ドイツも輸出産業が苦戦しているらしい。
ドイツの経済研究所DIWの経済予測について報道されていた。
今年の経済成長率の見通しについて、1.1%マイナスの予測をさ
らに下方修正して、4.9%のマイナス成長になるとの予測を示した。
下期になれば持ち直すが、先行き不透明感が強く、2010年度の
予想は断念したというのである。
受身の予測であるならば、今年の下期予想でさえも、馬券売り場
の予想屋と大差ないことであろう。
予測とは、未来ビジョンを一足先に描くことであるが、未来はどうな
るか、ということが、果たして予測なのだろうか。
そもそも、何のために予測を出すのか。
政策提言のためにか、とりあえず仕事の体裁を取り繕うためにか、
国民への警告のためにか、激励のためにか・・・。
経済研究所というならば、現状を踏まえたイノベーション政策提言
のためにこそなすべき積極予測であるべきなのではないか。
先行き不透明だから予測できませんなどということは、無能だと弁
解しているだけのことである。
経済学が役立たずの学問であるのも、未来予測の考え方に問題
があるからではないのか。
未来とは、現在が原因となって結果するものである。
問題は、現在の何を主要原因とするかである。
経済成長とは、結局は人間の活動であるから、経済活動をする人々
の感情、気分、空気、信念など、心に原因がある。
思いが変われば行動が変わり、未来が変わる。
経済学は、この最も重要な原因要素について捨像している。
だから、株価予想程度にしか至らないのだろう。
未来は暗い、もっと悪くなると予測すれば、買い控えや設備投資を
やめるというデフレ不況に誘引することになる。
暗い気持ちを原因に持ち込むことに他ならないからである。
DIWや日銀や、経済アナリストだけのことではない。
マスコミも同じ過ちを犯しているのである。
不況宣伝をしてはならない。
経済予測とは、どうなるべきか、だから、こうすべきであるという
望ましい未来への道筋を示すことを言うのである。
原因結果の関係を明確にして、未来に道を開く予想こそが、予想
であって、警告以上に、失望が予測予想であってはならない。
現代の経済不況こそは、経済革新を仕込む、未来作りのチャンス
であることを忘れてはならない。
その柱になるのが、社会主義からの決別、道徳資本主義というべ
き責任至上主義経済という柱を立てることである。
社会主義とは、横並び志向、嫉妬を根底に持つ。
駆除すべき社会主義の温床は、膨らみすぎた公務員であり、大
学であり、日教組をもつ公務員教職員であり、マスコミである。
こうした、貧乏神を駆逐すれば、経済は劇的に好景気へと転換す
ることは間違いない。
これが、経済予測総論である。
他力本願、傍観者予測に終わってはならないということを肝に銘ず
べきである。
梅士 Baishi