白牡丹 包みし春を 開きつつ
馬糞 Bafun
春の大輪が、牡丹である。
冬牡丹のほうが本物かと思っていたが、そうではないらしい。
冬牡丹は、いわば、温室栽培のスイカを冬に食べるようなものであ
るらしい。
苦心して咲かせるから、雪よけのかさをさして、大切にするのだろう。
久方の休日、春牡丹に、心の洗濯をした。
白牡丹のように真っ白に洗って、日に干した。
人間社会も、ギリシャ神話のような神々の世界であると思えば、心
の洗濯も造作ないことである。
大輪の牡丹の花で魂を洗濯するとは、自分もまた、無骨な神の端く
れとして、神話の世界を生きているかのようである。
【スポーツコミュニケーションをビジネススタイルに取り込め】
今年の就職戦線は、企業の臆病風のあおりを食って学生には厳
しい逆風になっているようである。
確かに、自動車業界を筆頭とする海外市場向けの業界は急激な
売り上げ不振に戸惑っているのだろう。
マスコミは、一番苦しんでいる部分ばかりを強調して、不況風を煽っ
ている。
スポーサー企業を苦しめるような宣伝を繰り返している。
そんなマスコミに依存する企業の姿は、まさに、独立不振の日本を
見るようである。
さて、新卒人材として、スポーツマン学生は企業に好感を持たれる。
文武両道は、人材としての理想でもある。
スポーツは優れたコミュニケーション文化である。
また、心身を鍛えることで、練習に耐える忍耐力と、自信と、素直
さが養われる。
スポーツ学生のニーズは、プロスポーツだけではない。
ビジネスマンとしての、優れた資質であるということなのだ。
企業はもっと、スポーツマンであることが、人材の重要なファクター
であることを宣言するべきである。
そうすれば、体育教育の空洞化も歯止めがかかる。
スポーツをする意義、目的を正すことができる。
生涯スポーツをビジネス文化として支えることができる。
しかし、企業の入り口だけでスポーツを評価するだけでは十分では
ない。
スポーツコミュニケーションが、ビジネスコミュニケーションとして活
用されるのでなければならない。
企業間の連携も、営業も、日ごろからのスポーツコミュニケーション
を通して人間関係ができていれば、どんなにかスムーズで、スポー
ツマンシップにのっとった取引文化となることだろうか。
弱肉強食的な競争ではなく、クリエイティブな競争、楽しめる競争、
絆を強める競争が養われるのだ。
企業活動として、経済力を活性化するための企業交流の場として、
スポーツイベントを日本の新しい企業文化として育ててほしいと思う。
中小企業も、小さな企業がチームを組んでスポーツチームを作り、
スポーツイベントに参加するのである。
そのようになるとよいと思う。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi