秋の蝶 末期 matugo の花を 渡りつつ
馬糞 Bafun
運動会の陽だまりにヤマトシジミがせっせと蜜を吸
っていた。
良く見ると、羽が擦り切れ、破れかかっている。
運動会のにぎやかさと、晴れ渡った日差しの下で、と
ても心和む風景ではあったが、花鳥風月の世界は無常の
世界でもあると思う。
無常であるから美しい。
人間もまた無常であるが、無常観を持った人は多くは
ないだろう。
無常とは、この世の地位も名誉も財産も、とどめおく
ことができないままに、流れ去っているということであ
る。
流れ去るものの存在感こそは美意識ではないだろうか。
武士道もまた、死を決した人生哲学として、武士らし
しい美意識を心得ていた。
武士道は、かつての武士だけのものではあるまい。
滅私奉公こそは、仕事のやりがいとなり、生きがいと
なる。
奉公とは、世のため、人のためである。
【公務員と民間企業との決定的な違い】
それは、不都合な結果責任を潔くとるか否かにきわ
まる。
企業も、企業人も、市場から責任を問われる。
ところが、公務員は、誰が責任者なのか不明のまま
に、あやふやにして誰も責任をとらない。
事故米に公費を浪費し、食用米として何十年も流通さ
せたのは公務員である。
責任転嫁をして、見てみぬふりをしてきたのである。
なのに、誰も法的責任をとらない。
社会保険庁の詐欺、横領、背任というべき犯罪行為に
ついて、社会保険庁の元公務員まで含めて処罰すべきだ
ろう。
なのに、誰も責任をとっていない。
自分たちは、たんまりと退職金や年金をもらって左団
扇で税金を貪り続けるのである。
公務員に、かつての武士道といわれた美意識などは微
塵も感じられない。
武士道というなら、政治家にこそある。
政治家は、過剰なほどに責任を取らされる立場にある
からだ。
公務員は、生活の安泰と楽な仕事で権限もあるという
ことで人気である。
しかし、政治家が人気で、政治家になりたいなどとい
うことはない。
死んでも本望という覚悟と志なくしては政治家になろ
うとは思わない。
もっと、政治家を尊敬してしかるべきではないか。
ましてや、マスコミ人間に、政治家を批判する資格な
どないのである。
【公務員教職員の非常識とずるがしこさは悪魔的である】
学校崩壊は、否定できない事実である。
ところが、「おまえが経験してきたことか」、と逆に
開き直られた。
問題のすり替えは、公務員の特技であるらしい。
では、お前が批判する世の中のことで、自ら知見した
ことがドレほどあるのか、自分の体験の範囲でしか批判
していないとでも言うのか。
小中高の教員、90万人のうち、まともな仕事ができ
ない教員は5%以上、5万人はいるといわれている。
さらには、教師たるべき倫理観念と、子供を暴力や犯
罪から守ろうという正義観念と、社会常識を持った教師
がどれほどいるか。
教員免許に教師たるべき資質を認めるという権威はな
いのである。
教員としての仕事ができない教員や、さらには子供に
悪い影響を与えている問題教員が各学校に相当の確率で
いることに対して、「それは例外的であって、しかも、
最近の子供は大人の理解を超えていて、いわば世代間ギ
ャップなのであって、仕方がないことなのだ」と。
国会答弁も舌を巻くほどにうそぶくのである。
しかも、子供の方に問題があるかのように責任転嫁す
るのである。
まさに、天性のすりかえ、責任転嫁能力というべきで
はないか。
厚かましさと、話の筋をすり替えるずるがしこさには
うんざりとする。
「所詮、公務員だからね」というあきらめや軽蔑で、
地獄のドブに流すことになる。
公務員社会主義社会のいやらしさが、もはや国家崩壊
の腐敗レベルに達している。
企業だったら信用を失って倒産する。
責任の所在は明確だから、個人として責任を取らされ
る。
いかに、公務員教師が世間知らずで、社会常識にも、
市場経済にも無知無理解であるかと驚かされるのである。
つくづくと、教員は、公務員であってはならないと思
う。
企業の原理が働かなければ、教育が腐ってしまう。
責任の所在のない仕事は世の迷惑である。
コスト意識のない仕事は、公費を浪費する背任である。
だから、「公務」の自由化、民営化を進めなければな
らない。
教育は、『社会の公器である企業』にこそ委ねられる
べきである。
但し、学校インフラは、公費で賄われたほうがよい。
公設民営化を教育の柱とするべきである。
以上、心ある国政の士に提言、要望する。
梅士 Baishi